第4話 恋愛もそんなに悪くないよ
◇
インチキな神様と出会ってから一週間以上が過ぎた。
また神社へ寄れば、よからぬことを言われてしまうかもしれないとあれ以来立ち寄らないようにしていた。
けれど、なぜかあの神様が気になって仕方なくなった私は、自然と足が向かってしまう。
気がつけば、神社に寄っていた。
「お、おーい」
恐る恐る声をかけてみる。
まだ神様だと信じたわけではなかったけれど、もう一度、あの話をしたくて声をかけてみたが、返事をするどころか姿を現すことはなかった。
「なんだ。やっぱり仮装してただけなのかな」
どうやら今日は、いないらしい。
だから私は、諦めてそのまま学校へ向かった。
……のは、よかったのだが。
「おはよう」
教室には、私以外誰もいない。だからそのあいさつは私に向けられたものだとすぐに分かる。
どうやら田中くんは、朝一番に学校へ来て、予習をしていたらしい。その証拠に、ノートと教科書が開きっぱなしになったまま、こちらを向いたのだ。
……え、なんで私にあいさつ?
意味が分からない。今までは無関係とでも言いたげな顔して、颯爽と勉強をしていただけなのに。
それとも数日前のあの会話が原因?
友達が田中くんのことを悪く言っていた、あの会話を聞いて腹立ったから、その腹いせに嫌がらせであいさつしてきたとか?
……いやでも、そこまで田中くんがするかな。一言多いことはあっても、誰かに嫌がらせをする人ではなさそうだし。
それにここで無視をすれば、私の器が小さいと思われる。それも癪だもん。
「……お、おはよう」
できるだけ冷静を装って、自分の席へと座った。
時刻は、まだ七時過ぎ。登校してくるには少し早すぎた。
あのインチキ神様が神社にいなかったせいだ。
そのせいで私は、苦手な田中くんと過ごすはめになる。とことん不幸体質な私は、不運が続く。
二人きりの教室は、息が詰まるほど静寂で、壁にかけてある時計の針の音だけが鼓膜に張り付いた。
息を吸う音も聞こえちゃいそうになる。
……あ、やばい。お腹に力入れてないとお腹鳴っちゃいそう。
「ぐぅ……」
そう思った矢先、お腹の虫が鳴った。
うっ、最悪だ。絶対に今の音、田中くんにも聞こえてる。『ご飯食べてこなかったの』って言われそう。最悪、『お腹空いてると勉強に身が入らなくなるよ』なんてまた嫌味なこと言われたりするんじゃない……
「あのさ」
ふいに、田中くんが口を開く。
その声にビクッとしながら、
「なっ、なに? もしかして今のお腹の音? べつにお腹空いてるわけじゃないんだけど……」
何で言い訳をしているのか分からなくなりながら、恐る恐る目線を向ける。
「お腹?」
田中くんは、シャープペンを掴んでいた手は止まり私の方を向いていた。
どうやら違ったらしい。
「あ……いや、そんなこと田中くんが気にするわけないよね」
うわ、最悪。自爆したようなものじゃん。
恥ずかしい。慌てて目を逸らそうと思った、そのとき。
「失恋……したの?」
突然、現れた言葉のせいで、「──は? え?」と思わず、素っ頓狂な声が漏れる。
だって、田中くんの口から出てくる言葉じゃないと思ったから。
予想だにしていなかったせいで私の声があまりにも低かったのか、レンズの奥の瞳が揺れたあと「あ、いやっ……」とシャープペンから手を離した田中くんは、慌てたように両手をじたばたさせる。
「ごめん! 今のはその言葉のあやで……その、この前の会話が聞こえちゃったから、それであの……」
しどろもどろになる田中くんは、自信なさげに目線を下げた。
やっぱり、この前の会話聞こえてたんだ。
てことは、クラスの半分くらいが聞こえてることになっちゃうよね。
だって田中くんとは少し距離があったのに、田中くんまで聞こえてるんだもん。
あーあ、やっぱり。
不特定多数の人にあの話、聞かれちゃったのかぁ……
「もしかして盗み聞き?」
私は、意地悪なことを言った。
この前は、赤点を見られてたわけだし。せめてもの仕返しに。
「いやっ、違う! ほんとに盗み聞きとかじゃなくて……偶然聞こえちゃったというか、いや、そもそも全部聞こえたわけじゃ、ないし……」
すると、いつもより余裕のない田中くんは、焦ったように取り乱す。レンズ奥の瞳は、あっち向いたりこっち向いたり落ち着きがない。
さすがに意地悪しすぎちゃったかな。
「分かってるよ。友達の声があれだけ大きかったら、みんなに聞こえちゃうもんね。多分、聞こえてたのは田中くんだけじゃないと思う」
だからといって今さら何ができるというわけじゃない。べつに私が失恋したことをみんなに知られたわけじゃないし。
