第16話 正しい選択とは



この状況をどうすればいいのか打開策が見つからなくて、それからというもの私たちは別々に過ごしていた。そんな日が過ぎること十日ほど。


ひとりぼっちになることを覚悟していたのだけれど。


「……な、なんで、田中くんがここにいるの?」


ちら、と右側へ視線を向けてみれば、同じ階段に座って黙々とお弁当を食べている姿が視界に映り込んだ。


「なんでって、あれは僕の責任でもあるからその責任を取ろうと思って」


一週間ほど前に、あれほど田中くんの責任ではないと言ったのにどうやらそれを納得していないようだった。


「だからそれは違うってこの前も言ったけど」

「うん。でもそれじゃあ僕の気が収まらないから。なるべく邪魔はしないから、ここに置いてよ」


そんなことを呟いたあと、お弁当箱の中へ視線が戻り、食べることを再開する。

置いてよ、ってなに、その言い方。


優等生でガリ勉な田中くん。納得がいかないことがあれば誰にだって抗議するけれど、まさかここまでとは想定外だ。

今の彼に言ったところでここを離れるつもりはないらしく言い返すのをやめた。


私は、渋々諦めるといただきますをしたあとに、お弁当箱をパカリと開ける。

お母さんが手作りで作ってくれた、私の大好物な卵焼きや唐揚げなどがたくさん入っていて。胸がじーんと熱くなる。


一口食べれば、口いっぱいに卵焼きの甘さが広がって、目頭が熱くなる。

些細なことで泣きたくなるなんて、私昔よりもずっとずっと弱くなっているのかもしれない。


「あのさ」


ふいに、聞こえた声にわずかに顔をあげると。


「あれから何か話せた?」

「え?」

「あ、いや、ごめん! やっぱりなんでもなかった……!」


そわそわと落ち着かない彼は、お弁当箱の蓋を開けたり閉めたりを繰り返している。


“あれから何か話せた?”──は、おそらく友人たちのことだろう。そう理解するのは容易かった。

それだけ私のこと気にかけてくれているんだ。


ううん、田中くんだけじゃない。神様だって私のことを心配してくれていた。

この前だって、自分が味方なら怖いものなんてないだろう、そう言ってくれた。

たしかにその通りだと思う。


あの頃の私とは、全然違う。

私には味方が二人もいるのに、なに勝手に心細くなってるんだろう。


「……まだ、話せてないんだよね」


そう言葉を紡ぐと、え、と困惑した声を漏らしながら私へと視線を向けた彼。


「早くどうにかしなきゃとは思っているんだけど、なかなか勇気が出なくてぐるぐると考えているだけで全然前には進めなくて…」


あの日のあとすぐに話し合えばお互い分かり合えたのかもしれない。

でも、あれから時間が過ぎれば過ぎるほど私たちの間に溝ができて話すタイミングすらなくなってしまう。


でもさ。


「それじゃダメなのは分かってるんだ。だって、ずっと苦しいままなんだもん」


そんなこと昔から知っていて、


「早くしなきゃいけない、そう思うと焦って…焦れば焦るほど何も身動きがとれなくなるの」


そして時間だけが過ぎてゆく。

それはあの日も、同じだった。


けれど──


「……次は自分の選択を間違えたくない」


自分に言い聞かせるように力強く言葉を落とすと、


「選択?」


首を傾げた田中くん。


過去に一度私は、間違えているから。

それでつらい思いもたくさんした。


「これからどうすればいいのかちゃんと考えてみる」


高校生の私には難しい問題かもしれない。


けれど、何が正しくて、何が間違いなのか、きっとそれくらいは判断できると思うから。


「もし仮に一人になったとしたらどうするの?」

「……それは仕方のないことだと思う」


そう割り切るしかなくて。

だって結局は、どちらかを選択しないといけないときがやってくる。


「もちろん一人になるのはつらいしほんとは嫌だけど…我慢してまで一緒にいることではないと思うし…」


