第13話


放課後、帰り支度をしていると担任の先生に呼ばれて雑用をする羽目になった。


「蓮見、ありがとう。助かったよ」


そして十五分ほどで雑用は終わって、先生にさようならとあいさつをしたあと職員室を出た私。

田中くんはまだ教室にいるのかな。勉強してたりするのかな、そんなことを考えながら自分の教室が見えてきて入ろうと思ったとき。


「ねーねー、香織のことどう思う?」


教室から聞き覚えのある声で私の名前を呼ばれてピタリと足が止まった。

瞬間、過去の記憶が急速に手繰り寄せられて、ドクンッと嫌な音が弾ける。その場から一歩も動けず、胸の前でぎゅっと拳を握りしめた。


「あー、それ私も聞こうと思ってた」

「え、ほんと? じゃあもしかして私と同じこと思ってるかも。香織が秘密主義なことでしょ?」

「それそれ! やっぱり一緒だったんだ」


ちら、と気づかれないように教室を覗けば二人は意気投合して声色が弾んでいるようだった。

その傍らにお菓子やジュースが置かれて見えた。


「今朝のあれもさー、どう思う?」


まさかこんなふうに影で私の話をされる日が来るなんて思っていなかった。だって自分としては周りに合わせようと頑張っていたつもりなのに。


「なんか隠してたよね。うちらには気づかれたくないっていうか、焦った顔してたし」

「確かに。それに田中くんの香織のことフォローしてる感じがあったよねー」


全然そんなことない。田中くんは、ほんとに関係ないのに……


「いつも言葉濁したりするし、うちらの前では合わせてるような気がするし」

「私もそれ思ってたんだよねぇ。いつも自分の気持ちとか全然言わないからさぁ、本心はどう思ってるんだろーって」

「秘密主義者なのか分からないけど、友達ならべつに言ってくれなくてもよくないって感じなんだけど」


淡々と並べられていく言葉は、まるで音楽のリズムのようで。

二人の会話が過去のトラウマとリンクして、のどの奥がぎゅーっと苦しくなった。

もう聞きたくない、見たくない、そう思っても足の裏が接着剤か何かでくっつけられたように床から離れない。


「香織って最初からあんな感じだったよね。うちらと一緒にいるけど、大事なことは絶対に言わないみたいな」

「あー、分かる分かる。上辺っぽいっていうか、合わせてますみたいな感じするよね」

「そんなに私たちのことが信用ならないのかねー」


そう言ったあと、お菓子の袋に手が伸びる。


合わせようとしていることも本心を言わないことも全部、彼女たちには気づかれているみたいだ。

でもだからって何もここで話さなくても……


「それにうちらが恋バナしてても香織ってあんまり乗ってこないよねぇ。なんか聞いてるだけっていうか」

「あーうんたしかに。それはあるよねぇ。自分からそういう話もしてこないし。好きな人がいるって知ったのも事後報告だったよね」

「たしかに。それに結局告白もしなかったみたいだしさぁ……」


二人の背中を見つめながら、私こんなところで何やってるんだろう。

早くここから逃げれば嫌なこと聞かなくて済むのに傷付かなくて済むのに、どうして私の足は動かないの?


「まあでもさぁ、それもほんとだったか怪しいよね」

「え、どういうこと?」

「だからぁ、まさか私たちの話に合わせるためにカモフラージュしてたりしてってこと!」


……違うよ。松田くんのことは、ほんとに好きだったんだもん。二人には言ってないけれど、ほんとにちゃんと好きだった。

でも今さらそんなこと言えないし。言ったところでだから何だって思われるだけだろうし。


「えー、まさかぁ! あ、でも香織ならあり得るかも」

「でしょでしょ」

「それで結局誰が好きだったの?」

「さー……最後まで教えてくれなかったし。そういうところほんと秘密主義者だよね」


ねえ、もうやめて……私に悪いところがあるなら全部直すから、私の傷をえぐるのはやめてよ。

不満があるなら私、謝るから。だからどうかもうやめて……


どうやったらこの会話は止まってくれるの?


「もしかしたらうちらのこと見下してたんじゃないの? だからあんまり話に乗ってこなかったとか」

「あー、それは可能性あるかも。だって香織って私たちとキャラ違うもんね」


キャラ……か。たしかに私、なんで二人と一緒にいるようになったんだろう。全然タイプが違うのに、もっとべつな子を選べばよかったのに。どうして私、二人と行動するようになったんだろう。


