第8話 どうやら本物の神様です


放課後、居ても立っても居られなくなった私はHRが終わって一目散に神社へ向かった。

休憩もなしにノンストップで走ったせいで神社についた頃には息があがり、ぜーぜー、と肩があがる。


十月下旬、まだ外は暑さが残っていて額をじんわりと汗が滲んだ。


「インチキ神様いるんでしょー!」


両手で口元に輪を作ると、声を叫ぶ。

けれど、しーんと静まり返った神社は私以外人の姿はない。

そして今日はおはぎちゃんいないみたい。

そのせいもあって少し不気味にすら感じる。


私がこの前帰り際にインチキ神様って言ったのを根に持って、どこかに隠れて私をおどかそうとしてる? それとも浮くための手品の種を用意している最中とか?


どちらにせよ、性格がひねくれていることだけは理解した。


「どうせどこかに隠れてるんでしょ。分かってるんだから早く出てきてよね」


声をあげるけれど、返事もないし姿もない。


ひゅ〜、と風だけが私を通り過ぎる。

まさか今、インチキ神様が通ったとか?

……いやそんなはずないよね。


「おーい、聞こえてるんでしょー」


もう一度呼んでみるが、応答はない。


そういえば、前のときは立場が逆だったよね。

空耳だと思った私がスルーしようと思ったら、いきなり神様と名乗るあの人が現れてきた。

あのときは、もちろん驚いたけれど。


神様っていったらもっとすごいパワーみたいなものを持っていそうだけど、ここの神様と名乗るあの人は、大した力を持っていなさそうに見える。

まるで、インチキなマジシャンみたい。


まあでも、空中に糸なんてついてなかったから不思議なんだけれど。

きっと、見えない何かで身体を操っているんだよね。


しばらく待ってみても現れる気配がない。

痺れを切らした私は、


「もうっ、早く出てきてよ! この……嘘つき神様! コスプレインチキ野郎!」


頭に浮かんだありったけの悪口を吐いてみる。


さあ、どうだ。さすがにカチンとくるだろう。怒って出て来てくれるかもしれない。

だが、全くの無反応で。


これでダメなら第二弾だ、そう思って、すうっと息を吸い込んでいると。


「──うるさいやつだなあ」


突然どこからともなく声がする。

一瞬だけ本殿の方が、ぱあっと光ったあと、人影がこちらへと向かってくる。ふよふよと浮いているように見えるその人物に、やっぱり見覚えがあって。


「…あ、インチキ神様」


思わず、つい指をさしてしまう。


すると、じろりと切れ長の瞳で睨まれて一瞬背筋がぞくっとする。


「私のことをそのような呼び方をするとはなんと無礼なやつだ。人間というものは礼儀というものを知らぬようだな」


眉間にしわを寄せながら私のそばへと降りて来ると、


「私自らがおまえに運命の人を教えてやったというのに。人間とは実に不愉快だ」


全く、とため息をついて少しだけ高い位置から私を見下ろす。

インチキ神様とは言え、見た目が神々しく見える。きっとそれは格好のせいだ。


何層にも重なって見える着物は、どれも高級そうな布を使用していそうだし、身につけているペンダントや髪飾りはキラキラ光り輝いて見えるし。

人間界では下級の私が、目にするような代物ではない。

おまけに顔は人間離れした整い方をしているし。


──だがそんなこと、私にはなんの関係もなくて。


「無礼だとか不愉快だとか、そんなのはこっちのセリフだから!」


と、私は不満をあらわにさせる。


「なんですか、運命の人って! 教えてやったって言うけど勝手に教えたのはそっちじゃないですか!」

「運命の人を知りたがっていたのはおまえだろうが」

「それは……! そうだけど……」


売り言葉に買い言葉で返すけれど、言葉にブレーキがかかる。それは、あのときの記憶が手繰り寄せられたからだ。

たしかに、あのとき運命の人を知りたがったのは間違いなく私だった。


