第13話 夜の蝶(2)
一日目――いや、日付が回ったから二日目か。
もう適合者が見つかるなんて、幸先が良い。
「私のような夜職の女と、清楚そうな彼女さんがマッチするのって、意外かしら」
「いえ。真逆の社会的立場にある人の方が、案外上手くいったりするんですよ。それに、そもそもタマイシのドナーは、外見とか、職業とか、そういった表面的な部分ではなく、もっと本質な部分で似通った所がある人が選ばれるんです」
俺は首を横に振って呟いた。
年収も職業も性別も国籍も年齢も、なにも心の本質をを覆い隠すことはできない。
「へえー。それで? ドナーになる代わりに、私のお願いを聞いてくれるってことでいいのよね」
サクラさんはそう催促しながらも、どこか興味なさげな口調で言う。
「もちろんです。えっと、サクラさんの報酬は、『私に《楽》を教えて欲しい』……ですか」
「ええそう。私は、『喜』の感情しか分からない。今までの人生で一度も、『楽』を感じたことがないの。もし、私に『楽』を教えてくれたら、『喜』の感情ドナーになってあげるわ」
サクラさんはそう言ってから、灰皿の吸いかけのタバコに火をつけた。
ここでいう、『喜』と『楽』は、単純な喜びと楽しみではなく、心科学上の専門用語だ。
彼女がタマイシの闇取引において、ドナーの提供者と依頼者を探す役割を果たしていることは、譲二から貰ったデータにあった。
つまり、彼女は俺と同じ、闇の側の人間ということである。
「ねえ、純、『喜』と『楽』って、似ているけどなにが違うの?」
空が青い理由を尋ねる子どものような口調で、茜が呟く。
「国語的な定義は知らないけど、この業界では《喜》は、ポジティブな感情の内、刹那的で激しいもの、《楽》はポジティブな感情の内、継続的で比較的穏やかなものっていうことになってる。まあ、実際はこんな一言で表せるほど感情は単純じゃないんだけどな」
こういう依頼の場合、そこら辺の言語化できない機微を汲み取るのが、魂狩り屋の力の見せ所だった。
「そう。《喜》は分かるの。お店でナンバー1になったから嬉しい。好きだったあのバッグが手に入って、ヤッターって感じ。甘いお菓子はおいしいし、セックスは気持ちがいい。だけど、それだけ」
「あの、好きな男の人だからするんですよね。その男の人といたら、楽しくないんですか?」
「ならないわね。終わったらさっさと帰ってとしか思わないし」
茜の疑問に、サクラさんは即行で首を横に振る。
「……なるほど」
俺は相槌と共に頷いて考え込む。
「今の生活は、決して不幸ではないわ。お金もたくさんあるし、モテるし、仕事も私に合ってると思う。だけど、なんか、こう、芯がないの。私の生活全てを貫く芯が」
サクラさんはつけたばっかりのタバコをすぐに灰皿で消して、今度はグミを口に放り込んだ。
「分かりました。結論から申し上げると、あなたが《楽》を知る方法はあります」
俺は顔を上げてそう宣言した。
「あっさりね。じゃあ、早速教えてくれる?」
「猫を飼えばいいと思います」
俺は真顔でそう言った。
「私を馬鹿にしてる? ……猫を飼ってる娘は、こういう商売の娘だとめちゃくちゃ多いわよ? 猫を買ってやるって客もたくさんいた。でも、私は全く欲しいと思わない」
安易すぎる答えだと思われたのか、サクラさんが不機嫌そうに吐き捨てる。
「失礼ですけど、それって大抵、ペットショップで買った猫でしょう? 血統書付きの、人工的に作られた『かわいい』やつ」
「……まあ、そうね。SNSにあげるための猫ね」
「それだとブランド物のバッグと同じですよ。保健所か、そこら辺で拾ったとか、そういう猫とはやっぱり違います。『自分が拾わないとこいつ死ぬんだな』っていう状況で、自分が飼うと選んだ。その意思が、猫を特別にするんです」
無論、ペットショップで売られている猫が悪い訳ではない。
だけど、金で買った猫は、やっぱり金で買ったバッグと同じく、金で代替が効く物であると、心は無意識でとらえてしまうのだと思う。それだと、サクラさんが猫を手に入れても、《喜》の感情を喚起することにしかならない。
「その理屈は分からなくもないけど……猫を飼ってる家って、独特の臭いがするじゃない。あれ、苦手なのよね。毛も落とすだろうし、排泄もするだろうし、私がいない間に、部屋中に爪を立てられると思うと、正直ぞっとするわ。猫って、犬みたいに躾られるものでもないでしょう? 好き勝手に動き回るわがままな生き物よね」
サクラさんが『飼わない』理由を並べ立てる。
きっと、彼女はこうやって生きて来たのだろう。
不快で面倒なものは遠ざけて、なるべく自分に心地よい感情を与えてくれるものだけを集めて。
それは、幸せになるための方程式の解の一つなのかもしれないけど、それだけじゃない。
「はい。だからこそ、思い通りにならないからいいんですよ。サクラさんが思い出したくない時にも自然と気になってしまうから、それがあなたの生活の芯になる」
「やけに自信満々ね」
「ええ。実体験なので」
俺は微笑む。
「サバミ?」
茜が唐突に呟く。
「ああ、サバミだ」
俺は茜とアイコンタクトして頷き合う。
「サバミって?」
「俺が飼っていた、海から産まれた猫です」
「なにそれおもしろそうじゃない。私に猫を飼わせたいなら、あなた自身のエピソードで猫の良さをプレゼンしてみせてよ」
サクラさんが身を乗り出して、そう急かす。
「茜、話してもいいか?」
「うん。いいよ。よくわからないけど、この人には必要な話だと思うから」
茜は、病気になる前の本質的な聡明さをうかがわせる笑顔で、そう許可を出してくれた。
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