03:我が家の『変革者』… ≪後≫

メインルームに辿り着くと『くーちゃん』はゆっくりと自分を布団の上に下ろして、ぺしぺし、とその布団を可愛らしく叩きはじめる。



「………?…寝たいの?だったら、私のことなんか気にせずに、ゆっくり休んでてもよかったのに」



突然の行動に戸惑いつつも、場所を軽く空けてから、準備されていた寝床のかけ布団をめくりあげてあげたのだが、『くーちゃん』は何故だかがくり…とその場で項垂れるような仕草を見せる。


どうやら、自分の反応は『くーちゃん』の思っていた返しとは違っていたらしい。


忘れそうなくらい遠い過去の記憶の中にも、似たような状況で「違う、そうじゃない」って言われながら、よく失笑されていたなぁと思い返していると、そっと『くーちゃん』が立ち上がり、玄関に放り投げられ放置されたままだった自身のカバンを持ってきて、今度はそのカバンをぽふぽふと叩く。



「この中を、見たいの?別に大したものは何も入ってないけど…」



催促されるまま、はい、とカバンをひっくり返して一気に『くーちゃん』の前に中身をぶちまけた。


その勢いの良さに一瞬驚くような仕草を見せながらも、『くーちゃん』は眼下に散らばる小物を一通り眺めている。


筆記具に、財布、身分証など……本当に必要最低限な程度のものしか入れていないカバンなので、面白いものなど何も無い。


けれど、そんな中身の中から、『くーちゃん』は目的のものを見つけたようで、今度はそれを弄り始める。



「…………あっ」



『くーちゃん』が弄り始めたのは、携帯。


もちろん自分の携帯にもロックはかけてあるので、ロック画面の先に進めてはいないが、その画面に対して、カバンから転がりでた携帯用タッチペンを大きな両手でちょこんと持って、画面の上を滑らす素振りを見せている。


…………うぉ……ええええ……もう、やだやだこの子ちょっと可愛すぎないか……???


おっきなもふもふのその両手で??

その小さなペンを……???


いや……もう、ほんとに『可愛すぎる罪』適用されるレベル。


こんな可愛いのもうむり!!!!!

キュン死するわぁぁぁぁあ!!!!!!!


と、ここまで胸の内で悶えること2秒半。



「……ち、ちょっと待ってね。……ええと、……はい。ロックは外したけど……使い方、分かるのかな?」



悶えすぎて鼻血出てないかな……と、自分の鼻を気にしながら『くーちゃん』にロック解除後の携帯を差し出すと、待ってましたとばかりに、……ととと、となにやら巧みにタッチペンを動かし操作している。


随分と慣れた手つきなのを呆然としながら眺めていたが、操作し終えたらしい『くーちゃん』がタッチペンを置き、こちらに視線を投げてきた。


そうして携帯の画面に視線を落として、再びこちらを見つめる仕草をするので、自分も『くーちゃん』の前に置かれたままの携帯の画面を覗き込んだ。


その携帯の画面上で、いつの間にやらメモアプリが起動している。


そして、そこには……───



『キミは働きすぎ。きちんと寝た方がいい』



そう打ち込まれた画面が表示されていた。



「……、……」



人間、驚きすぎると声の出し方から忘れてしまうらしい。


意思疎通可能なことは、確かに最初のやり取りやその後の態度などからもよく分かっていた。


分かって、いた……つもりだった。


けれど、まさかこんな形で、『くーちゃん』からのアプローチがあるとは思ってもみなかったのだ。



「……ま、待った……。え、ちょっと、ごめ……混乱してて……え。あの……、まさか…、え???私、今……くーちゃんと、交流した???……え、携帯を介せば、会話っぽいことも、出来るわけ?????……は????……え、うちのくーちゃん……最新AIでも搭載してんの……??????」



大混乱の最中、再び……とととと、と画面をタッチペンで叩く音がする。


中々の打ち込みスピードに、「このくま……中々やりおる…」と思ったのも束の間、すっと目の前に差し出された画面には、『ずっと、心配してた。倒れる前に休んで欲しい』と、先程の文章の下に追加で綴られていた。


あまりにも真摯で、優しい言葉。


きゅう、と胸が苦しくなったように感じたのは、そんな真っ直ぐな優しさに触れる事が、久しくなかったせいだろうか。



「……いや、でも……さすがに、この後の仕事は行かないと…」



画面から目を逸らして、部屋の壁掛け時計に目をやると、そろそろ次の仕事に向かう前の準備時間になろうとしている。



「だ、大丈夫!本当に、全っ然心配ないよ!!……私は、ほら、元々ショートスリーパーだし、今もこんな元気で…っっ!?」



自分でも、少し言い訳じみているなと思うような発言が、口から滑り落ちた瞬間。


……とん、と体を突き飛ばされる。


痛みを感じる程の力では無いものの、確実に後ろに倒れるくらいの強さで。



「………んぇ?」



倒れた先は、もちろん用意されていた布団の上。


視界の先には、飾りの瞳に変化などあるはずもないのに、どことなく苦しそうで、悲しそうな表情に見える『くーちゃん』がいて、自分をじっと見下ろしている。


どうやら、本気で心配してくれているらしい。


声なき懇願がじくじくと胸に響いてくるようで、あぁ、これはもう…負けたなー、と自分は早々に白旗を上げた。



「……わかった。降参です!!……もー、そんな可愛くおねだりされたら断れないよ、私は!!」



両手を伸ばして、上から覗き込んでいた『くーちゃん』に抱きついて、再び布団に倒れ込む。


今度は、大好きな『くーちゃん』と一緒に。


ふわふわの体に包まれると、今まで感じていなかった睡魔がゆるりと、けれど確実に忍び寄ってきた。


……あふ、と小さく欠伸を零すと、『くーちゃん』が小さな子供をあやす様に、とん…とん…と小気味良いテンポで体をゆるくたたくものだから、尚更すぐに瞼が降りてくる。



「……でも、社会人として……急に欠勤するのは良くないから、……とりあえず、5分だけ……休む、ね」



5分経ったら、ちゃんと起こしてね……と、自分は呑気に呟きながら、『くーちゃん』のもふもふの体に身を預けて目を閉じた。


ただ目を閉じただけなのに、ぐん、となにかに引きずられるように意識は優しい闇に落ちていく。


そんな風にあまりにも呆気なく眠りに落ちる様を、『くーちゃん』がただ静かに、そして何よりも愛おしげに眺めていたという事実を、その時の私が知る由もない。




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