「どうした、急に弱々しくなりおって。さっきまでの威勢はどこへ行ったのだ」


ふよふよと浮いたまま私を見下ろす。

何も言えずに固まっている私を見て「ああ」と何かを思いついたかのような表情をしたあと、


「それとももう降参か?」


ふっ、と口元を緩めて笑った。


「べ、べつにそういうわけじゃ、ないし…」


図星をつかれたようで恥ずかしくなった私は、ふい、とそっぽを向いた。


「じゃあなぜ頬を染めているのだ」


それを指摘するのは、きっとインチキ神様が意地悪な性格だからであって。

「ああ、そうかそうか」

ふよふよと浮いて移動してくると、私の目の前へとやって来る。


「人間という生き物には、喜怒哀楽というものが存在しておるんだったなぁ。そんなものに左右されるなんてなんとも滑稽だなぁ」


と、クックックッと引き笑いをする。


まるで自分には喜怒哀楽なんて存在していないかのような口ぶりに、もしやほんとに神様なのだろうかと一瞬思ってしまう。

だが、こんなインチキで意地悪な性格の人は神様なわけないっ。


「そんなんだからうまくゆかぬのだ。恋にしても、人間関係にしても」


突然、そんなことを告げられて、え、と困惑した声を漏らした私。

すると「なんだ」と私を見つめる。


なんだって、だって今、


「人間関係って……」

「ああ、言ったな。おまえは過去に人間関係で一時期こじれたときがあるからなぁ」

「えっ、なんでそれを」


一瞬薄寒くなって、背筋が凍る。


「──知ってるとも。私は神様なのだぞ。当然だろ? おまえの過去に何があったのかなんて探ることくらい造作もない」


益々、薄寒くなって唇の熱を奪ってゆく。


だって私は、過去のことをこの人に言った覚えはない。ここへ来て一度も。

だとすると、私のことを前から知っていたのか、それともほんとに神様だからそんな力があるのか。──間違いなくそれは、後者の方だろう。


「じゃあ、ほんとうに……? ほんとうに神様なの?」

「最初からそう言っておるだろう。それともなんだ、まだ疑っていたのか」


ため息混じりに肩を落としたあと、


「……ああ、そういえばさっきもインチキとか野郎とか言っておったなぁ」


また、クックックッと引き笑いをする。


どうやら神様で間違いないようだったけれど、笑い方には品がない。

やっぱり、見間違いなのだろうか。


「それに浮いているのが手品の種でもあるかのように思っておる。……全く、そんなわけなかろうに」


私が言葉にしていないことまでも読み解いてしまうから、え、驚いてしまう。


「……なに、心も読めるの?」

「そうだ。おまえの心なんか容易く理解できるぞ。なんならその証拠に今の心の中を全て暴いてやろうか」


ずいっ、と私に近づいて来るから、


「いいっ! いらない!」


両手で精一杯神様の身体を押し返す。


着物に触れると、存在を感じ取れるほど肉体はしっかりしているようで。

……ここにちゃんと実体があるんだ。


「もしかして触れぬと思ったか?」


勝手に私の心を読み解くから、「─へ?」と素っ頓狂な声が漏れる。


「実体のない霊じゃないんだ。突然、触れるに決まっておるだろう。まあ、私が神様で力があるからできることだがな。他のやつにはそうそうできぬぞ」


自己アピールでもしているようで、自慢げに言う。

まるで上から目線のそれは、ある人物に重なって見えた。


それはもちろん、優等生でガリ勉の田中くんのことだ。


「なんだ。また、運命のやつのことを考えておるのか」

「えっ、はっ…?!」


また勝手に人の心読んだんだ、そう思っていると「ほおー」と腕を組みながらニヤニヤしてくるから、咄嗟に胸の前をガードする。


「あれほど苦手だと言っておったやつが、まさかもうそこまで好いてるとはなぁ」

「はっ? 好い……? え、誰が?!」

「誰っておまえしかおらぬだろうが」


私が田中くんを好いているって?


