第17話 差し伸ばされる手のひら
神様の前で泣いたあの日以来、少しだけ神社に近づくのを躊躇っていた私は久しぶりにやって来た。
鳥居の前までやって来ると、すーはーと呼吸を整えてから足を踏み入れる。
十日くらい離れていただけなのに、初めてここへ来ました、と思うほど緊張していた。
それはもしかしたら神様に会うのが恥ずかしかったからかもしれない。
「おや、香織ではないか」
なんの脈絡もなく聞こえた声に、へ、と上擦った声が漏れた私。慌ててあたりをキョロキョロすると、私のはるか上の方に浮いていた。
まだ心の準備などできていなかった私は、いつになく鼓動がうるさかった。
「久しぶりだな。あの日以来か?」
すうっと降りてくると、私の目の前でピタリと止まる。
「う、うん……」
あの日と言われるだけで、昨日のことのように記憶が急速に手繰り寄せられる。それだけで心は落ち着かなくなる。
「久しく顔を見ていなかったが」
そう言って、おもむろに私に向かって手を伸ばしてくるから、咄嗟にぎゅっと目を閉じる。
ふわり、と頭にわずかに感じる温もりに、恐る恐る目を開ける。
「思ったよりもおまえが元気そうでなりよりだ」
柔らかく微笑んだ神様。
胸がぎゅうっと熱くなる。
「……心配してくれてたの?」
「おまえが人前であれほど泣いたのは初めてだからな。気にするのは当然だろう」
「そ、そっか……」
──当然、か。たったそれだけの言葉に泣いてしまいそうになる。涙腺壊れているのかな。
「どうだ。少しは、すっきりできたか?」
神様がいつになく優しくて、少しだけ困惑する。
「う、うん…」小さく頷いて目を逸らす。
私、前はどうやって神様に接していたんだろう。
「そうか、それなら私が胸を貸してやっただけあるな」
そう言うと、ニヤリと口元を緩める。
「貸してやったってあれは神様が勝手に……!」
いつもの神様の姿が見えて、感情的になる私。
「そうだ。その意気だ」
私の顔を見て安堵したような表情を浮かべた。
「おまえに悲しい顔など似合わぬからな」
「に、似合わないってべつに私だってわざとしてるわけじゃ……」
ない、と言い切る前に「ああそうだ」と頷いた神様は、
「だからいつもそうやっておまえが笑って元気でいる方が私は好きだぞ」
突拍子もない言葉を告げられて、え、と困惑したあと思考回路が停止する。
……好き?
「ああそうだ。……だが、おまえたちが思っておる“好き”とは少し意味が違うがな」
また、勝手に人の心を読むから。
「ちょっと、勝手に人の心読まないでってば……!」
「なんだ。照れておるのか?」
「そうじゃ、ないけど……!」
否定をしてみたけれど、どうせ心の中読まれているんだ。言い返すだけ無駄な気がしてくる。
現に今だって心の中読まれているに違いない、そう思って顔をあげて神様を睨みつけると、
「ああそうだ、おまえが思っているすべてを私は知っている。だから私の前で言葉を発そうと発しまいが、関係ないのだ」
ほら、やっぱり。何度言っても読むのをやめてはくれない。
どうやら神様は、身勝手らしい。
「なに? 私が身勝手だと。人間の分際でそのようなことを言いおって」
「べ、べつに言ってないもん……」
「心の中の声が聞こえておるぞ」
全く、と呆れたように肩を落とした。
心の中で思うだけならセーフでしょ、なんて子どもじみた言い訳をするけれど。結局全部神様に聞かれてしまっているのだからアウトなのだろうか。
「やれやれ」私のそばからふわりと浮いた。地面とわずかに距離ができる。
ちら、と私へと視線を向けた神様が、
「人間というものは怒ったり笑ったり照れたり泣いたり大変だなぁ」
と、言って呆れたように笑った。
神様から見れば、私は大変そうに見えるのかな。まあたしかに、喜怒哀楽に左右されて心はずっと不安定だったけれど。
それは生きていれば誰にでもあることだ。
ただ、それを我慢できるか我慢できないか。そして、うまく付き合っていくことができるのかどうか。
「それよりあいつとはどうなったのだ」
