第9話 きみの言葉の本当の意味



「この前の合コンさぁ、めっちゃ当たりだったよねー」


休み時間、楽しいおしゃべりに花を咲かせ始める友人たち。


「分かるー。仲原くんとかすっごいかっこよくて、うち連絡先交換しちゃった」

「あー仲原くん、たしかにすっごいイケメンだったよね! 顔がタイプだった!」


ついこの間行った合コンについて意見を交わしていた。二人からの高評価を得たのは、どうやら仲原くんという人らしい。


私は行ってないから二人の会話に入ることができず蚊帳の外。

でも、いいの。だってこういう話題はあんまり得意ではないから。

少し派手めな二人は、イケイケの目立つグループなのに、どうして私ここにいるんだろう。そんなことを思ってしまう。


「ねぇ、香織」


ふいに声をかけられて「─へ?」素っ頓狂な声が漏れる私。

二人の視線が私に注がれる。


「香織、今の話聞いてた?」

「ご、ごめん、少しぼーっとしてた…」


自分がここにいるのは違和感しかない、そう考えるときりがなくて笑い方もぎこちなくなる。「ごめんね」と言って口元を上げる。けれど、頬が引き攣っている気がして笑えてる気がしない。

もういいよ、と許したあと、


「それよりさ、香織も連絡取ってみない?」

「え、誰と…」

「この前、連絡先交換した仲原くんと。彼ね、すっごいかっこいいの! それにめっちゃ優しいし、香織も気に入ると思うよ!」


仲原くんがどんな人かも分からないけれど、二人にとってはよっぽど好印象みたいだ。

けれど、私はどんな人なのかも分からない人と連絡をするつもりはない。


「えーっと、ごめん……私はいいや」


パチンっと両手を合わせて、謝った。


「そう言わずにさぁ、一度だけでもいいから連絡してみよ? きっと香織好みの人紹介してくれると思うし」

「そうだよ。次の恋に行こうよ。ね!」


二人に悪気はないのかもしれない。友人である私の新しい恋のために、と応援してくれているんだろう。


「ほんとーに、ごめん。私、まだ次の恋とか考えられなくて……」


気を悪くさせちゃダメだから、機嫌を取るように下手に出る。いかに二人を怒らせないか、逆鱗に触れないように言葉を選ぶのかが別れ道。

もう二度とあんなつらいこと経験したくないから。


「香織可愛いのにもったいない」

「そーだよ。香織ならすぐに彼氏できそうなのに」


その言葉に困って、少しだけ俯いた。


人の言葉って100%本音とは限らない。

だから可愛いとかすぐに彼氏できるとか、そういう言葉だって上辺のように聞こえてしまう。

そんなふうに思ってしまう私は、二人のことを心から信用できていないのかもしれない。


私、ほんとはここから逃げたいのに……


「──蓮見さん、ちょっと今いいかな」


突然声がして顔をあげる。私の右側に立っていたのは田中くんだった。ニコリともせず、制服をしっかりと着こなした彼は堂々としる。


「ノート運ぶの手伝ってほしいんだけど」


そう言われるから困惑して、瞬きを繰り返した私。


「…ノート?」

「うん。僕、今日日直であれ全部運ばなきゃならないんだけど、誰も手が空いてないらしくて。一人で運ぼうと考えたんだけど、どうやら僕の体力が足りないみたいで。だから手が空いてたら手伝ってほしいんだけどさ」


