第32話 遊園地 その三

 肩の傷は浅かったらしく、消毒と大きめの絆創膏を貼った。

「しかしキミ、危ないことをするね。今度からはちゃんと大人を頼りなさい」

「……はい」

「まあ、彼女さんが危ない目に遭っているのに……という気持ちは分からなくないよ」

 警備員がそう言うと、隣で座っている亜海が身じろぎをする

「わ、私が彼女……。私が彼女……」

 何やら念仏を唱えているので、警備員の言葉に耳を傾ける。

「でも、僕たち警備員の仕事はキミたちを守ることなんだ」

「だからと言って見逃せませんよ! あのあと、亜海はどうなっていたのか分からないじゃないですか!」

 まあまあ、と宥める警備員。

「確かにキミの言うことも一理ある。でもだからこそ、正義感の強いキミが傷を負っていいという訳じゃない。むろん、彼女さんも」

 警備員の理論はしょせん理想論だ。いざという時、身を守れるのは自分自身しかいない。

 大人は子どもを守ってはくれない。

 本当に大切な時は自分でなんとかするしかないんだ。

 警備員さんの説教も終わり、事務所からでると辺りはすっかり夕暮れ。

「ごめんね。私のせいでこうなっちゃって」

「気にするな。ほとんど俺に対する説教だったし」

「なんだか。楽しい思い出にしようと思ったのに」

 亜海は残念そうに呟く。いや、実際に残念なのだろう。

 楽しくなるはずの思い出が上塗りされたのだから。

「なら、最後に何か乗っていくか? まだ時間はあるだろ」

「ホント! それじゃあ! ……観覧車、かな?」

「観覧車? それでいいのか?」

 スリルもない。あまり楽しめるようなものじゃない気がするが。

 でもそれが亜海の楽しい思い出になるなら。

「分かった。行こうか」

 未だに不安だろう亜海の手を握り、観覧車に向かう。

「え! あ、うん」


 観覧車はゆっくりと回転している。

 周囲に人はおらず、俺と亜海の貸し切り状態だ。

 待つ暇もなく、係員に案内されて乗り込む。

「久しぶりだな……。香弥と一緒に乗った時以来だ」

 外の景色がゆっくりと遠のいていく。

「……そっか」

「香弥のやつ、観覧車の中ではしゃいでさ。それで係員に怒られて……」

 ふと亜海を見ると、泣いていた。

「ど、どうした? 亜海……」

 さっきのチンピラの件もある。精神的に参っているのかもしれない。

「……あれ? なんで、なんでだろうね。ごめんね。ごめん」

「い、いや」

 こんな時、何を言えばいいんだ?

「大丈夫。大丈夫だから」

 そう呟く亜海の顔は全然大丈夫じゃない。

 昔、亜海が泣いていた時のことを思い出す。

 あの時は確か、

 ごくりと唾を飲み、決心する。

 亜海の隣の席に座り、亜海を引き寄せる。

「え! ちょ」

 有無を言わさずに抱きしめると、頭をゆっくりと撫でる。

「よしよし。大丈夫。大丈夫だから」

 亜海の顔は見えないけど、乱れていた呼吸が落ち着くのを感じる。

「もう、大丈夫だから」

 そう言い終えると、横からオレンジ色の光が差し込む。

 ちょうど、てっぺんにきたのか太陽が同じ高さに見える。

「康晴」

「ん。どうした? 亜海」

 少し離れると、亜海は鞄から小さな箱を取り出す。それは丁寧にラッピングされたもので、プレゼント用だと分かる。

「康晴。誕生日、おめでとう」

 亜海はプレゼントを差し出し、柔らかく微笑む。

「あり、がと……」

 完全に不意打ちだった。

 最近忙しくて、すっかり忘れていたが、今日は確かに六月二十四日。

 俺の誕生日だ。

「じゃあ、初めから俺のために?」

「うん。そうだよ。……なんだか忙しくしていたから、楽しい日にしたくて」

「あ、ああ。ありがとうな」

 くすくすと笑う亜海。

「何度目の感謝よ」

「それもそうだな」

 ゆっくりと観覧車は回り、日が沈む。

 同じ景色を、同じように回転する。

 だから、もう悩むのは止めだ。


 闇夜に包まれた街中をゆっくりと歩く。

「すっかり遅くなっちゃったね」

「ああ。でもありがとうな。プレゼント」

「いいよ。一年に一回くらいは甘えてもいいじゃない」

「そっか。一回くらいはいいのか」

 亜海を家に送り届けると、俺のスマホがなる。

 誰からのメールだ?

