12:おはよう、から始めましょう

まだ、ぼんやりとする意識の向こう側で可愛らしい小鳥の声がする。


どうやら窓の向こうにある少し離れた電線あたりにとまっている小鳥たちが今日も仲良く囀っているらしい。


ほんのりぬくもりを感じさせる陽の光も部屋の中に差し込んできていて、今日は暖かくなりそうだ…と、思わず口元に笑みが浮かぶ。


そんな中でふと、ふかふかでふわふわなものが自身を包んでいるのに気が付いて、あぁ、これは自分が愛してやまない『くーちゃん』だと認識するや否や、すぐさまそのもふもふに擦り寄って抱き着いた。


すり、と頬を寄せてその柔らかさを堪能したのち、腕を撫で、頬を撫で、可愛らしいまんまるの耳を撫で回して…と、とにかくひたすら愛でる。



「………あぁ、…ほんとくーちゃんは、かわいいねぇ……」


「……ふふ、そう?そう言ってくれるのは、キミくらいだよ」


「えぇ…?こんなもふもふで、かわいい、の……に、……………」



モフモフ最高…と、朝から幸せに浸っていた自分の耳に届いたのは、美声。


小鳥の囀りなどより余程美しい音を奏でるそれは、あまりにも嬉しそうな色を乗せているためか、酷く艶やかで。


正直、朝から聞いてはいけない声音ではないだろうかと思うほどの妖艶さがある。


………声、だと?と思った瞬間目を開けてしまった。

そうして見てはいけないものを見る。


そう、超美形な中年男性の満面の笑顔である。


………つまり、破壊力は抜群。


寝起きの意識覚醒させるには十分すぎるほどの威力を持っていたわけで……。



「……ふぐぅあぁぁあ!!!?」



文字通り、飛び起きるのも必然のそれである。


びゅん、と音が聞こえそうなほど勢いよく跳ねた自分の体は勢いが過ぎて、アッと思った時には背中に壁が迫っていた。



(…うぁ、これ痛いやつ)



案外冷静にそんなことを考えつつ衝撃に備えて身を固くして目を閉じたものの、痛みと衝撃は、ない。


代わりにもふっとしたものが、ぎゅう!と力強く自分を抱きしめている。



「あ、ぶな…」



そうして頭上から、思わずといった感じで呟かれた声が降ってきた。


そんなちょっと焦った声すら、ぞくぞくするほど良い声だなんて、あまりに卑怯ではないか?と、見当外れなことを思いながらばくばくと鳴り続ける胸を押さえる。



「キミは、意外にそそっかしいところがあるんだね?朝から急に動くと、危ないよ?」



めっ、と子どもを叱るような優しさを滲ませつつ自身を注意するこの人は、本当に自分の状況を把握しているのだろうか…??と疑問を抱かずにはいられないほどあまりにも平静だった。



「意識しすぎている私がバカなんだろうか……?」


「ん?」


「あ、いえ、なんでも」


「僕としては意識してくれるほうが嬉しいんだけれどね」


「…聞こえてるんかい!!!」


「はは!」



こんな風に、自身の暮らしの中で会話が成立するような事案は、正直想定外であった。


どうせ一人で生きていくことになるだろうから、と必要以上に人との関係も大して深く繋がなかった自身のせいではあるのだけれど、さすがにこれはキャパオーバーというものである。



「………ええと、これは、夢では…」


「ないみたいだねぇ」


「…ですよねー」



そう、こんな不可思議な状況、夢以外の何物ではないはずなのに、どうやら現実。


しかも自身の妄想なんかでもないようなのだ。


ぬいぐるみが動き始めたのを認識した時には、これはいよいよ自分の精神がぶっ壊れたのではないかと、ちょっと期待していたところもあったのだけれど、自分はあくまでも正常らしい。


異常なのはこの状況ということらしいのはわかっているのだけれど、とりもあえずは………。



「あ、…忘れてました」


「…ん?なにを?」


「ええと、あの………」


「?」



無垢な瞳で見つめながら、首を傾げるのはやめてください!!!!!と内心で絶叫しつつ意を決して口を開く。



「お、おはよう、ございます」


「あぁ、おはよう。今日もいい天気みたいだよ」



―――挨拶は、とても大切なものだから、忘れないように。


そう教えてくれたのは、自分を引き取ってくれた大叔母だったのを記憶している。


こうして一人で生きるようになってから、職場以外で挨拶をすることはなく、自宅でこの言葉を発することはきっと今後ないのだろうと思っていたので少々気恥ずかしくて、言葉が詰まってしまったけれど、そんなことは気にならなかったのか、嬉し気に返事を返してくれるこの人こそ、自身の上司である久須平専務その人だ(外見は自身の最愛のぬいぐるみなのだが)



「…あぁ、いいな」


「………?なにが、ですか??」


「キミのそばで、キミに一番に挨拶ができる。幸せだ。すごく、ね」



そう言いながら、すり、と柔らかな腕を伸ばしてきて頬を撫で上げ、そのまま自分の体を引き寄せて、抱きしめてすりすりと甘えるしぐさを見せる彼。


傍目にはぬいぐるみが甘えているだけのように見えるのだろうし、ただの『くーちゃん』だと思っていたころの自分であればそんな仕草すら愛らしいと素直に受け止め、全力で甘えられたのだろうけれど、これが自身の上司、しかもかなりのハイスペックな御方であると認識してしまったあととなると、もう、無理だった。



「うわああああ!!!!無理です久須平専務!!!!!!!過度な接触はお控えくださいぃぃぃぃぃぃ!!!!!!」



ぐいっと彼の胸に腕を突っ張るも、彼は全く意に介さないように腰を抱える腕を離す様子を見せない。


それどころか不満げに、より力を籠めやすいようにか、少し身を乗り出してくる。



「『くーちゃん』には、そんな反応しなかったのに…」


「そりゃそうでしょう!?ぬいぐるみですもん!!でも、専務は……」


「僕だって、『くーちゃん』だって言っただろう?」


「そこがすでにおかしいですよね!!!!?」



久須平だから『くーちゃん』なのか、しばらく入り込んでいたから『くーちゃん』だと言いたいのかはちょっと判断つかなかったけれど、そこだけは断固として認められません!!!と叫ぶと、ふぅ、と小さくため息を吐きながらようやく腕から力を緩めてくれた彼の腕からゆっくり逃れて、少し離れて座る。


かなり残念そうな表情の彼にちょっと罪悪感抱かないでもなかったが、この距離が適正だと判断して、こちらもようやく一息つくことに成功した。



「………後ろからだっこしたい」


「欲望が駄々洩れてますよ専務!!!!!」



まさか、理想の上司がこんな人だったなんて!!!!?と、思わず頭を抱えながら、本日という新しい一日が始まるのだった。

















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