15:働き方改革会議 … ≪後≫

「さて…、ちょっと話がずれちゃったから一旦話題を戻そうか。僕としては、今後このまま掛け持ちを続けるのよりは、一つに職を絞ることを勧めたいと思うけど、キミはどうしたい?ひとまず、責任云々っていうのは置いといて、ね」



優しい声のトーンのまま問いかけられたものの、答えは喉につかえて出てこない。

何の意味を成さない音だけが、小さく喘ぐように口から洩れていく。


それでも彼は、ただ待ってくれていた。

きちんと自分で答えを出しなさい、と優しく促されているようだ。



「……わたし、でも……せ、正社員に……なれ、ますか?」



アルバイト経験しかない、高卒までの学歴しかないそんな自分が高望みしても仕方がないじゃないか、と20代半ばでサクッと諦めた正社員枠。


一応経理とPC関係の資格はいくつか持ってはいるものの、完全に宝の持ち腐れ状態で、今となっては使い物になるかすら怪しい知識量しかない。


そんな自分が、今さら正社員枠を狙おうなど、甚だしいにも程があるというものだと思うのに、専務はそんなこと気にもしない様子でただニコニコと微笑みながらこちらを見ている。



「なれるよ、もちろん。…実は、上層部にしか知らされてはないんだけど、うちの会社の正社員枠、一つキミ用に取ってあるんだよね」


「……え!!?」


「キミは歯牙にもかけてなかったみたいだけど、キミの業務態度とか、仕事に対しての姿勢とか、うちの会社で結構評判いいんだよ?知らなかった?」


「そ、そう…なんですか?」


「掛け持ちしてるっていうから、急に一本に切り替えさせるのも難しいだろうってことで、なかなか無理に引き込めなくて、上層部がいつキミに話を持ち込もうかってだいぶ気を揉んでてね?僕もそれとなく話をしててくれってお願いはされてたんだけど…。さっきも話した通り、キミは真面目過ぎるから、こんなお願いすると逆に辞めたがってしまうんじゃないかと思ってたんだ」



まさかこんな形で面と向かって話ができるとは思わなかったよ!と軽く笑っている専務を眺めつつ、あれ、これ…もしかしなくても上手く丸め込まれたかな?と、ほんの少しの後悔を噛みしめながらも、この決断は決して間違いではないという確信めいた何かを感じている。



「……あの、でも…すぐには、無理ですよ?やっぱり、カラオケの方もすぐにというのは人員確保難しいと思いますし、辞めるのであればある程度引き継いでからとは思っているので」


「あぁ、もちろん。そのあたりはきちんとしておくに越したことはない。……そうだな、それじゃあ半年を目途に、と考えてはどうかな?もちろん、どちらの職場でも相談をしながらの微調整は必要だろうけれど」



そういいながら、専務はトントンと机の上のルーズリーフを軽く叩く。

ハッと気づいて慌てて今まで話した内容をメモしていった。


サリサリ、とシャーペンが紙の上を走る音だけが室内に響いている。


自分だけではまとまらなかった考えが、人と話しながら纏めていくことでこうもすんなり自分の中に確立されるとは思わなかった。


今後の方向性は、掛け持ちを半年を目途にやめて1本の職場に切り替える。


そこまでルーズリーフに書き出してみると、確かに頭で考えただけの時よりずっと強く目標として認識できた気がした。



「ついでに、2つの職場の勤務時間も少しずつ調整してみようか」


「…え、調整…ですか?」


「週の勤務日数と、勤務時間をそれぞれ無理のない範囲で減らして、もう少し睡眠時間や休息の時間を確保させたい」



その言葉には、素直に頷いていいものかと考え込んでしまう。


現状すでに働かないことがストレスになっているのに、これ以上休む時間を増やすのはちょっとな…と考えてしまうあたりが仕事中毒といわれる所以なのだろうけれど、こればかりは仕方がないとしか言いようがない。



「で、でも……働かないと、なんかこう…ダメになるんです…ホントに……」



ただでさえ、ちょっと休むだけでもそわそわと落ち着かないのに、今以上に働かない時間なんて作ってしまった日には本当に狂ってしまうのではないかと思えてしまって恐ろしいわけなのだが、この感情を彼に伝えるのは難しいな?と頭を悩ませていると、彼は可愛らしく小首を傾げながら、衝撃的な発言を飛ばしてきた。



「うーん…。じゃあ、これは僕からのわがままってことにしてくれないか?」


「ん??」


「キミがいない時間、淋しくてたまらないから……僕のために、もう少し家にいる時間を考えてくれたら、嬉しい」



ひゅ、と息が詰まったのはいうまでもない。


くまの姿の愛らしさと、それにうっすら重なるように見える美形の中年男性の妖艶さを合わせた上での懇願。


照れ笑いの表情が、ちょっと幼さを醸し出しているのがまた罪深い。



「………それ、ずるいです…専務……」



そんな風にわがまま言われて勝てる人間がいるのだろうか…いや、いるわけない。と自己完結させつつ天を仰ぐ。



(なんか徐々に『くーちゃん』と専務の境目が分からなくなってきたな…。…これは…やばい……)



落ち着くんだ自分!!と心の中で自身に喝を入れつつ、深く息を吸ってから、それをゆっくりと吐き出した。


そんな様子をも楽しげに眺めている専務を少々恨みがましく思いながら、気を取り直して再びルーズリーフにペンを走らせる。



『無理のない、掛け持ちタイムスケジュール』



カリカリ、と音を立てながら書き出したその一文を眺める専務の表情があまりにも嬉しそうで、ずいぶんと可愛らしい様子に思わず自分まで笑ってしまった。


そのあとも話しながら、いくつかのパターンのタイムスケジュールを作成していく。


話し合えば話し合うだけ何をあんなにも詰め込んだスケジュールにしていたのだろうかと思わずにいられない。


まさかこうして話し合うだけでこんなにも気持ちが変わるなんて、とどこか不思議な感覚を覚えながら、働き方改革会議はしっかりと実を結ぶ形で幕を下ろしたのだった。










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