淡々と告げられる言葉に、返す暇は一秒たりとも与えられなかった。


「ちょっと田中くん、今うちらが香織とせっかく話してるのに勝手に連れて行こうとしないでくれない?」

「そうだそうだ。今肝心な話してるんだから邪魔しないでよねー」


二人は田中くんに不満をあらわにする。


だが、そんなことで彼が怯むはずがなかった。


眼鏡の真ん中をくいっと押し上げると、


「そんなの僕にはよく分からないけど、ノート運びよりも肝心なことなのかな。だとしたらきみたちに譲るけど……そうじゃないなら少しだけ蓮見さん借りて行くよ」


まくし立てられるように告げられた言葉に二人とも呆気にとられてしばらくポカンと固まっていた。


「じゃあ、蓮見さん。そういうわけで手伝ってもらってもいいかな」


ちら、と私へと向いた視線。


「あ…う、うん」


ほんとにいいのかな。二人を確認しながら立ち上がる。


そんな私を止めるように、


「香織、べつに手伝わなくてもいいんだよ!」

「そうだよ。そんな勝手なやつの話なんて聞かなくていいんだって」


田中くんへと向いたそれは、間違いなく敵意だった。


「う、うん。でもほら、田中くん困ってるっぽいし少しだけ手伝ってくるね」


私の意思で、彼について行くのではないと示して自分の身を守る。

これじゃあきっと田中くんだけを悪く思うし、二人の感情は収まらないだろうから。


「すぐ戻るから、またあとで話しよ!」


軽く手を振ったあと、田中くんの背中を追いかけた。


「なんか、ごめん」


ノートを半分ずつ持って廊下を歩いているときに、なんの脈絡もなく告げられた。

何に対して謝られたのか、話が見えなくて、


「え、なに……?」


困惑した声を落とす。


「あ、いや、その……」


言葉に詰まらせた彼は、気まずそうに視線を逸らしたあと、


「さっき僕がいきなり声かけたから……あの二人に気を悪くさせちゃったかな、と思って……」


レンズ奥の瞳は、申し訳なさそうに元気がないように見えた。


もしかしてさっき私が困っていたと思って、声をかけてくれたってこと……?