ちょっとちょっと、


「そんな冗談言うのやめてよね!」

「なぜだ。おまえが今、そいつのことを考えておったのは間違いなかろう」

「いやっ、だからそれは、神様と田中くんの性格がなんか似てるなぁって思っただけで」


見た目は全然似てないけれど、端々で感じる親近感がまさしくそれだった。


「なんだ。そいつと私が似ているだと? …冗談じゃない。人間ごときと私を一緒にするでない」


腕組みをしたまま、ふいっと、顔を逸らす。


どうやら神様はプライドが高いらしく、人間と同じにされるのは納得できないらしい。


なんか、でも、


「……人間っぽい」


思わずポツリと漏らすと、その声が聞こえていたのか。


「私は神様だ」


ムキになって言い返すから、益々人間っぽく感じてしまう。


だってさっきは人間は喜怒哀楽に左右される、なんて言っていたのに神様だって左右されてるじゃん。そう思うと、少しおかしくなる。


「じゃあさ、そんな神様にお願い事があるんだけど」

「……いきなりだな」


私の方をちら、と見た。


「田中くんと繋がっている赤い糸を切ってよ。神様なら簡単にできちゃうんでしょ?」

「嫌だ」

「どうして?」

「だからそいつが運命の人だと言っておるだろう」

「だとしても、切ってくれたっていいじゃん」


神様が、田中くんとの赤い糸を結んだから最近いやに彼と関わることが多くなった。

それは間違いなく、一週間前のあの日を境に。


「それはできぬ」


首を縦に振ってくれなかった。


「どうして?」

「運命の人との縁は切れぬことになっておるからだ」

「え、うそ。じゃあ一生このまま……?」

「ああ、そうなるな」


神様が勝手に赤い糸を結んだせいで、運命の人は田中くんのままだなんて。

ああ、ほんとに私ってばついてない。不幸体質は今も健在で、神様と出会ったことが私にとって不運なのかもしれない。


出会わなければ、田中くんと赤い糸を結ばれたりしなかっただろうに。


「神様が勝手に結んだんだからどうにかしてよ!」

「私が勝手に結んだわけではない。そうなる運命だったのだ」

「私と田中くんがそうなる運命? そんなはずないじゃん! そんなことばかり言ってるからインチキ神様って呼ばれるんだよ」

「そう呼んでおるのはおまえだけだ」


売り言葉に買い言葉で言い返す。睨み合いの攻防が続いた。


確かに、インチキと呼んでいたのは私だけかもしれない。

けれど、神様に出会った人ならきっとそう思う人はたくさんいるはず。


「それに」言いかける。何を言われるのかと身構えていると、


「これからはおまえの気持ちにも変化が現れるからなぁ」


私の顔を見てニヤニヤしだす。その顔には、あまり品がない。


「へ、変化って…」


なに、もしかして、恋……?


「ああ、そうだ。おまえがあいつを好きになっていくのだ」


また、勝手に私の心を読む。


「ならないから……!」


そんなの絶対にありえない。

だってまだ私の心は、松田くんへの想いが残っているんだし。

「ふっ」

小さく笑い声を漏らすと、さらに私のそばに近づいて、私のあごに指をかける。


「まあ、どうなるか見ものだな」


と、口元をニヤッと緩めた。


神様の瞳は、青みがかっていて透き通るほどに綺麗なそれは、まるでサファイアのようで。

すらりと伸びる指先や顔は、日焼けを知らないほど真っ白だ。

神様に瞳を据えられると、逸らすことができなかった。


「おお、そろそろだな」


ふいに、そんな声を落とす。

私のあごから指を離すと、ふよふよと気持ちよさそうに浮いた。


「ど、どこ行くのよ……」


私に背を向けて、


「本殿だ。どうやらこれから私は邪魔者になるようだからな」


そう告げると、ほんとうに本殿の方へすうっと消えた。


そろそろってなに? 邪魔者ってなに? これからここに誰かが来ることを示唆してる?


