第29話 俺の家は亜海に占拠されていたらしい。
暗い廊下を抜けると、だだっ広い部屋に辿りつく。
周囲にはガラス細工の天井と壁。それに床までもがガラスのようなものでできている。
テクスチャーを統一しているので、それほど負荷はかからないのだろう。
そのガラスの中に一人の少女を見つける。
「ま、まさか……」
その少女は目を開き、ゆっくりと声を上げる。
「お、兄ちゃん……?」
「香弥? 香弥なのか!」
俺は急いで駆け寄るが、目の前にいくつもの柱が出現し道を阻む。
「くそっ!」
剣を振るい破壊を試みるが、
【破壊不能】
と表示される。
柱を乗り越え、香弥に向かって一直線に進むが、香弥はどんどん遠のいていく。
「香弥!」
「お兄ちゃん!」
手と手が触れあえる。そんな距離になり、必死で手を伸ばす。
香弥も同じように手を伸ばす。
が、その手は届かない。
正確には、香弥は当たり判定のない置物としての存在だったのだ。ゲーム上はそういった認識になっている。
「くそ! ここまできて。妹一人守れないのかよ!」
視界にモザイクが発生し、処理能力の限界を感じる。
途端に周囲が暗くなり、一人狭い空間へと放り出される。
両手を広げれば、伸ばさずとも手がついてしまう。そんな正方形の部屋。
何もない、無音の空間。
困惑していると耳元に声が響く。
『コウセイ! コウセイ!』
「シュティ? シュティか! どうなっている!?」
『コウセイ。今すぐにログアウトさせるわ!』
「待ってくれ! こっちにはまだ香弥がいるんだ! 今帰る訳にはいかない! 俺はまだ――」
【回線が切断されました】
次の瞬間、柔らかなベッドの上に横たわっていた。
「コウセイ! 大丈夫? アタシの声が聞こえているなら握り返して!」
そう言われる前に握っていた。
強く。強く。
まるで自分の無力さを握りしめるように。
「くそ……。くそ……」
「コウセイ……」
あふれ出した涙は止まらない。
俺が落ち着くまでシュティは待ってくれた。
それは本当にありがたいのだが、
「どういった状況だ? なぜ、あいつらの手に香弥がいる?」
「……コウセイがアクセスし、こちらの情報をシャットダウンしつつ、相手へのハッキングを行っていたわ。でも、奴らはコウセイのパソコンに仕掛けたバックドアから侵入してきたみたい」
「……そういえば、数日前にパソコンとモニターの接触不良があったな。もしかして……」
「恐らくその時ね。バックドアとウイルスを仕込んだのは。それを利用し、こちらのデータをいくつか盗まれたわ」
「いくつか? 香弥のデータを全部盗まれた訳じゃないのか?」
「ええ。金剛、いえ香弥さんのデータの八割を盗まれたわ。恐らくコウセイが見た香弥もその一部でしかない」
「そう、か……」
「あっちが逆にハッキングしているのに気がついて、すぐに回線を切断したのはいいけど、彼らは先にまるごとコピーしたみたい」
「それでなんで俺の意識があっちに残ったんだ?」
「AI技術が、脳科学が進歩していく上で、人間の意識をデータ化することにも成功したの。恐らく、その技術を応用したのよ」
シュティは目を伏せ嘆息し、やがて覚悟を決めた顔になる。
「その技術を研究していた彼の名は――シュターリン。この間、ノーベ賞を受賞したロツア人よ」
どくんと心臓が跳ね上がる。
聞いたことがある亜海とも勉強をした。
「確か、電気的な生物の模写……だったか?」
「え、ええ。簡単に言ってしまえば、そうなるわね。あれは生物の電気信号のやりとりをほぼコピーしていまうもの。それだけ処理能力や演算技術、容量などの問題があるけど、最新のAIと複数のハードディスクで可能としているわ」
「それを行えるのは、そのシュターリンさんだけなんですか?」
「ええ。そうよ。彼からして見れば、あなたはデータ上のバグ程度でしょうね。シュターリンは人間を信じていないけど、コンピュータを信じているから。だから、全ての人間を電脳化してしまえば、争いや諍いもなくなる。そう考えていた人物よ。その先駆けとなったのが金剛型AIの香弥さんね」
「ははは。なんだよそれ……」
無茶苦茶な話じゃないか。
全ての人間を電脳化して、それで争いをなくす?