私は今まで間違っていた。

だから、こんなふうに後悔するはめになる。


あのときこうしていれば、あのときああしていれば、なんて思いは数知れず。

けれど、それをやり直すことはできない。


だったら次は。


「後悔しない選択をしてみる」


もうそれしかなかった。


「……うん、そっか」


顔を見合わせてそんな言葉を紡いだら、静寂な時間が訪れた。


そこに気づかいなど必要ない。言葉など必要ない。

ゆっくりと過ぎてゆく時間だけが、私には心地よかった。


時折吹く風が、ガタガタッと屋上へと続くドアを揺らすけれど、それ以外はしーんと息が詰まりそうなほど静かだった。


ちら、と気づかれないように右側へ視線を向ければ、田中くんはこちらへ気づくこともなく黙々とお弁当を食べていた。

卵焼きやウインナーは好きなのに、彩りとして入っているプチトマトを最後まで残していた。

どうやら彼は、野菜が苦手らしい。


「……プチトマト嫌いなの?」


そう尋ねれば、なっ、と慌てたように声を漏らしながらこちらを向く。

顔は、真っ赤に染まっていて。トマトと同じように熟れている。


「べ、べつに嫌いなわけじゃない。好き…なものは最後に食べようと残しておいただけだ…!」


だからこれが嘘だと気づくには容易かった。


「ほんとに? でもさっきからトマトをお箸でちょいちょいって避けてたよね」


真実を告げると「そ、それは」と言葉に詰まらせて言い訳などできなくなる彼。

さっきまで真面目な顔でお互い話をしていたのに、数分後にこんなふざけ合うなんて誰が想像しただろう。


「知ってる? トマトにはリコピンがたくさん入ってて美肌効果があるんだよ」

「それは知ってるが、僕にそんなものは必要などないんだ…!」


トマトの栄養素なんて彼が分からないはずはない。それなのに私があえて言ったのは、わざとだ。


「頭も良くなるらしいよ」


あることないことでっち上げると、そんなものは聞いたことないぞ、と矢継ぎ早に言い返される。

いくら動揺していたとしても、彼の知識から逸脱しているものがあれば容赦なく否定するようだ。


「もしもそれかほんとならば、蓮見さん。きみが食べるといい」

「え、なんで…」

「だって蓮見さん、この前のテスト悪かったじゃないか。もっと勉強に力を入れるべきだよ」


なんて言われてしまうから、余計なお世話だと言って切り捨てた。

最後の最後で余計な一言を言ってしまうところは、今も健在らしい。


「どうせ、トマト食べたくないから私にあげようとしてるんでしょ」

「なっ! そんなはずは、なかろう!」


動揺したあと、眼鏡の真ん中をくいくいっと二度押し上げる。

いつもならそれは一度で済むのに、そう思ったらおかしくてたまらなかった。


「これは僕の好物だ!」


終いには、そんなことを力強く言った田中くん。


お箸で掴んで持ちあげたそれを、レンズ越しにしばらく見つめたあと、ゴクリと唾を飲んだ。

上下に動く喉仏が、どうやら覚悟を決めたようで。──パク、とそれを口の中へ入れて一噛みする。


その直後、


「……まっずい!!」


盛大に顔を歪めて告げた。


それを見て、私は思わず笑ってしまったんだ。


友人と関係がこじれてひとりぼっちになって、とても悲しくてつらいはずなのに。

どうしてこんなに笑っていられるんだろう、と不思議だった。


けれど、彼がいる右側がすごくぽかぽかしているようで。


もしかしたら田中くんが一緒にいるからかもしれない、と。そう思ったら、小さく胸がどきどきした。

これが恋? なんてそんなはずないよね、と頭を振りながらも、その小さな鼓動は確かに存在していた。


──なぜだか分からなかったけれど、彼と過ごす時間は不思議と嫌じゃなかったんだ。

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