「──あれ、蓮見さん」


突然、聞こえた声に驚いて、え、と漏らしながら、恐る恐る振り向く。

そこにいたのは、たった今鳥居から入って来た田中くんだった。


「……え、なんで、田中くんがここに……」


瞬きを繰り返して目を擦ってみても、どうやらそれは本物のよう。

だが、どうしてもここにいることが信じられなくて。


──蜃気楼のようだと思った。


「なんで、って。帰り道にここをちょうど通るから。それで偶然、蓮見さんが見えたから何してるのかなって思って」


知らなかった。まさかここが田中くんの帰り道だったなんて。


『どうやら私は、これから邪魔者になるようだからな』


その瞬間、さっきの会話が手繰り寄せられる。


それってもしかしてこれから田中くんが来ることを意味してた?


「それにさっき声がしたけど……他にも誰かいるの?」


あたりをキョロキョロする田中くん。けれど、姿はない。

だって田中くんが来る数秒前に本殿の方へ消えたから。


消えたといっても姿を見えなくしただけでここにいるかもしれないけれど。


「蓮見さん?」


田中くんの声にハッとする。


「あーえっと……だ、誰もいなかった、よ!」


慌てて目を逸らす。さっき神様が変なことを言ったせいで、いつも通りにできなかった。


『おまえがあいつを好きになっていくのだ』


だってそんなこと言われてしまえば意識せずにはいられない。

だからといって恋のように甘酸っぱいどきどきをするわけじゃない。


私が、田中くんに恋だなんて……そんなの明日雪が降るのと同じくらいありえない。やめやめ、と首を横に振る。


『にゃ〜』


ふいに、鳴き声がした。もしかして、と声のする方へ視線を向ければ、三毛猫が立ち止まってあくびをした。


「おはぎちゃん!」


しゃがんで両手を広げると、私向かってまっすぐ歩いて来る。


神様は、使い魔だと言っていたけれど、全然そんなことない。どこからどう見てもただの猫。


にゃー、と鳴きながら擦り寄ってくるから、小さな頭を優しく撫でてあげる。


「おはぎ……ちゃん?」


困惑した声を漏らした田中くん。


「それがその子の名前なの?」

「え、だって三毛猫の茶色と黒毛がきなことあんこに見えるでしょ。それにこんなにまん丸だから、もうおはぎにしか見えなくって」

「そ、そう……?」


ちら、とおはぎちゃんを見下ろす田中くん。

納得できていないような表情を浮かべていた。


「まあ、私が小学生の頃につけた名前なんだけどね」


その頃はてっきり野良猫だと思って勝手に名前つけたんだけれど。

神様は、ミケロ……なんとかって名前付けてたよね。すっごく長い名前で忘れちゃったけれど。


「みゃ〜」


鳴きながら、私のそばを離れるとおもむろに歩き出す。そして田中くんの前で座ると、彼を見上げた。「みゃ〜あ」と鳴いた。


「な、なんだよ」


言いながらも、しゃがむとおはぎちゃんを撫でる。


気持ちよさそうに目を細めながら、手にすりすりと頭を擦り付ける。


あれ、なんか懐いてる? しかもいつも真剣な表情しかしていないのに、今日はやたらと顔が緩んでる。


「……猫、好きなの?」

「そうだけど……」


逃げるように私から、ふいっ、と視線を逸らす。


「僕が猫好きで悪いかよ……」


真っ赤に耳を染めていた。


「あ、いや。全然悪くないけど」


だからかな。


なんか意外で。


「フッ」


声が漏れたから、慌てて両手で口元を抑えた。


「な、なに」

「いや、なんかかわ……」

「かわ?」

「ううん! なんでもない!」


思わず、かわいい、と言ってしまいそうになった自分に驚いた。


相手はあの田中くんだよ。優等生でガリ勉の地味な田中くん。かわいいの欠片すらないような……


「そういえば、どうしてここにいたの?」


なんの脈絡もなく告げられるから、え、と困惑した声が漏れる。


「ちょっとだけ用があったから……」


答えを用意していなかった私は、当たり障りのない言葉を言った。


「この神社に? 何かお願い事でもしてたの?」

「えーっと……」