なんの脈絡もなく告げられて、え、と困惑した声を漏らす。
けれど“あいつ”に心当たりがある私。
「……べつに、どうもなってないけど」
目が合っていたら心を読み解かれそうで、ふい、と視線を逸らす。
神様が聞くとすれば、田中くんのことしかない。なぜなら、彼は私の運命の人らしいから。もちろん私は認めてはいないけれど。
「嘘をつけ」
そう言いながら、ずい、と顔を寄せて、
「あれから少し心に変化があっただろうに。私は知っておるのだぞ……全く。神様である私に嘘をつこうなど百年も早いわ」
百年って……
「神様はいくつなの?」
「話を逸らすでない」
こら、と注意をされてコツンとおでこを小突かれた。
「私が知らぬと思っておるのか?」
さらに言葉をまくし立てられるから、逃げ場をどんどん失う。
神様は何でもお見通しで、私の心の中なんていとも容易く読み解いてしまう。
逃げることも誤魔化しも通用しない。
「おまえはあいつのことを少なからず苦手ではなくなっておるようだな。しかも、どうやら一緒にいる時間が悪くないらしい」
「──なっ!」
「どうだ、図星だろう」
得意げにニヤリと笑う。
よほど自信があるらしい。
「全然、図星なんかじゃないもん……」
胸の前で両肩を抱いて心臓をガードするけれど、こんなことしたって何の意味もない。
「意地を張っておるでない。いい加減素直になれ、香織」
と、少しだけ傲慢な態度の神様。
「べつに…」言うと、ふい、と視線を逸らす。
意地なんか張ってないもん、ほんとに。
神様が勝手なことばかり言うから、いけないんだよ。
「あいつのことが気になっておるのだろう?」
「なっ…てない」
「よくもまあ、そんな嘘を」
「嘘じゃないんだってば」
売り言葉に買い言葉で言い合う私と神様。
全く、と呆れたように肩を落としたあと、
「おまえがこれだけ意地っ張りなやつだとは知っておったがまさかここまでとはな…」
「……べつに意地っ張りじゃないもん」
違うってことを違うって否定するのは悪いことじゃない。それを意地っ張りだと言われるのは納得がいかなかった。
「自分自身のことにも気づいておらぬのか?」
「だからほんとに違うんだってば」
なかばムキになりながら言い返すと、私を見つめたまま、はあー、と頭を抱えて盛大なため息をついた。
「これじゃあますます先が思いやられるな」
またため息をついたあと、
「まあよい。そのときは私の出番だ」
フッと得意げに笑って見せた神様。
……出番って、なんの? 首を傾げるけれど、どうやら教えてくれるつもりは毛頭ないらしい。
「それより、おまえは先にやらねばならぬことがあるようだからな」
やらなきゃいけないこと?
「──あっ」
思い出すと声が漏れた私。
「なんだ。忘れておったのか?」
「いや、べつにそういうわけじゃないけど…」
神様と話していると、悩んでいる自分がちっぽけに感じてしまうというか、悩んでいることすら忘れそうになる。
……でも、そうだよね。私、友人たちとどうするかちゃんと決めなきゃいけない。
「それを解決しなくては先へ進めぬからな。しっかり己自身の気持ちと相談して決めるのだ」
真っ直ぐ手を差し伸ばされてふわり、と頭に載っかった優しい温もり。神様の優しくて大きな手のひら。
「私はいつでもおまえの味方だ」
「……味方」
「どうだ。私が味方なら怖いものなどないだろう?」
ニヤリと傲慢的に笑った。
話の主語なんて何も指し示されていなかったけれど、あの日と同じ優しさを向けられて理解する。
急速に記憶が手繰り寄せられて、あの日の思いが全部流れてくる。
でも、それを支えてくれたのは間違いなく神様で。
それはとても、
「……うん、強い味方だね」
口元を緩めて、笑ったんだ。
そしたら、そうだろう、と神様も笑った。
その瞬間、これからどうするべきなのか少しだけ出口が見えたような、そんな気がしたんだ──。
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