 脅迫されたこともあり、自然と身構える。だが、表示されていた名前には見慣れない三文字。

 陣内じんないつばさ

「ああ。マスタングか……」

 内容は次のSスキアSスレイFファンタジーのアップデート内容とともに、一文。

『次のPvPでは思う存分、殺し合いましょうね!』と。

 アップデート内容は砂漠エリアの実装と、そのクエスト、ダンジョン、モンスターなどの追加要素。

 また既知のバグの改善。ある条件下でのおかしい挙動の改善。

 そして、

「PvP専用ピラミッドの実装か……」

 恐らく、マスタングはそこで対戦をしたいのだろう。

 今までのコロセウムとは違い、フィールド内にあるギミックを使った攻撃や防御が可能らしい。

 自宅に帰り、パソコンでSSFからの告知メールを改めて開く。

 そこには添付ファイルがあり、ピラミッドを引いて撮られた画像が開く。その頂きには見覚えのあるアバターが立っている。それは、

「香弥!? どうして、そんなところに……」

 青い髪の少女は不安げな顔つきで佇んでいる。

 急いでスマホを操作する。

 コール音を六回くらいならしたところで繋がる。

「もしもし? シュティさん」

『あら。コウセイじゃない。どうしたの? 香弥さんを取り戻す方法でも見つかった?』

 からかうように言うシュティ。

 電話ごしに聞こえるピチャピチャと水が落ちる音。

「はい。見つかりました」

 バシャッ。

 何かが水に落ちる音。いや、水から上がった音? もしかしてお風呂の途中だった?

『そ、それは本当なのかしら? アタシには思いつかなかったのに』

「ええと。それが運営からの挑発がありまして」

『どういうことかしら?』

 バシャッと再び水しぶきがあがる音。

 柔らかな雪のような白い肌に、流れる雫。濡れてしっとりとした髪。

 シュティがお風呂に入っているのを想像し、一気に血圧が上がるのを感じる。

「メールできたんです。香弥のアバターを写した画像ファイルが」

『今日のアップデートメールかしら。それなら何も添付されていなかったけど……。その画像見せてもらえるかしら?』

「え。じゃあ転送しますね」

『それじゃ、ダメよ。セキュリティに問題があるわ』

「じゃあ。どうするんです?」

『電話を映像に切り替えなさい』

「ああ。テレビ電話ですか。それで画像ファイルを確認したら、ログにも残らないと」

『話が早くて助かるわ。こっちは終わったから、よろしく!』

「分かりました」

 スマホを操作し、動画電話に切り替える。

 ……と、

「な、なんて恰好しているんですか!?」

 シュティの無防備さに、声を荒げてしまう。

 端的に言えば、お風呂の最中さいちゅうだったのだ。

『アタシのことは気にせずに! さあ! 早く!』

 いや、気にするよ。

 俺、健全な男子高校生だぞ? 性欲を持て余している同級生も多いんだぞ?

『何を躊躇っているのよ? さあ早く!』

 ここまできたら引き返せないか。

「分かりました」

 できるだけスマホの画面を見ずに、モニターに近づける。

 先ほどのピラミッドの頂上にいる香弥を映す。

『なるほど。確かにこれはあの時の、香弥さんのアバターですね』

「はい。俺もそう思います」

『それで、どうするかしら?』

「え」

『これは明らかな挑発よ。何があるのか分からないけど、コウセイを罠にはめる気満々でしょうね』

「そう思います。でも、俺は香弥を見捨てたくはない」

『相手も、その心理を突いているはずよ? それでも挑戦するのかしら?』

「……はい。立ち止まりたくありませんから」

『なら、アタシも手伝わせてもらうわ。もちろんリアルでも、ゲームでも』

「ありがとうございます! よろしくお願いします!」

『こちらこそよろしく。コウセイ』

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