田中くんとの赤い糸を切ってもらおう、と抗議をしていたところだったけれど。


「…まあ、そんなところかな」


神様にさっき言われた言葉がまた頭の中に手繰り寄せられる。恥ずかしくなって、目を逸らすと、ふーん、と興味なさそうに返事をする。


「蓮見さんも神社にお願いしたりするんだね」

「な、なに…」

「いやべつに。ただ、神様にお願いだなんて、意外と乙女みたいなところあるんだなぁと思って」


そう告げると、おはぎちゃんへと目線を戻して、柔らかい表情で撫でる。


私だけが、消化不良。


だって。


「……私、女ですけど」


意外と乙女ってなに。


「いや、知ってるけど」


おどけた表情で、顔をあげた。


「じゃあなに、意外と乙女って。神社でお願い事をするのがそんなに似合わないってこと?」

「え? いや、だからそういうわけじゃなくて…」

「じゃあどういう意味なの」

「それは言葉のあやっていうか…」


段々と雲行きが怪しくなる。私と田中くんの間に挟まれるおはぎちゃんは、私たちを交互に見つめて困惑しているようだ。

「えっと、だから」

言葉に詰まった田中くんは、挙動不審になる。


ちら、と一瞬おはぎちゃんを見つめたあと、


「べつに蓮見さんが女の子じゃないとかそういうことを言ったわけじゃなくて、神様とか神社とかそういう類を信じてるのかちょっと意外だったなぁと思っただけであって」


今度はやたらと饒舌になる。


間に挟まれていたおはぎちゃんが、私の方を見て「みゃー」と鳴くから。それが“許してあげて”と言われているみたいで。


……仕方ないなぁ。


可愛い瞳で見つめられたら折れるしかない。


「おはぎちゃん、べつに私たち喧嘩してるわけじゃないんだよ」


言ったあと「ね」と田中くんへ同意を求めると、「え、あ、うん!」と慌てたように頷いた。

これじゃあまるで無理やり納得させたみたいだと少しおかしくなる。


「みゃ、みゃ〜」


立ち上がるおはぎちゃんは、田中くんにすりすりをしたあと、私のそばへやって来てすりすりする。


どうやら動物には、人間の気持ちが伝わるみたいだ。


「あのさ」


気まずそうに声を落とす。ちら、と視線を向けると。


「……蓮見さんって二重人格なの?」


突拍子もない言葉をつかれて「─は?」思わず眉間にしわが寄る。

すると「ほらそれ」と指をさされる。


「なんか僕には突っかかってくるような態度なのに、いつも一緒にいる友人たちの前ではおとなしいから……人格が二つもあるのかなって思って……」


確かに私は、普段はおとなしく過ごしている。でもそれは、わざとなわけではない。

そうすることで自分を守っているのだ。


さっき、神様に言われた。「過去」に人間関係がこじれたことがある、と。

──まさに、その通りだった。


「べつに私、二重人格じゃないよ」

「だったらなんで…」

「過去にね、人間関係でちょっとあったの。そのときから自分の気持ちを言うのが苦手になっちゃって…」


意識をしているわけでもない。

でも、友人と話すと勝手にそうなってしまう。


「人間関係で何かあったの?」


尋ねられて、困った。

でも、田中くんは誰かに言いふらす人じゃなさそうだから。


「……女の子ってさ、ちょっとしたことですれ違っちゃうの。それですぐに距離ができるんだよね」

「そうなの?」

「うん。逆に男の子はあんまりベタベタしてないでしょ?」

「うーん、どうなんだろう……」


首を傾げながら、考える。


田中くんにこんなこと聞いたのが間違いだったかも、なんて思った。


女の子という生き物は、妬みや羨みという厄介な感情を心の中に飼っている。グループのリーダー的存在の逆鱗に触れてしまわぬように細心の注意を払う。

ずっと一緒にいる時間が長いからこそ、グループの輪というものを一番に考えなくちゃならない。

もしも目を付けられてしまったら、そこから外されてしまう。

つまり、無視という名のいじめだ。


「でもさ、そのことと自分の気持ちを素直に言うことができないって、どういう繋がりがあるの?」