ただ、告白するのをやめたってだけで。
なかには、失恋したと勘違いをする人もいるかもしれない。田中くんのように。
「じ、じゃあ、ほんとに……?」
いつのまにか身体まで私の方を向いていた田中くん。
そこまで真剣に話を聞いてもらいたい内容ではないけれど。優等生だから、そうなるのかな。
「いや、だからね、告白はしなかったからべつに振られたわけじゃないからね!」
……まあでも、実際は失恋しちゃったんだけれど。
友達二人には、ほんとのこと言うのも面倒くさくって伏せておいたし、今さら田中くんに事実を言ったところで何の得にもなりはしない。
「あ、そうなんだ。僕はてっきり……」
眼鏡の真ん中を押し上げながら気まずそうに言葉を詰まらせる。レンズに光が反射して、ピンボケする。
てっきり、のその先に続く言葉なんて用意に想像できた。
「告白して振られたと思った?」
自分から言葉を告げると、
「……う、うん」
田中くんは、眉尻を下げた。
いつもの自信たっぷりな優等生の彼ではなかった。まるで私の気持ちを代弁してくれているような表情だった。
だからかな。
「ほんとは告白したかったんだけどね。でも、できなかった」
ふいに、口をついて出た。
もしかしたら誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。
「勇気がなかったのもそうなんだけど、なんか私、いつもタイミングが悪くてさぁ」
ちゃんと自分の気持ちを伝えたかった。だってすごく好きだったから。
でも、タイミングが悪かった。それは私自身が不幸体質だからであって。
まさか偶然彼女と出くわしちゃうなんて思いもしなかった。
「た、タイミング?」
「不幸体質って感じかな。告白しようと思ったら、必ずうまくいかなくなるの」
「へ、へえ。そんなことがあるんだね」
……私、なにペラペラしゃべってるの。
ていうか、田中くんにこんな話しても興味なさそうに突き放されるだけじゃん。
「でもさ、告白したらダメージが二倍になったりしない?」
突き放されるどころか、田中くんは話に食いついた。
意外なことを尋ねられて、困惑した。
まさか田中くんがそんなことを聞いてくるなんて思いもしなかったから。
なんていったって恋愛に興味なさそうだし。
「そりゃあ結果がうまくいかなければ辛いけど、振られる前提で告白する人はいないでしょ?」
「え、あ、まあ……」
「それともなに。田中くんは私がいつも振られると思ってるんだ?」
「いやっ、べつにそうとは言ってないじゃないか……!」
あまりの慌てっぷりに手が眼鏡にぶつかってズレる。
「えー。ほんとかなぁ」
それを笑いそうになったのを堪えていると、
「と、とにかく! ほんとにそんなこと思ってないんだからな!」
眼鏡をくいっと持ち上げながら断言すると、ぶつぶつと独り言を言いながら真っ直ぐ椅子に座り直す。
田中くんのばっちり見えている耳は、少し赤くなっていた。おそらく焦ったからなのだろう。
勉強を再開させようとシャープペンを掴むけれど、集中できないのか「あっ、間違った。僕としたことが……っ」と独り言が大きく漏れている。
田中くんは、二つのことを同時にできないらしい。どうやら彼の頭を支配しているのは、今の私との会話だった。
どうせ集中できないなら、無理して勉強しなければいいのに。
そんなことよりも、ひとつ気になる。
聞いてみてもいいのかな。
「……田中くんは、恋したことないの?」
ふと頭をよぎった疑問をそのまま本人にぶつけると、シャープペンの芯がパキッと折れる音がした。
首がもげそうなほど勢いよく私の方を向いた田中くん。
「な……なんだよ、藪から棒に……!」
「いやー、どうなんだろうなぁって思って」
「べ、べつにそんなものは僕の人生には関係ないし……」
動揺しているのが見てとれた。
そんな話題をふられたことがないからなのか、それとも好きな人がいるからなのか、果たしてどっちなんだろう。
──まあ、おそらく前者だろうけれど。
「なんか、もったいないね」
私は、あえてこの前田中くんに言われた言葉を使うことにした。
そしたら案の定、え、と困惑した彼は。
「一体僕の何がもったいないって言うんだ」
少しムッとして、言い返してくる。
優等生のわりには、性格は意外と短気らしい。
「この前、田中くんが言ったのと同じ。もったいないね、って。恋愛したことないなんて人生の半分くらい損してるよ」
つい最近、親友が言っていた言葉を少しだけ拝借する。
私は、恋愛をしたことない人が半分も損している、とは思ってはいない。ただ、そういう言葉をどこかで耳にしただけ。それをそのまま言葉にしただけ。
