02:もふもふなら大抵のことは許される
ぺふ。
「んぅ、」
ぺふ、ぽふぽふ。
「……、ふ」
すりすり。
なでなでなでなで。
「ふ、は……んふふ、……っ、あはは!待って待って、くーちゃん!ちょっと…っ、くすぐったい…!!」
混乱極めた人間の涙というのは思いの外止まりにくいということを、今この歳になって初めて知りましたが、皆さんはご存知だっただろうか?
あ、ちなみに自分は、今年で31歳のまぁいい大人なわけですが。
恐怖によって1度決壊した涙腺のせいで、ぐずぐずと泣き垂らしていた自分の目元を、酷く慌てた仕草で、けれども優しく、そのもふもふした腕を必死に動かしてすりすりなでなでしてくれるのは『くーちゃん』こと、自分が長年大事に愛で続けているくまのぬいぐるみである。
そうです。
ぬいぐるみです。
大事なことなので、もう一度言いますが……
「ただのぬいぐるみ、だったんだけど、ねぇ……」
くすん、と鼻をひとつ鳴らしてから、何とか涙も止まったことで、かなりクリアになった視界に『それ』の姿をおさめる。
ふわふわで、もふもふ。
もちもちで、愛らしい。
つぶらな瞳はその大きな体に似つかわしくないくらい優しげで、いつもそっと見守ってくれている。
職場では少なからず猫を被っている自分だが、一人住まいの自宅の中までその猫を被る気はなく、いつも家ではのんべんだらりとただ寝るだけだった。
そんなありのままのだらけた自分をも、100%完璧に受け止めてくれる超BIGなもちふわボディが愛おしくて、勢いよく飛びついては、毎日飽きずに抱きしめて、ふわもふなその体に包み込まれる感覚を満足が行くまでひたすら堪能するのは、今や一日たりとも欠かせない日課となっている。
憎く思えてしまうほどに可愛らしい見た目は、どこからどう見ても昔からまったく変わらない、自分が愛してやまないいつもの『くーちゃん』だ。
それなのに…………
「夢、じゃ、ない……」
その『くーちゃん』が、動いている。
ぬいぐるみ特有のバランスが取りにくそうな足で、割としっかり自立し、もふもふな両腕を口元に当ててキョロキョロと室内を見渡すように頭を動かし、どこか落ち着かない様子を見せつつ、向こうもこちらの様子を窺ってはいるようだ。
所在なさげに、ただひたすらオロオロしている様が大変キュートですありがとうございます、なんだこれ可愛すぎて拝み倒したいくらい尊い。
驚きも、恐怖も、一周回ってどこかに吹き飛んだらしい自分の頭に浮かんできたのはひとつの疑問。
そもそも『くーちゃん』と意思の疎通は出来るのだろうか?
「ええと、…とりあえず……座る?布団の上に座っていいよ」
言葉がきちんと伝わるか知りたくて、あえて身振りは交えずに『くーちゃん』を自身も腰かけている布団の上に招いてみた。
すると、相変わらずオロオロしつつも、じわりじわりと近づいてきて、ぽふんと布団の端っこ辺りに腰を下ろす。
遠慮からなのか、自分との距離感があるのは気になったものの、どうやら言葉は問題なく通じているようだ。
座り方はいつもの『くーちゃん』のお座りスタイル。
いわゆるテディ座りだ。
これがまた犯罪級にかわいい。
まぁ、くまのぬいぐるみだし、この足の長さと形では正座というのは難しいのだろうけれどもこの座り方はずるい、あざとい、可愛いの頂点。
……、だめだ。
可愛い!と思う気持ちが邪魔をして、なんかもっと色々知りたいことはあるはずなのに、状況確認に、集中出来ない……っ!
もだもだと頭を抱える自分の姿をこてん、と首を傾げながら見つめる『くーちゃん』に、再び思考を妨げられつつ、必死に理性を保たせながら次に確認したいことを尋ねてみる。
「言葉は、わかるみたいだけど……おしゃべりはどう?出来る?」
これに対しては、フリフリと頭を横に振る『くーちゃん』。
それもそうか、ぬいぐるみに声帯は無いもんなぁ……と、考えたところでそもそもそういう問題じゃないな?と自嘲しつつ、『くーちゃん』の様子をちらりと伺う。
最初こそ中に誰かが?などと疑ってしまったが、抱きしめて確かめた限り、このもちふわ触感な人をダメにする柔らかボディにはふわっふわの綿しか詰まっていないのは明らかだった。
だが、動いている。
有り得ないほど違和感なく、だ。
つまり、まぁその……今のこの現状を言い表すなら、紛うことなき人間には理解し得ない『超常現象』ではあるのだが……
「………………。……うん。……まぁ、いいか!!」
「!!!?」
自分は、ここでこの件に関する一切について考えることをすっぱり綺麗に辞めた。
『くーちゃん』からの言葉はもちろんなかったけれど、何となく「それでいいの!?」と言われているような気がしなくもない。
だが、自分は元々あれだこれだと複雑に物事を考えるのは苦手なのだ。
だって考えても無駄なことなんか、今のこのご時世腐るほどにある。
それを1から100まで全部を気にしていたら、体より先に心が疲れて死んでしまう。
だから、いいのだ。
「だって、私にとって『くーちゃん』は『くーちゃん』だもの。大好きな気持ちに、変わりはないよ」
まさか動くとは思わないから、ちょっと、びっくりはしたけどね!と笑いかければ、ポカンとした様子だった『くーちゃん』が、ひし!とまるで縋るように抱き着いてくる。
ぐりぐり。
すりすりすりすり。
余程嬉しいのか、『くーちゃん』はもふもふでふわふわな体を自分に擦り寄せ、ふかふかの腕できゅうきゅうと抱きしめてくれたのだが………うん、あのね……。
もう、無理です!!
私の理性は駆逐されましたぁぁぁ!!!
もふもふの大勝利ですぅぅあああかわいいいいいいいいいい!!!!!!
「んぐぅ、ぁあああ……っ、もう可愛いなにこれ最っ高なんですけどぉぉ!!!!ほんと好きが過ぎてつらい!!!夢なら絶っっっ対に覚めないでぇ!!!!!」
もはや、心の内には留められなかった感情を大爆発させながら、自分も『くーちゃん』を抱き締め返した。
その勢いが過ぎて、若干引かれた様子だったことも隠さずにここに記しておこうと思う。
大抵、疲れて帰って寝るだけの独身女が住んでいるワンルーム。
そんな一室で、今、世にも不思議な動くぬいぐるみとの共同生活が始まったのだった。
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