考えたけど答えにたどりつなかった田中くんは、考えるのを諦めた私に尋ねた。


「…前にね、仲間外れにされたことがあるの」


思い出すだけでも、胸の奥がズキズキと苦しくなる。


「それって一人になったことがあるってこと?」

「…まあ、少しだけね」


私は、小学生の頃にその経験があった。


そのとき一人、クラスで一番強い子に目を付けられて仲間外れにされている子がいた。

でも、みんなは見て見ぬふりだった。誰もその子を助けようとはしなかった。

あの頃の私たちはまだ小学三年生で子どもだったけれど、子どもながらに思ったのかもしれない。助けたら次は自分が目を付けられる、と。

みんなそれが怖くて助けられなかった。


でも、それだけで片付けていい話ではないと思った。


だって、その子は一人ですごく怖いと思っているはずだから。

団体でいる子たちの“次は自分だ”という思いよりも、きっと何倍も恐怖を感じていたと思う。


だからこそ私は、みんなと同じようにできなく声をかけたことがある。「次、移動教室だから一緒に行こう」って。

そしたら、次の日から私が標的になった。

昨日まで仲良かった子たちもリーダーに言われて、私を無視するようになった。

それはしばらく続いて、私の心を疲弊させるには十分な時間だった。


いい事をした、そう思っても周りにはそう思われないことを子どもながらに知った。正しいとか悪いとか、そういう理屈なんかではないのだ。

そういうことをしたことによって返って自分の立場を悪くさせてしまうだけ。特にグループでいるならなおさらだ。


小学三年生で、この世界の理不尽さを知った。

いいことをしたからといって何かが解決するわけではないし、自分が得をするわけでもない。

むしろ逆効果で、自分が傷つく羽目になるだけなのだと。


「あのときはほんとにつらかったなぁ……」


リーダーの気が収まると何事もなかったかのように仲良かった子たちからふつうに声をかけられる。そして次の標的の人が無視をされる。

それの繰り返しだった。


どうやらそういうのには、順番があるらしい。


それは全部、グループのリーダーの感情一つで変化する。みんなそれに従って、誰も逆らえない。

そして私はそれがほんのちょっと早くなっただけ。


私は、それがトラウマで自分の気持ちを飲み込んで周りに合わせるようになった。

傷つきたくないからと、否定的な言葉は一切言わない。合わせることによってその場の一体感を表現して、仲良く振る舞う。

自分がでしゃばらなければ輪の中から外れることはない。そうすれば、ひとりぼっちにならないと知っているから。


そういうことを経て、アップデートしていったものが今の私の成り立ちだ。


だから。


「二重人格だと思われても仕方ないのかなー」


ポツリと声を落とすと、私の前で立ち止まるおはぎちゃん。にゃー、と鳴いて真っ直ぐ私を見つめる。

そうっと頭を撫でると、目を細めた。


「そんなことがあったなんて……ごめん」


ふいに、ポツリと元気のない声が落ちた。


「どうして田中くんが謝るの?」

「や、だって、そういうのってあんまり思い出したくないことかなって思って。それなのに僕、無神経だったから……」


ごめん、と再度謝る彼。

何も田中くんが悪いわけじゃないのに。


私が過去の重たい話をして気を遣わせちゃったかな……


「二重人格なんて言ってほんとにごめん」

「ううん、それは仕方ないよ。それに今振り返ってみると私もそう思っちゃうし」

「いや、でも……」


納得できないように言葉を詰まらせる田中くん。


友人の前では、こんなふうに素直になったり反論したりできない。一度もしたことがない。

もちろん無理難題を押し付けられたら断るくらいはできるけれど……

それなのに田中くんの前では、いつも通りでいられる。


ううん。むしろ田中くんには、なぜか強気な自分がいる。

売り言葉に買い言葉で言い返したりする自分が。


「……どうして田中くんには、こんなふうに言えちゃうんだろう」


すごく不思議だった。


「さあ、僕に聞かれても……」


戸惑ったように眉尻を下げた。


