第10話 優しい神様


翌日、私は田中くんにどういう顔をして会えばいいのか分からなかった。

なぜなら、昨日田中くんとわりと真剣に恋愛の話をしてしまったのだから。

あのときは、松田くんと会ったあとで緊張して感情が高ぶっていたから話せたのかもしれないけれど、通常運転のシラフの私は、思い出すだけでも恥ずかしくてたまらなかった。


ちら、と右側へ視線を向けてみれば田中くんは黙々とノートに何かを書いている。その傍らには教科書が開かれていた。

どうやら彼は昨日のことを気にしている様子は全くない。


私ばかりが意識していて恥ずかしくなる。


でも、声をかけるなら友人たちが自販機に行っている今だ。


「あ、あのさぁ」


恐る恐る声をかけると、たった今まで動いていたシャープペンがピタリと止まり、ちら、と視線だけが私の方へ向いた。


「……なに?」


レンズ奥の瞳が、真っ直ぐ私を捉える。

どきっ、と小さく胸が音を立てた。


「あー、えっと……今、なにしてるの?」


昨日の話題を持ち出すことができなくて、くだらないことを尋ねてしまう。


──ああもうっ、そうじゃないでしょ!


「今? ……ただ勉強だけど」

「へ、へぇそうなんだ。田中くんっていつも勉強ばかりしてるよね」

「勉強してる方が落ち着くからね」

「そ、そうなんだ」


ちーん。会話終了。


そんなことを聞きたかったわけじゃないのに。話すタイミング間違えちゃったのかな。

どうしよう、早くしないと友人たちが戻って来てしまう。

それに田中くんだってまた勉強に集中してしまう。……あー、どうしよう。焦れば焦るほど空回る。


「それより何か言いたいことがあったんじゃないの?」


そう言うと、シャープペンから手を離して眼鏡の真ん中をくいっと持ち上げた。


田中くんが声をかけてくれた。そんなこともう二度とないかもしれない。

それならタイミングは今しかない…!


「あのっ、昨日のことなんだけど……」


首を傾げた田中くんは、私から視線を逸らして斜め上を見上げながら「昨日?」と眉間にしわを寄せて考えた。


「何かあったっけ?」


うそ。あんな真剣な話をもう忘れちゃうなんて。……でも、そっか。田中くんからしてみればあんな話、大したことではないんだろうね。


「恋愛について、なんだけど……」


そう言ったあと、まだピンときていないような表情を浮かべるから、まだ未練たっぷりってやつ、と言葉を付け足した。

そしたら、ああ、と納得したような声を落とす。


「思い出したよ。たしか、松田くんのことが好きなんだったよね」


周りを気にせずそんなことを言うから「ちょ…」慌てた私は立ち上がり、アタフタする。

そんな私のことなど気にも留めず。


「立ち上がってどうかしたの?」


私が慌ててどうするの。落ち着け、と自分に言い聞かせて、すーはーと深呼吸をすると椅子に座る。


「私が松田くんのことを好きってことはあんまり人前で言わないでほしい……」


周りに聞こえないよう小声で呟いた。


「え、なんで?」

「あのね、友人たちにも松田くんが好きってことまでは言ってないの。ただ、好きな人がいるとだけ……」

「あ、そうなんだ」


きっと相手のことまで教えてしまったら、間違いなくあの二人は相手のクラスまで乗り込んで行きそうだから。


「ごめん、知らなかった……次からは気をつけるから」

「う、うん。そうしてもらえると助かる」


一応、口止め成功ってところかな。

一安心して肩の荷が降りる。


「もしかして話ってそのこと?」

「えっとまあ、それもあるんだけど……」


ちら、と右側にいる田中くんの様子を伺えば、いたって真面目な彼の姿がそこにはあって。

今までは、目が合ったことくらいでは動揺しなかったのに少しだけ緊張して鼓動が加速する。


「まさか田中くんとあんな話をすることになるなんて、思わなくて……どうやって接したらいいんだろうって恥ずかしくて、それで……」


タイミングを伺っていた。


そんな私を見て「え、あ、そうだったんだ」ようやく理解した田中くんは、相変わらず一ミリも動揺していなかった。

これじゃあ私ばかりが恥ずかしがっていて、なんだか悔しい。

そう思っていたのもつかの間、


「たしかに昨日の僕はどうにかしていたのかもしれない」


と、少し顔を赤くさせると視線を逸らす。


「まさか蓮見さんにあんなことを言ってしまうなんて、勉強一筋でここまで来た僕にとって大失態だ」

「……それは大袈裟じゃない?」

「いいや、それくらい昨日の僕はどうかしていたんだ」


急に態度を翻し、頭を抱えた。


そこまで態度が一変するなんて、田中くんってばなんかおかしい。そう思って、ふっ、と口元を緩めた。


「……な、なに笑ってるんだよ」


ちら、と私へ視線を向けた田中くん。動揺しているからか眼鏡が少しだけズレていた。


真面目でガリ勉なのに、接してみると田中くんを表現するにはその言葉だけでは足りなかった。


「なんだかさっきと態度が違うなぁと思って」

「そ、そりゃそうだ。なんて言ったって昨日のことを思い出してしまったんだから」


くいっと眼鏡の真ん中を押し上げた。


益々、田中くんという存在がおもしろくなる。


「昨日の言葉、私は嬉しかったけどね」


笑いを堪えながらそう言うと、


「蓮見さん絶対おもしろがって言っているだろ」


不貞腐れたような表情を浮かべながら唇を尖らせる。


一つ一つ変わる表情が新鮮で、田中くんの言うようにおもしろかった。

けれど、それを認めてしまえば彼は今後一切話してくれなくなりそうだから。


「べつにおもしろがってるわけじゃないよ」

「う、嘘だ……!」

「ほんとだってば」


私は、昨日間違いなく田中くんの言葉に救われたのだ。

恋愛のレの字も分からなくて勉強にしか頭にない、ガリ勉田中くんに。


「昨日田中くんが言ってくれたでしょ。人を好きになることは素晴らしいことなんだって。忘れることができないのは、それだけその人のことを好きだからって」


そう言うと、急速に昨日の記憶が手繰り寄せられる。あまりの嬉しさに思わず顔を緩めた私。


「そ、それを言うのはやめたまえ…!」


恥ずかしがる田中くんを無視して、


「それにこうも言ってくれたよね。蓮見さんが松田くんのことを好きなら無理に忘れようとする必要はないし過去にする必要もない。その日が来るまで今の気持ちを大切にしてあげたらいいんじゃないのかな──、って。ほんとに私、嬉しかったんだ」


まくし立てるように告げると、「なっ、やめっ…!」赤面した田中くんは、壊れたロボットのように口をパクパクさせて手をバタつかせていた。


これじゃあ全然優等生なんかに見えないよ。おかしくてクスリと笑った。


「だからさ」


「──ちょ、ストップ!」

続きを言おうと思ったら、動揺する彼に止められる。

顔を逸らしたまま、私の方へ向かって真っ直ぐ手を伸ばす。


「……もう、その辺でよしてくれ」


どうやら先に白旗を上げたのは、田中くんらしい。


仕方ない、そう思った私は、クスリとまた笑ったのだ。

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