じゃあ。


「……ノートを運ぶ人が誰もいないってのは」


「あ、うん。あれは嘘」

「そうだったんだ……」


少しだけ納得した。


「でも、なんで」

「だって…蓮見さんが少し困ってるように見えたから声かけたんだけど……」


そう見えたから、といって助けてもらうような間柄ではないのに。

「それに」と、ちら、と私の方へ視線を向けると、


「この前、人間関係でこじれたことがあるって言ってたから…その、気になって…でも余計なことだったかな……」


ふい、と気まずそうに視線を逸らす。


神社に行ったとき田中くんと会って、どうして過去の話をしたんだろう。

人間関係のことで悩んでいた、なんて誰にも言ったことなかったのに田中くんにはなぜか言えてしまったものだから。自分でもまだ信じられなくて、戸惑った。


どうして私、田中くんにあんなこと言っちゃったんだろう。

時を巻いて戻せるなら、戻したい。

けれど、そんなこと不可能なのは重々理解していた。


「あんまり詳しいことはよく分からないから、僕が口出しするようなことではないと思うんだけど……」


段々と小さくなってゆく声に、弱々しくなる横顔。


「仲をこじらせてしまったとしたら謝るよ。ほんとにごめん」


重ね重ね、謝る田中くん。


いつになくしおらしくて、少し違和感さえ覚えてしまう。


「……ありがとう」


そんな彼に、対照的な言葉を告げた。


そしたら田中くんは、え、と困惑した声を漏らして私へと視線を向ける。ぶつかった視線は、挙動不審に瞳はゆらゆらと揺れる。


「なんで、」


あのとき、たしかに。


「助かったから」


──だって、自分一人では何も言い返すこともできなかったし、逃げることもできなかった。


「田中くんが割って入ってきてくれなかったら、どうなっていたか分からないもん」


──過去のトラウマに囚われた私は、自分の素直な気持ちを言うことができなかった。


きっと今頃押し切られて、顔の分からない名前しか知らない仲原くんという人と連絡を取らされたかもしれない。

そう考えるだけで、憂鬱な気持ちがどっと押し寄せた。


「だから、ありがとう」


一方的に私がしゃべって、それを黙って聞いていた田中くん。


「べつにそんな感謝されるようなことなんて僕はしてないし…」


饒舌になる口調は、どうやら照れくささを隠しているようで。

右側を向いて彼の姿を視界に入れれば、赤く染めた耳がしっかりと映り込む。


「むしろ迷惑だったかなとさえ思っているし…」

「そんなことはないよ」

「でもなんか二人が話してるところに割って入ったから僕のこと若干睨んでたっぽいし」


次から次へと矢継ぎ早に現れる言葉。

どうやら彼は、あの二人のことが気がかりらしい。


たしかに私も、なんて思ったけれど。


「大丈夫じゃないかな」


説得力なんかまるでゼロ。

根拠だって何一つない。


けれど、私を助けてくれた彼の不安を取り除いてあげたいと思ったんだ。


校則違反にならないきっちり短く整えられた髪の毛と、真っ赤になった耳。

見た目は地味で目立たない田中くん。

だけど、なぜか綺麗に見える。

顔がイケメンだとか整っているとか、そういうわけではない。それなのになぜ、そんなふうに思うのか不思議だった。


それに少し前の私なら、苦手な相手とこんなふうに無駄なおしゃべりはしなかった。

一秒でも早くその場から逃げるために、なんとか誤魔化していたのに。

田中くんとの会話は、不思議と嫌じゃない気がした。


「おい、高山!」


廊下を歩いていると教室から声がしていきなり目の前に飛び出して来た生徒。

それを言葉で例えるなら、ホームに滑り込んできた電車のようで。

驚いた私は「わっ!」声をあげて持っていたノートが床に散乱した。


「ご、ごめんなさい」


咄嗟に見上げて謝った。すると、目の前にいたのは……私が好きだった松田くん、だった。


ドクリと蠢く鼓動は、生き物のように身体中を駆け巡る。

目が合った瞬間、思わず息を吸うのを忘れてしまいそうになった。


「俺こそ、ごめん!」

「あ…う、ううん、大丈夫」


すぐにしゃがんでノートを拾う。


よりによってこんな廊下のど真ん中でノートを散乱させるなんて。たくさんの視線が集まって、恥ずかしくなる。

もう最悪、心の中で文句をつきながら、急いでノートを拾い集めた。


少し上の方から田中くんが「大丈夫?」と私を心配する。その声に大丈夫、と返事をする。

私の声、変じゃないかな。上擦ったりしてないかな。いろんな不安が頭をよぎる。


「ほんとごめん」


ふいに、私のそばにもう一つ手が見える。


「俺がいきなり廊下に出たからだよね。びっくりさせちゃってごめんね」


と、言いながら拾うのを手伝ってくれる。


「……わ、私も……前ちゃんと見てなかったから…」


その相手は、私が好きな松田くんだった。


面と向かって話をするのは、初めてで。すごくどきどきする。

松田くんに彼女がいると知っているのに、どうしてこんなに胸が鳴るのかな。


「いや、それは俺の方だ。まじでごめん」


拾い集めたノートを私に手渡してくれる。


「あ、ありが、とう……」


そのとき静かにぶつかった視線。

張り詰めるような空気が、この場を支配する。


そわそわして、落ち着かない。

こんな場面、彼女に見られでもすれば私が何か言われちゃうかもしれない。


「怪我とかしてない?」

「う、うん…」

「そっか! よかった!」


人懐っこい笑顔で笑った。

その笑顔に胸が熱くなり、ぎゅーっと締めつけられるようだった。


「おーい、松田。早くこっち来いって」


松田くんを呼ぶ声に、おー、と返事をした彼。


「ほんとごめんね!」


パチンっと両手を合わせて謝ったあと、じゃあ、と軽く手を振った彼は友人の元へ駆けて行った。


松田くんと話したのは、ほんの一瞬に過ぎなかった。


彼がいなくなったあと、私はその後ろ姿を追いかけた。


失恋してから結構時間経つのに、私まだ松田くんのこと諦められてない。

……まだこんなにも好きなんだ。


「蓮見さん?」

「な、なんでもない」


すっかり忘れていた田中くんの存在を思い出して、おどけてみせたあと、松田くんが行った方へ背を向けた。


落ち着かない鼓動は、うるさかった。


「あのさ」


ポツリと声を落とした田中くん。言いにくそうに言葉に詰まらせる。

どうしたんだろう、思って見つめていると、


「蓮見さんの好きな人ってもしかして今の松田くん?」


あまりにも突然すぎて、思わず、え、と声が漏れた。


「な、なんで……」


だって、田中くんが意外なことを尋ねたから。


「いやだって、ずっと松田くんの方見てるようだったし、それになんか顔赤いし」

「そ、それは、暑いから…とかじゃないかな」

「うん。でもなんか、いつもの蓮見さんと違って見えたから」


勉強ばかりしかしてこなかった田中くんに、私の好きな人を見抜かれてしまうとは。つい最近買った『恋愛マスターになるには』の本を読んで着々とレベルアップをしているのかもしれない。