「そんなのはまともじゃない! それでは人間はもはや人間じゃない!」
「……そうかしら?」
シュティの否定に、弾かれたように目を見開く。
「あなたが”香弥“と呼んでいるのも、電気信号でしかないわよ? それでも電脳化された人間は人間ではない、と?」
「そ、それは……」
あの声。あの表情は確かに香弥だった。
今、俺はそれを否定してしまったのだ。
違う。
電脳世界で生きる香弥を人間と認めようとしていない自分がいた。
「彼にとっては肉体というものは必要ない。それでも人は生きていける、という考えよ。恐らく、そこに他人の倫理観は入っていないわ」
「……それが科学の行き着く先だと。そう思いますか? シュティは」
「分からないわ。確かに科学の進歩は人間を救ってきた。でも、行き過ぎた技術はただの茶番に成り果ててしまうでしょう」
「茶番……」
「その内、人が機械のパーツに成り果てる可能性だってあるわ」
「そんなの!!」
「ええ。分かっているわ。アタシはそちら側の人間じゃない。少なくとも香弥さんは、瀧士博士の遺産は、あなたが受け継ぐべきよ。コウセイ」
俺には何が正しいのかは分からなかった。
だが、香弥が奪われたことによって俺と、その周辺に危害は加わることがないのは分かった。
家に帰ると、泥のようにベッドに沈み込む。
ようやく香弥の声が聞こえた。オヤジが伝えたかったことが分かる。そんな気がしていた。
それなのに。
「何してんの? 康晴」
「バッカ! ノックぐらいしろよ! 亜海!」
驚きのあまり、つい声を荒げてしまう。
「そもそも俺の家にどうやって入ったんだよ!」
「え。おばさんから『元気がないみたいだから励まして上げて!』って頼まれたんだけど……」
「ちくしょう。母さんめ……」
余計なことを。とまではいかないが、少しは一人にして欲しい時もある。
「あれ? 迷惑だった? 最近、ゲームの話もしていないし。またぐうたらな生活に戻っているのかと」
「いや。まあ、色々とあってな」
「隠し事? よくないね。それは」
「べ、別にいいだろ? 言いたくないことの一つや二つ、誰にでもあるだろ」
亜海は逡巡したのち、顔を赤くする。
「そう、だね。話せないこともあるよね」
あれ? いつもなら、問答無用で聞きだそうとするはずなのに。
「でもさ。話せないってことは、それだけ大切な話なんでしょ?」
なんだか見透かされているようで居心地が悪い。
「ああ。そうだな。大切だから話せない」
少なくとも脅迫や香弥のことはまだ話せないだろう。
「そっか。なら仕方ないね。でも私がいるってことは忘れないでね」
「バカ。忘れるもんか」
幼なじみで、変なところで気が利く奴を、忘れたりするもんか。
「それならよし! じゃあ、早く夕食にしましょ♪ 今日は私のお手製なんだから!」
「……お前は俺のなんなの? ねぇ。なんなの?」
なぜか、俺の家は亜海に占拠されていたらしい。
自室を出て、食卓に向かう。
近づくにつれて、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
なんだろう? まるで焼き鳥のような、いやもうちょっと焼いた匂い?
「あ! しまった!」
亜海は急いで台所へ滑り込む。
訝しげな視線を向けていると、台所から焦げ臭い匂いが漂いだす。同時に黒い煙が上がり、火災報知器が鳴り出す。
もくもくと立ち上る煙の中から亜海が姿を現わす。焦げた鍋を手にして。
「えへへ。やっちゃった……」
「俺んちでなにしてくれちゃってんの?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます