第12話 夜の蝶(1)
午前二時。
アラーム――は迷惑なので、スマホのバイブレーションで目を覚ます俺。
バックパックから仕事道具の入った小移動用の肩掛けカバンを取り出した。
茜の頬を突いて起こし、寝ぼけ眼の彼女を引っ張って、夜の新宿を闊歩する。
怖いのは補導だけだが、私服の俺たちは、おそらく高校生には見えないだろう。
俺も茜も、どちらかといえば大人びた外見をしているから。
俺はスマホをチラ見した。
四人目のドナー候補は、歌舞伎町から徒歩三分、18階建てのタワーマンションに住んでいるらしい。しかも、最上階だ。
オートロック玄関の前、部屋番号を入力してインターホンを鳴らす。
やや間があって、反応が返ってきた。
「はーい」
若い女性の、気怠そうな声。
「すみません。サクラさんのお宅で間違いありませんか? 予約した瀬古ですが」
偽名を名乗る。
名前は、依頼者ごとに毎回変える。
罪悪感はない。
相手の名前も、おそらく本名ではないのだから。
「あっ。あー、そうか。今日だったわね。十分ほど待ってくれる?」
「はい」
言われた通りに待った。
七分ほど経った頃、玄関の自動ドアが開いて、スーツ姿の男が一人、外に出て行った。
夜の仕事の人が多い地域とはいえ、そう頻繁に出入りがある時間帯でもない。きっと、サクラさんの部屋から出て来たのだろうと、直感的に理解する。
「ごめんなさい。待たせたわね。入って」
再び自動ドアが開く。
俺たちはエレベーターで最上階へと向かった。
四部屋ある内の一つ。その中でも一番広い間取りの一室が、サクラさんの部屋だった。
再びインターホンを押す。
「瀬古です」
すぐに扉が開いた。
中から出て来たのは、ネグリジェ姿の女性。
年齢は、20代中頃といった所だろうか。
化粧と努力によって磨き上げられたタイプの美人だった。
タマイシは、濃い金褐色のタイガーアイ。
明滅しながらも、常に眩い印象を放つ彼女のタマイシからは、確かに『喜』の感情が過剰なほどに
「あら。もっと年上の男かと思ったけど、若いのね」
「よく言われます」
「それに、そんなかわいい彼女さんまで連れて。美女と野獣?」
「そっちもよく言われます」
「……純」
茜は露骨に顔をしかめて、俺の腕をつねった。
「嫉妬しちゃってかわいいわね。でも、安心して。顔としては好みのタイプだけど、私の客としては若すぎるわ。お金もあんまり持ってなさそうだし」
俺のノーブランドな服装を見て、そう判断したらしい。
実際、タワマン最上階に住むサクラさんが満足しそうなほどの金は持ってない。
「――あの、早速ですが、適合テストをしてもいいですか?」
そもそも適合しないと、交渉もなにも始まらない。
お互い友達という訳でもないから、無駄な時間を使わないためにも、単刀直入が一番いい。
「ええ、どうぞ。ま、玄関でやるっていうのもなんだから、中に入って」
香水と、メンソール系のタバコの残り香がする一室に足を踏み入れる。
基本的には整理整頓と掃除が行き届いている室内だったが、物が少なく、どこか生活感に乏しい部屋だった。
かと思えば、廊下からちらっと見えた一室には無造作に大量のブランド物の服が放置されていたり、ガラス張りのリビングテーブルの上に置かれたハイブランドのカゴの中には安っぽい駄菓子が大量に詰め込まれていたり、過剰と過少が極端な感じだ。
「では、そこのソファに座ってください。――茜も」
白い革のソファに二人を横並びに座らせる。
商売柄だろうか。サクラさんは身体に芯の通った姿勢で、両脚をきっちりと揃えて腰かける。茜も、もう四回目なので慣れた様子で腰かけた。
「それで? 検査って何するの? 危険じゃない?」
「もちろん。そういうのだったら、俺じゃ扱えませんし」
俺はそう言って、肩掛けカバンを床に降ろし、仕事道具を取り出した。
といっても大したものではなく、一本の金属棒でしかないのだが。
両端がUの字になっている、音叉を二つくっつけたような形の検査装置で、『
柄の部分は長さを伸ばしたり縮めたり、調整できる仕組みだ。
チャチに見えるが、特殊な金属と機械を使っており、値段は馬鹿高い。
「それ?」
「はい。タマイシのハーモニーを聞いて確かめるだけです」
Uの字の片方を、茜のタマイシへ、もう片方をサクラさんへ接続し、ボルトを締めて固定する。
それから、俺は共感装置――通称『
ちょうどテーブルの上のカゴに入った駄菓子――棒付きの丸いキャンディみたいな形だ。
棒の先の丸い部分でコネクトの柄を叩く。
『ハズレ』なら聞くに堪えない不協和音になる。
当たりなら――
「どこかで聞いたことあるような曲ね。嫌いじゃないけど」
サクラさんが鼻歌でコネクトから流れ出す曲の真似をする。
明るめのアップテンポな、JPOPにありがちな曲調だ。
適合したとしても、毎回こうなる訳じゃない。
クラシック風になる時もあるし、ロック風になる時もある。
時には、ただの波音みたいな時すらあるが、共通するのはとにかく『聞いていて心地よい音』という一点だけだ。
「この音楽が適合してる証ですよ」
俺は思わずほくそ笑んだ。
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