10:弱虫が望むモノ … ≪前≫

田ノ倉ささらの人生が大きく揺らいだのは、18歳の冬だった。


それまで、みんなからも羨ましがられるくらい理想的な両親の庇護下のもとで、気ままにのんびりと楽しい学生生活を謳歌していた、ただ無邪気な高校生だったあのころ。


行きたい専門学校への入学も決まって、寂しいけれど大人になる第一歩なんだから無理はしない程度に頑張りなさいね、と両親からも背中を押され、嬉しいやら、恥ずかしいやら、初の一人暮らしがただただ楽しみやら…と、とにかく未来しか見ていなかった自分に訪れた大きな転機。



―――大好きな両親が、死んだのだ。



相手側の飲酒運転による交通事故だった。


相手は盛大に酔っぱらっていて、その上事故を起こしたその瞬間は、携帯電話も操作していたらしい。


脇見していたうえ、酔ってスピード感覚もおかしくなっていたらしく、一般道を走行していたにも関わらず、速度は時速100キロを超えていたという。


父親が運転する車は、その暴走車に真横から衝突されたのだ。


あまりの勢いに、車は何度か転がった末、解体途中だった交差点脇の廃ビルの一角に突き刺さるようにしてようやく動きを止めた。


けれど今度はその衝撃で廃ビルの外壁などの一部が剥がれ落ち、車を覆うように崩落。


私たち一家を、光すら届かない闇に閉じ込めてしまった。



……一体、何度、あの日のことを後悔しただろう。



あの日、久しぶりに外で食事がしたいなんていう両親に従わなければ。


それならいつもは行かないような、ちょっとお洒落なお店に行ってみたいなんて我儘を言わなければ。


早くしないと予約の時間に間に合わないよ!なんて、いつも安全運転をする父親を急かさなければ。



尽きない後悔は未だ止むことなく、自分の胸の内に降り積もり続けている。



痛くて。


暗くて。


怖くて。


苦しくて。



物凄い衝撃の後、奇跡的に自然と意識を取り戻した自分はがむしゃらに暗闇の中何度も両親を呼んだ。


何かにわずかに押しつぶされているような状態で、全身鈍い痛みに苛まれ、体を動かすことは叶わなかったから、ひたすらに声を出す。


呼び掛けても無音しか返ってこない事実をどうしても吞み込めなくて、朦朧としながら声が掠れてきてもただずっと両親を呼んでいた。


救助隊のおかげでようやく瓦礫が退けられ、車内に光が届いたときのあの時の刹那の安堵感と、その後襲ってきた心臓を止めるような絶望感は、いまだ消化されることなくこの身に刻まれている。



「……お父さんも、お母さんも、こっちを見てるの」



自分でこぼした言葉なのに、ぶるりと体が震えるのを抑えられない。



「濁った眼でね、ただじっと、私を見てる……」



―――お前のせいだ。


―――お前のせいで。


―――お前が、…ねばよかったのに。



そんな声が、聞こえてくるような気がして。



「……もうね、ずっと……。…二人が、笑ってる顔を、思い出せないの……」



そんな酷い言葉を放つ人たちじゃない事は、育ててもらった自分が一番わかっているのに、あの時焼き付いてしまった鮮烈なイメージがどうやっても拭えない。


そんな自分が、嫌で、嫌で、心の底から憎くてたまらない。


事故の衝撃は凄まじかったようで、事故を起こした相手も頭を強く打ったことと事故の衝撃で肺がつぶれていたこともあり、病院に運ばれたのちに死亡。


こちらの両親も含めて、3人の死者と複数の負傷者を出すという大事故だった。


当時後部座席に座っていた自分は全身酷い打撲や擦り傷、切り傷などは負ったものの、骨折などの大きな怪我は負っておらず、みんなには助かったのは奇跡だと驚かれるほどだったけれど、自分自身はそれを嬉しいなどとは欠片も思えなかった。


だって、そこからしばらくは地獄のような日々だったから。


両親が亡くなったことで、諸々の手続きはしなければならないし、遺産相続がどうだとか、まだ未成年である自分の身元引受先をどうするかで逐一揉めたりだとか、嫌というほど大人の事情に振り回されるだけの毎日が自分を苛んでいく。


『大人の事情』とやらが優先されるだけの汚い大人の世界に、何の知識もないまま自分は唐突に放り込まれ、ただひたすらあちらへこちらへとたらい回しにされたのだ。



「可哀そうに」


「気をしっかり持って」


「ご両親はキミの幸せを願っているはずだ」



自分を前にすると、『大人』は皆そんなことを口々に言った。


そのくせ、少しその場を離れれば彼らは「誰が引き取るんだ」とか「学費の世話なんぞ無理だ」とか「あの子の親の土地と遺品の分与は…」とか、何もかもお金が絡んだことばかりを話しては、自分のことは『不要なもの』として扱うのだからもう失笑しか出ない。


頼れる人など、もうこの世のどこにもいないのだ。


そう見限りをつけるのに、そんなに時間は掛からなかった。



(あの事故で、両親じゃなくて、私が死んだらよかったのか…)



そんな言葉がすとんと胸の中に落ちてきても、悲しいとすら思うこともなく、それをすんなり受け入れ納得できてしまえていた。


それでも死ねなかったのは、死というものを受け入れる勇気を自分が持ち合わせていないだけという…たったそれっぽっちの理由で、田ノ倉ささらは今もまだのうのうと息をしている。






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