choice.38 歪な世界と素直な言葉(5)

「……私のこと、迷惑でしたか?」


 御帳さんの口から放たれた新しいその問い掛けに、俺は目を閉じてこれまでのことを思い出す。


 御帳さんに屋上で告白されたこと、突然のタイムリープに驚いたこと、一緒に帰らざるをえなかったこと、翌朝に予想と全く違う形で修羅場になったこと、昼休みに封伽といがみ合っているのを見て頭を抱えたこと、今日のお宅訪問のこと。


 こうして振り返ってみると、よくもまあたった数日でこれだけの記憶を重ねてきたものだと、一周回って感心してしまう。


 あの告白から、本当に色々なことがあった。

 頭の中に蘇る情景は、どれも心に鮮明に刻まれている。

 思い返すだけでげんなりしてしまうような、俺が精神的にすり減ってばかりの物語だという気もするが……まあそれは御帳さんだけのせいではなく、封伽や瑞浪さん、何より俺自身の責任も多分にあるのだけれど。


 そして、過去に馳せた思いを現在に戻してくる。


 御帳さんのことが迷惑だったかどうか、だったか──確かに俺の元々の願いを考えれば、彼女が連れてくる『異常』は迷惑以外の何物でもなかったように思う。

 ただ平穏無事に日々を送ることが、俺の唯一の望みだった。なのに御帳さんは無自覚とはいえ、俺の日常に平穏とは対極と言っていい『異常』を招き入れてくれたのだから。


 ──けれど、何故だろうか。


「御帳さんのせい」というわけではないにせよ、俺の平穏な日常は彼女によって踏み荒らされたようなものではあるし、何なら恨めしく思ってもバチは当たらない気がするくらいなのに。


 それでも──記憶の蓋を開けてみたとき、不思議とそこまで悪い気はしていなくて。

 世界を巻き込んでしまったり不条理だったりで、多少ボーダー越えなところはあったけれど──心の片隅で「こんな日々も悪くはない」と思えてしまっている自分が、確かにいて。


 だから──

 その問い掛けに、どこか安堵している自分がいた。


 例えば訊かれる内容によっては、またどう答えるべきかと頭を抱える羽目になっていただろう。

 もしも、御帳さんを傷付けないように事実と反することを述べたり、自分の気持ちに反してでも彼女を傷付けるようなことを述べたりする必要がある問い掛けだったなら。

 そのとき俺は、前に進むことを止めて再び逃げ出すことは無いにせよ、一度立ち止まってしまいはしただろうから。


 だが、この問いに対しては、そんな必要もない。

 俺はただ、素直な気持ちを答えるだけで良いはずだから。

 ──これまでのことを思い返して再確認した、今の俺の胸に浮かんできた想いを、そのまま告げれば良いだけだから。


「……正直、最初はそうだった」


 俺は目の前の少女に向けて、答えを紡ぐ。


 そのハッキリとした肯定の言葉に対して、御帳さんが軽く身じろぎする──「覚悟はしていたつもりだったけれど、ショックを隠し切れなかった」という反応だった。


 その姿に決して小さくない罪悪感を覚えるけれど、しかしだからって、この気持ちは譲れない。御帳さんも分かっていただろうが、この台詞は間違いなく真実なのだから。


 そりゃそうだ。普通に考えて、彼女のことを迷惑だと、厄介だと思うに決まっている。『繰り返し』は悪夢のように感じたし、そもそも選択の自由を奪われて心地良く思うはずがない。


「だけど、」

「──」


 けれど、俺はそこで明確な逆接を口にした。

 その単語が予想外だったのか、涙を堪えたみたいな表情のままながらも、御帳さんは怪訝そうな視線を向けてくる。


「だけど一人の男としては、好きって言われて嬉しく思わないわけもないし、それに──」


 込み上げてくる羞恥を無視して、俺は言葉の続きを告げる。


「それに──楽しくなかったって言えば、嘘になるんだ」


 ずっと平穏を望んでいた。日常から外れた『異常』なんてものは面倒なだけだと、ずっとそう思っていた。

 まあその考えは実のところ、今でもあまり変わっていないのだけれど(平穏無事で済むのなら、やっぱりそっちの方が精神的には良いと思う)……それでも、いざこれまでのことを思い返してみると。


 楽しかったと、こんな日々も案外悪くないと──不思議なことに、そう思えてしまうのだ。


 だから俺は、胸を張ってそう答えた。


 御帳さんのことが最初迷惑だったのは事実だし、そこで嘘を吐きたくもない──だがそれでも、御帳さんが俺の中に招き入れた日々が悪くないものだったことも、また事実だった。

 そのことを、きちんと伝えたかった。


 この台詞が気を遣った嘘ではなく、本心からの発言だと信じてもらえるように、俺は御帳さんの目を真っ直ぐ見詰める。これ以上言葉を重ねるよりも、きっとその方が伝わると信じて。


「そう……ですか」


 俺の答えに、御帳さんが小さく呟く。気が重そうな表情で、声にも少なくない陰りはあったけれど──それでも俺の想いが多少は通じてくれたのか、心なしかさっきよりは明るい色が差した顔に見える気がする。


 彼女の性格的にというか、たとえ御帳さんでなくとも誰だって、この状況で全く責任を感じないわけはないだろう。

 御帳さんが悪いわけではないにせよ、彼女が全ての発端となったのは客観的に見ても事実のようなものだし、誰より彼女自身がそう思っているだろうから。


 だから俺に出来ること、すべきことは──否、俺がやりたいことは、彼女が自身に課すことになる責任が少しでも軽くなってくれるように、どんなに拙くても言葉を尽くすこと。


 まあ、その結果として『異常』が再来するようなことになれば、また言葉選びを考えなくちゃいけなくなるんだが……とはいえ、その時も俺がやることは変わらない。

 たとえ何度繰り返したとしても、俺は俺に放てる最善の言葉を彼女に掛けてあげたいと思っているから。


 しかしそうは言っても、俺がこの部屋に戻ってきてから、今のところは世界の時間も正常に流れているし……油断するべきじゃないにせよ、この時点で『現実』が無事なら、きっと大丈夫なのだと判断しても良いかもしれない。


 俺なりの最善は尽くせたと思うし(まあやったことは、ただ本心で御帳さんに向き直っただけなんだけど)──封伽の期待にも、応えることが出来ただろうか。

 当の封伽が覚えているか、分からないとはいえ。


 俺がそんなことをつらつら考えている間に、御帳さんも一旦は心を落ち着けることに成功したらしい。

 まだまだ胸には色々な感情が渦巻いていることだろうが、一時的にでも心の平穏を取り戻せるだけの余裕があるなら、ひとまずは安心してみても良いのかもしれない。


 御帳さんが、躊躇いがちに口を開く。


「あの……こういうことを言って良いものなのか、分からないんですけれど……」


 俺は黙ったまま、その先の言葉を促した。


「──私が好きになったのが、あなたで良かったです」


「────」


 声の震えを抑えても堪えきれなかった涙が、まなじりに溜まって大きな雫を作る。その水滴が部屋の明かりに照らされて眩しく輝いた。

 零れたその存在に気付いているのかいないのか、御帳さんは雨上がりに咲いた花のような笑顔を見せる──涙の輝きと相まって、泣き笑いのような悲痛ささえ醸し出した表情。


 それは、心に決めた一番星の存在さえ無ければ、うっかり恋に落ちてしまいそうなくらいに美しく魅力的な笑顔だった。

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