「ちょっと可愛いからってさぁ、自分だけは特別だとか思ってたりして。だから本心では合コンに行ったうちらのことも笑ってたりして」

「あー。だから仲原くんの連絡先も受け取らなかったってことか!」


仲原くんなんて関係ないし、二人のことだって笑ってない。勝手に解釈しないでよ……


たしかに私が自分の気持ちを伝えたりしなかったせいかもしれないけれど、だからといってこんなふうに影で言われることになるなんて思わなかった。

自分では頑張っているつもりで、周りに合わせて輪の中からはみ出さないように気をつけていた。そうすれば過去と同じようにはならないから大丈夫だと信じてた。

でもまさか、それが逆効果になっていたなんて。人間関係はほんとに複雑だ……


「──あれ、蓮見さん?」


ふいに背後から声がする。

驚いた私は肩をビクつかせて振り向いた。

そのせいで少し触れていたドアがガタッと鳴る。


「だ、誰?」


教室の中から困惑したような声が二つ落ちた。


わ、やばい……今ここで二人に見つかるわけにはいかない。身体を縮こませて身動き一つせずに立ち尽くしていると「なるほど」小さな声で呟いた彼。眼鏡の真ん中をくいっと押し上げて、少し眉間にしわを寄せると教室の方へ足を進める。


「な、なーんだ、田中くんかぁ……」

「もうー、驚かせないでよね」


すると、安堵した声が落ちる。

二人は私がここにいるなんて想像もしていないだろう。

でもよかった。今、彼女たちに見つかったら私、なんて言えばいいのか言葉が見当たらない。


「なんだとは失礼だな」


「だーって田中くんだし」

「そうそう。田中くんならべつにいいかなーって」


最初から田中くんのことを苦手だと言っていた二人は、気を使うという言葉を知らないらしい。

本人にすら苦手意識を隠そうとはしなかった。


「あのさ、二人は蓮見さんの友人じゃなかったのかい?」


なんの脈絡もなく田中くんがそんなことを尋ねるから、え、と二つの声が重なって落ちた。

廊下で隠れる私にもその声が聞こえて、小さく顔をあげた。


「いつも一緒にいる彼女のことをそんなふうに思って影で悪口を言って、良心が傷ついたりしないのかい?」


「はっ……はぁ…?」

「なっ、なによ、聞いてたの……?」


逆鱗に触れられたかのような声を漏らす二人。ガタガタッと机や椅子が揺れる音がする。おそらく動揺したのだろう。


「誤解しないでもらいたい。僕が聞いていたんじゃなくて、きみたちの声が大きくて廊下まで聞こえてきたんだ」


田中くんはひるむことなく堂々と告げていた。


「だ、だからなんだって言うのよ……!」

「そうよ!」


これは私と友人たちのことなのに、どうして田中くんはそこまで無関係な人のために強くいられるの?


全然、関係ないじゃん。なのにどうして……


「放課後は何しようか自由だから注意をするつもりはないけど、もし本人がそれを聞いてしまったら、聞いたらなんて思ってしまうか……なんて少しも考えたりはしなかったの?」


まくし立てられるように告げられた言葉に、え、と困惑した声が漏れる。

それを抑えるように両手で口を覆うと、息を殺して身を潜めた。


「も…もしかして香織がいるの……?」


恐る恐る言葉を紡いだ友人の声は、かすかに震えているようだった。

どうしよう。出たくない。会いたくない。……でも、ここまできてしまったら……


「……か、香織」


ドアの後ろから現れた私を見て目を見開いた二人は、顔を青白くさせる。

目を合わせるのも怖くて私はすぐに逸らす。


息を吸うのも苦しくて、ここにいるのも苦しくて。押しつぶされそうなほど重たい空気。

息があがりそうになる。そして、思った。

ああここは、酸素が薄いんだ。だから息が苦しくなるんだ。

そんな私に仕打ちをかけるように耳鳴りが、キーンと鳴る。

痛くて苦しくて、その感情に押しつぶされそうになる。


でも私、頑張れ。


「……勝手に盗み聞き…するつもりはなかったんだけど……た、タイミングが悪かった、のかな……」


のどの奥から声を押し上げて、どうにかして言葉にする。


「まさか二人に…不愉快な思いを、させていた…なんて知らなくて、」


どうして私、笑ってるんだろう。

どうして私、気を使ってるんだろう。

ここまできてもなお、ひとりぼっちになるのが怖いのだろうか。


笑って誤魔化すのも、言葉に気を使うのも、全部。全部に疲れてしまって言葉が途切れた。


「香織、あのねっ……」

「今のは、えっと……」


──私、何のためにここにいたんだろう。


俯いて下唇を軽く噛んだあと、視界がぼんやりとする。もう嫌だ、ここにいたくない。そう思った私。


「──香織!」


かばんを掴むと、二人に何も言わずに走って教室を逃げ出した。


ここじゃない。ここは酸素が薄すぎるから。

どこへ逃げよう。分からなかった。

けれど、とにかくここから少しでも離れて息を吸いたい。

胸が、のどの奥が、キリキリして血が滲んできそうだった──。

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