閑話:編み紡ぐ無償の愛唄

可愛らしいフォルムのくまのぬいぐるみ。


ただし大きさは2m弱あるようで、小柄な女性一人くらいならばすっぽりとその腕の中に抱え込むことができる。


ぬいぐるみというからにはもちろん意思などあるはずもなく、ただのぬいぐるみであるならば自力で動くことなど不可能である……と、いうのが世の中の常識だ。


そう、それが『常識』ではあるのだが………どうやら、自分はその『ぬいぐるみ』になってしまっているらしい。


この現状を一から説明する術も言葉も、今の自分は持ち合わせていない。


自分が、自分であった最後の瞬間の記憶は鮮明に残ってはいるものの、その後何がどうなって彼女が愛してやまない『くーちゃん』としての存在に成り代わってしまったのか、まるで説明ができないのだ。


本当に『奇跡』ともいえる現象だと思う。

本来ならばこんなことは絶対にあり得ない。


……もしかしたら、自分にとって大変都合のいい夢を見ているのかもしれない。


仮にそうだとしても、もうそれでも構わないと思えてしまうほど、この数日間がとても充実していて、正直少し怖いくらいに思っている。


『くーちゃん』の中で意識を取り戻してからというもの、『くーちゃん』を愛でることをやめない彼女の存在に何度も救われながらも、彼女の無茶な生活ぶりを見てしまい、ただただ心配とそれを伝える術がないという苛立ちばかりがつのっていく。


いつも働きすぎる彼女のため、少々無理矢理という形にはなってしまったが、彼女を上手く寝かしつけてから、勝手を承知で彼女の各職場へ数日間休職が欲しい旨を連絡しておいた。


もちろんどちらからもほぼ即答で了承の返事をもらえたので、その数日間を完全に彼女の休息日とするつもりでいたのだが……



「………♪」



緩やかな、それでいてとても明朗なテンポで紡がれる鼻歌。


どうやら仕事中毒を極めた彼女に、休息日なのだから何もしないという選択肢はなかったようだ。


つい先ほどまではやることも決まらず「働かせてくれぇ!!!」と喚いていたが、『やること』を見つけた途端、急激にやる気を漲らせていったその様子に思わず笑ってしまいそうになってしまったが、話すことも声を出すことも出来ないこの体ではそれも叶わず、ただただ愛らしいそんな無邪気な彼女の姿をじっと目に焼き付けていく。


白く細い指先に、するすると絡みついてゆく色とりどりの毛糸。


彼女はどうやらそれで、『くーちゃん』用のマフラーを作るつもりらしい。


こんな得体も知れない『モノ』が入ったぬいぐるみに対してそんなことを始めてしまう彼女も、こう言ってしまっては何だけれども、そこそこ常識から外れた感性の持ち主かもしれないと考えてしまうのは、自分だけではないと思う。


最初こそ驚かせてしまい、涙まで零させてしまったけれど、この体でできる限りの方法で慰め続けたら、何とか笑ってくれてずいぶんとホッとした。


そのあと「難しいことは考えない主義だから!」と、まさかの思考放棄宣言を受けてそのまま同居生活を続けることになった時には、この子の危機管理能力に不安を覚えたものだが、よくよく振り返ってみれば全肯定で全許容されているのは、この『くーちゃん』という存在に対してだけということのようなので、それなら、この生活が続く限りは彼女のことはしっかりと見守ろうと心に決めた。



(本当はもう少ししっかりと、強引にでも眠らせてあげたかったんだけど…)



彼女自身が自分で気づいているのかいないのかわからないが、彼女の眼の下には、メイクでさえ隠せそうにない程の深い隈が刻まれている。


それだけでも睡眠時間がしっかりとれていないことが明らかなのに、「大丈夫!」と言い張る彼女をこの数日間で何度か寝かしつけようとしたが、あまり長い時間睡眠時間を取るとどうやら悪夢を見るらしい。


悪夢から飛び起きたあとの血の気の引いた青ざめた顔に、取り繕うような笑顔を張り付けて震える彼女をただ抱きしめることしかできないことに、ひどい無力感を感じさせられつつ、彼女とコミュニケーションを取れる唯一の手段であるスマホを取りに行ったはいいものの、彼女のもとにたどり着く手前でそれを落としてしまい慌てざるを得なかった。


割れていないか、動作不良がないかなどをこちらはなかなか使い慣れない大きな腕で必死になっているというのに、どうやらその姿が彼女のツボに入ったようで、いつものように快活に笑ってくれた。



―――……あぁ、かわいいな。



不意に沸き上がった感情に、庇護欲以上の何かを感じて。


その瞬間、唐突に自分の中にある彼女への恋慕を自覚する。



彼女を護りたい。


彼女の隣に在りたい。


彼女に無償の愛を伝えたい。



するする、と。

彼女の指が色とりどりの毛糸を編み込んでゆく。


そうして指で糸を繰る彼女のそばに、目についた赤い毛糸玉を転がした。


……彼女と、そんな色の糸で繋がれていたらいい。


そんな小さな希望を乗せて。



「…くーちゃん?どしたの?あ、もしかして…これ?この色を使ってほしいの?」



悪夢に魘されていた様子はもはやなく、明るい表情でそれを受け取ってくれた彼女に頷くことで返事を返せば、眩しいほどの笑顔でそれを了承してくれる彼女の愛らしさに、思わず腕を伸ばす。



「……わぷ!……んふふ!今日もくーちゃんは甘えん坊さんだね!!」



くーちゃん、だいすき!と、ぬいぐるみへの惜しみない愛を叫びながら、ふわふわの体に身をすり寄せてくる彼女に、この感情の熱がより高まってくるのはもはや致し方ないことである。


大きなこの体の中にすっぽりと納まる小さな体。


その体を抱きしめて、切に願う。



どうか、この奇跡よ永久に続けと……―――。










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