そもそも私の恋は成就することがないのだから、楽しさなんて分からない。
けれど、人を好きになった気持ちは大切にしたいから。
「そんなわけないだろ。恋愛だの恋だの、そんなのはするだけ時間の無駄さ」
やっぱり田中くんは、恋愛のことを見下してる。だからきっと私のことだって……
「それは、ただ強がってるだけなんじゃない」
「な、なんだと! 僕の何が強がってるって言うんだ!」
いつになく声が大きくなる。普段は、極力無駄な力は省きたいと思っているような小さな声なのに。
そんなに大きな声出るならいつもそうすればいいのに。
「ほんとは人を好きになるのが怖いだけなんじゃないの。もし自分が相手を好きになって、そのとき相手が離れていくのが怖いとか」
「そ、そんなわけないだろ! 第一僕は、人を好きになったことなんか、ない!」
「え、うそ。一度も……?」
「当然だ!」
そんな威張って言うところじゃないし。
むしろなんかこっちが悲しくなっちゃう。
「田中くんって、ずっとそうやって生きていくつもり?」
べつにそんなことどうでもいいし私の人生に関係ないけれど、なぜか聞いてしまった。
きっと、インチキ神様のお告げのせいだ。
田中くんが私の運命の人だ、なんて言うから気にせずにはいられないのかもしれない。
「蓮見さんには関係ないだろ」
ほんとに、その通りだ。私には、何の関係もない。
高校を卒業したら、あっという間に田中くんのことなんて忘れてしまう。
「そーだよね」
だから、さっさとこのまま話を終わっちゃえばいい。つまらなくてくだらない会話に終止符を打ってしまいたい。
「でもさ」
それなのに自分の口からこぼれた言葉は、
「恋愛もそんなに悪くないと思うよ。人を好きになることってほんとはすごく幸せなことなんだと思う。だから教科書ばかりじゃなくて、たまには恋愛の本でも読んでみたら?」
まるで恋愛マスターのようなことを淡々と告げている自分。
言ったあとから思ったけれど、失恋した私が自信をもって言えるようなことなどではなかった。
「どうして蓮見さんはそんなこと……」
困惑する田中くん。
……ああ、ほんとに。
「……どうしてだろう」
自分でも不思議だった。どうしてこんなに熱くなるんだろう。
「自分でも分からないや」
おどけたように言ってみると、なんだよそれ、と呆れたようにため息をついた田中くんは、眼鏡の真ん中をくいっと持ち上げる。
「自分が分からないことは人に言ったって何の意味もないじゃないか」
また上から目線でものを言われたけれど、その通りだと思って。
「まあ、確かに」
気が抜けて、小さく笑ったのだ。
そうしたら田中くんは、こう言った。
「蓮見さんて変わってる人だね」
午前七時三十分。
隣の席の田中くんに、変人扱いされる。
けれど、変わってると言われっぱなしじゃ嫌だったから。
「それ、田中くんにだけは言われたくないんだけど」
私だって言い返してやった。
どう見ても変わってるのは、私より田中くんの方なんだもん。
「僕は、真面目なだけであって決して変というわけじゃない」
「そういう堅物なしゃべり方だから変って思われるんじゃない」
「変っていう人が変なんだ」
「じゃあ田中くんも変なんじゃん」
「……僕は、変じゃない」
くだらない言い合いをしばらく続けたあと、田中くんは諦めたように机に向き合った。
「ねえ、今答える前に間があったよね」
「…………」
「ねえ、無視するのやめてよ」
「勉強してるから静かにして」
「今まで勉強してなかったじゃん」
「蓮見さんが邪魔してきたから」
関わらなければいいのに、どうして私は声をかけてしまうんだろう。
「声をかけてきたのは、田中くんからだったよね」
声をかけると、思い出したのか「うぐっ」と声を漏らす田中くん。
「勉強以外のことを質問してしまうなんて今までなかったのに、僕としたことが……」
すごく落胆しているようだった。
けれど、その姿が普段の姿と対照的に見えてなんだかおかしく見えた。
〝赤い糸で結ばれている〟
「えっ──!」
一瞬、田中くんの薬指に赤い糸が見えた。
「な、なに?」
すぐにそれは見えなくなる。
「あ、ううん、何でもない」
びっくりした。田中くんにも見えているのかと思った。
でも、こんな人が、私の運命の人だなんて認めない。絶対に認めたくない。
だって田中くんのこと好きじゃないもん。
私は、好きな人と赤い糸で結ばれたい。
それにあのインチキ神様の言葉なんて絶対に信じない。
信じてたまるもんですか。
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