私と田中くんは対照的な存在で今までほとんど会話をしたことがなかった。

それなのに席が隣同士になってからというもの、彼と関わることが多くなる。


それってもしかして、


「……神様の仕業?」


だったりするのかな。


「え、神様?」

「あ、ううん。こっちの話だから気にしないで」


小さくどきっとしたあと、言葉を誤魔化した。


実は田中くんと私に赤い糸を結びつけた神様がここにはいるんだよ、なんて言ったらどう思うのかな。

こいつ頭大丈夫か?って思われちゃうかな。


けれど、実際にその通りらしくて。

ここの神様が勝手に赤い糸結ぶから、ほんとは赤い糸を切ってもらうために今日やって来たのに、神様はできないと言う。


そういう運命──なのだと言った。


つまりそれは、私たちが付き合えばうまくいくというらしい。

だが、私と田中くんがそんな関係になるなんて全く想像できないし、ありえない。


それにあの意地悪な神様のことだ。

もしかしたらどこかで私たちのことをこっそりと覗いているかもしれない。

見えないだけでこの近くにいるかもしれない。


そう考えると、そわそわして落ち着かなくなってあたりをキョロキョロ見渡した。


「蓮見さん、どうかしたの?」


そんな私を怪しんで、田中くんが困惑する。


「えっ……な、なに……?」

「かなり挙動不審だったけど」

「……き、気のせいじゃない?」

「全然気のせいなんかじゃなかったと思うけど」

「そ、そうかなぁ……」


気を紛らわせるようにおはぎちゃんを撫でる。


『どうやら二人は息ぴったりのようだな。さすが運命の人、田中だ』


突然声がして、え、と驚いた声を漏らした私。

慌てたように本殿の方へ視線を向けるけれど、神様の姿はどこにもない。


もしかして、と薄寒くなる私。


怖くなって、


「……空耳?」


わざとおどけて見せると、阿呆、と頭の中に直接声が流れ込んできた。

どうやらその声は私の頭の中で聞こえているらしい。「えっ!」再度驚いた私は両手で頭を抑えながら立ち上がる。


ど、どういうこと……!?


『そう焦るでない。私は神様なのだ。こんなことできて当たり前だろうが』


いやいや、できて当たり前だなんて言われても突然こんなことされたら驚くのは当然のこと。

頭に直接声が流れるなんて未体験の出来事に、少し気持ち悪ささえ感じる。


『それよりおまえたちは中々いいコンビじゃないか』


えっ、は? コンビ……?


『そうだ。おまえが今まで誰にも話せないことをそいつには話した。それは相手のことを信頼している証拠だろう? おまえの中でそいつの存在は確実に大きくなりつつあるのだ』


「ち、違う違う!」


頭の中に流れてくる声は、どうやら神様で。どこからか私たちを見てるらしい。


『違う? そんなわけなかろう。意地など張ってないでいい加減そいつが運命の人だと認めるんだな』


頭の中にクックックッと笑い声が響く。


神様はどこかで私の挙動不審な姿を見て楽しんでいるらしい。


あーもう、悔しい。

神様の思い通りになってたまるか。


「絶対に認めないってば……!」


頭を振りながら、声をあげる。


「あの…」ふいに聞こえた声にハッとして、見下げると。困惑したような顔を浮かべた田中くんが私をしっかりと捉えていた。


「だ、誰と話してるの……?」


しまった。すっかり存在を忘れていた。


「え、えーっと……」


一気に顔が青ざめる。

どうしよう、なんて誤魔化そう。


“神様の声が聞こえるの”なんて言ってしまえば、おかしいやつだと引かれてしまうし。

ただのひとりごと、だと答えても頭がおかしくなったんだと思われる。

前者を選んでも後者を選んでも結末は同じだ。


「自分でもよく分からないや……」


ははは、と苦笑いを浮かべながら誤魔化した。


ふいに、風が吹いて身体にべっとりと纏わりついた。


背後に神様の気配が感じるような、そんな感じがした気がする。


果たしてそれは気のせいだったのだろうか。

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