「……私、そんなに違って見える?」

「うん。えっとなんだっけ……ああ、そうそう。恋する人は乙女になる、だったかな。そんな感じに見えるんだよね、今の蓮見さんの顔」


どうやら、本に書いてあった言葉を思い出していたらしい。こういうところで本に書かれてある言葉を持ち出すなんて、田中くんらしい。


「……おかしいよね」


思わず、口をついて出た。


「え?」

「だってさ、彼女がいるって分かってから結構時間経つし失恋もしてるのに、まだ好きだって引いちゃうよね」


未練がましいって言うのかな。私、自分がそんなふうになるなんて思ってもいなかった。

今までの自分は、どうやってそれを過去にしてきたのかな。乗り越えてきたのかな。よく思い出すことができない。


「全然おかしいことなんてないと思うよ」

「え?」

「あ、いや、僕に言われたってなんの説得力もないかもしれないけど……人を好きになることは素晴らしいことなんだ、って。忘れることができないのは、それだけその人のことを好きだから……って本に書いてあったんだ」


田中くんから出てくる言葉とはどれも思えなくて、呆気にとられる私。


けれど、“人を好きになることは素晴らしいことだ”を恥ずかしげもなく真面目な顔で言ってしまえる田中くんは、すごくて。

自分なら、歯の浮くような言葉に少し照れくさくなってしまう。

それに“忘れることができないのは、それだけその人のことを好きだから”は、今の私を表しているようで。

もしかして田中くんは、私のことを気遣っているのかな。だから私の似たような境遇の言葉をチョイスしてくれたのかな。


「だから、蓮見さんが松田くんのことを好きなら無理に忘れようとする必要はないと思うし過去にする必要もないと思う……その日が来るまで、今の気持ちを大切にしてあげたらいいんじゃないのかな……って僕は思います」


勉強ばかりだった田中くん。

彼から紡がれる言葉の全てが意外だった。


それと同時に彼の言葉はまるで、恋愛マスターのようで。

だから私は驚いて、田中くんの横顔を見つめることしかできなかった。


「──ご、ごめん! 何も分からず調子乗ったこと言っちゃって!」


けれど、すぐにいつもの田中くんに戻ってしまった。


でも、私は──


「ありがとう、田中くん」


「……え?」

「私、誰かにそんなふうに言われたことなかった。肯定してくれるのがこんなに心強いものだったなんて、全然知らなかったよ」


いつも自分の心を隠すことばかりに必死だった。

それなのに田中くんの前では、ポンコツな私で。人間関係のことや、好きな人のことまで。すべてバレてしまう。

けれど、それが怖いとかは一切なくて。


「もしかしたら私、誰かに肯定されたかったのかも。まだ好きでいていいんだよ、って受け入れてほしかったのかも」


どうしてだろう。友人たちにも話せていないことなのに、田中くんには言えちゃうのが不思議だった。

あれだけ彼のこと苦手だったはずなのに。


「べ、べつに僕はただ、本の中の言葉をそのまま音読しただけであって……」

「うん。でも、その言葉をどこでどう使うかによって説得力は変わってくるから。やっぱり田中くんは頭が良いね」


きっと今だって苦手なことに変わりはないはずなのに、私が思っているよりも田中くんは嫌な人なんかじゃないのかもしれない。


「いやっ、あの、ほんとに全然……そんなに褒められると明日雪が降りそうで怖いな……」


ハハハ、と苦笑いを浮かべながら、いつものように一言余計な言葉を追加する。


けれど、どういうわけかカチンとこなくて。


むしろ、ガリ勉の田中くんがそんな言い回しをするのがおかしくって。今までの上から目線の彼の言葉の中には、半分くらい照れくささを誤魔化す意味が入っていたんじゃないのかなと思ってしまった。


そう思ったら、もう少しだけ彼のことを知ってみたい、なんて一ミリくらい思ってしまったんだ。

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