choice.36 歪な世界と素直な言葉(3)
「あ、いや、やっぱさっきの無し! そうだよね、こんなこと急に言われても意味分かんないよね! ごめん忘れて!」
「────」
砺波封伽が口にした言葉に、過去最大を塗り替えかねない規模の衝撃を受け、俺は咄嗟に何も言葉を返せなくなった──のだが、封伽は呆然とする俺を見て「呆れて物も言えなくなったのだ」と判断したらしい。やぶれかぶれになりながら、必死に自分の発言を無かったことにしようとする。
「あーもう、アンタ今、絶対に『頭おかしいなコイツ』って思ったでしょ!? アタシのことバカだと思ったでしょ! 寝惚けてるんじゃないかって思ったでしょ! 疲れてるんじゃないかって思ったでしょ!」
「段々と表現がマイルドになってるぞ」
普通そこはエスカレートしていくとこだろうに。「いや、そこまでは思ってないけど」とか俺が言うとこだろ。
だが自分の発言を失言と疑わない封伽は、俺のツッコミも無視して一人でぐずぐずになっていく。
「ちょっと今はアタシの方見ないで。お願いだからアッチ向いてて。こっち見たら殴るから……むしろ殴れば記憶は飛ぶ?」
「物騒なこと言い出さないでくれよ……安心しろ。別に俺は、封伽のこと何とも思ってないからさ」
「はあ!? 『何とも思ってない』って何!? 昨日告白したばっかなのに、『何とも思ってない』って何!?」
「そういう意味じゃねえよ!?」
こいつ、羞恥と怒りで面倒くさいことになりすぎだろう。こんな状況なのに、こっちが冷静さを取り戻すレベルだぞ。
それに、俺がそういう意味で封伽のことを『何とも思ってない』なんてことがあるわけもなく……って、それは今は良いよ。
「とにかく、俺が封伽を馬鹿にしたりするわけないだろ?」
「どうだか。いきなり『時間が変だ』とか言い出した相手のこと、むしろ馬鹿にしない方がおかしいじゃない」
だから面倒くさいって。羞恥モードからイジケモードに移行したらしいが、どっちにしろ厄介なことに変わりなかった。
「あのなぁ……この世界が歪んでることに、まさか封伽が気付いてるとは思ってなかったからさ。それで驚いただけだ」
こんな状況になってしまっては仕方ないかと、俺は真実を一部だけ話すことにする。とはいえ、まさか御帳さんのことや、これが俺の心の弱さが招いた結果であることも話すわけにはいかないけれど。
そうでもしないと、封伽がいつまでたってもこの調子でいる気がしたから。
けれど、ここで「そんな適当なこと言っても誤魔化されないんだからね!」とか言われても面倒だし話が進まなくなる。
なので俺は封伽に向けて少し距離を詰めて、できる限り真剣な表情で彼女を見詰めてみることにした。「本当だ、信じろ」という感じに……口に出すのは、流石に憚られたが。
とりあえず想いは伝わったらしく、封伽は顔を赤らめて口をモゴモゴさせながらも「……わ、分かったわよ。信じてあげる」と言ってくれた。分かってくれて何よりだ。
「──って、」
って?
「──それなら最初からそう言いなさいよ! 勝手に落ち込んで勝手に恥ずかしがって、アタシがバカみたいじゃない!」
怒りを向けられた。普通に理不尽だと思う。
「え、あー……ごめん」
けれど謝った。俺が悪いとは微塵も思ってないけれど、話を前に進めるにはそれしか無さそうだったから。
封伽はまだ何か言いたげに唇を尖らせながらも、口を開いて「まあ良いわ……それよりも」と言う。
「──アンタはこの状況について、何か知ってるの? 少なくともアタシよりは知ってそうだけど」
「いや、悪いが俺もあんまり」
「嘘ね。顔見れば分かるわ」
俺だって、この現象が何なのか分かっているだなんて言い切れやしない。けれど封伽よりも知っているかと言われれば、ほぼ間違いなく「知ってい」た。
とはいえ、今までひた隠しにしてきた「本当のこと」を洗いざらい話すのも抵抗があるので、俺は咄嗟に嘘を付いたのだが──流石に幼馴染は目聡かった。
そして、今度は封伽が俺に向かって距離を詰めてくる。
「言いたくない事情があるんだろうなってのも分かるけど、こんな状況で困ってるのはアンタも同じでしょ? だったらアンタが知ってること、正直に全部話しなさい」
彼女の顔に貼り付いた笑みが、「逃さない」と雄弁に告げているかのようだった。
「──アンタがアタシ相手に隠し立てするとか、百年早いんだからね?」
*
結論。
『異常』のせいで封伽には逆らえないとか思っていたけれど、結局はどうあっても俺は封伽には敵わないのであった。
自分の立場の弱さに思うところはあるが、まあそれは今更気にしても仕方ないからスルー……というか今後改善されることもなさそうだし、切なくなるので議題に挙げないことにする。
そしてその封伽はというと、俺が長々と語った「これまでのあらすじ」を聞き終えて、開口一番に「……頭大丈夫?」と訊いてきた。
自分はあんだけ言うな言うなと言っておいて、お前から俺に向かっては簡単にそれ言っちゃうのな。別に良いけど。
とはいえ封伽も、今まさに『非現実』に直面している身。最終的にはどんなに荒唐無稽な話でも信じるしかないと判断したらしく、頭を抱えて「うぇ……ええ?」などと呻く。
「色々と言いたいことも思うところもあるはずなのに、こんがらがって考えが上手くまとまんない……」
どうやら脳の情報処理がまだ追い付いていないらしい。呻き声を上げながら、あぁとかうぅとか言っている。そりゃまあ、そうだろうなって感じだった。
けれど一分ほど悩み続けた結果、どうにか最低限の状況は飲み込めたようで、封伽は首を傾げながら口を開いた。
「よく分かんないんだけど、アンタがどうにかしない限り世界はずっとこのままってこと?」
俺は少し逡巡して、頷く。この『異常』のトリガーが俺の返答だった以上、その可能性が高いだろう。
「──だったら、アンタがどうにかしなさいよ」
「……え?」
封伽が事もなげに言い放ったその台詞を、俺は一瞬理解できなかった。だから間抜けにも、そう聞き返してしまう。
俺は散々悩んだ挙げ句、あの場から逃げ出したというのに。
「それはさっき聞いた。御帳さんを傷付けたくないって気持ちは分かるし、アタシだって同じ立場なら逃げてたかもしんないとは思うよ──だから、そこについては文句を言う気もない」
封伽が優しく、俺の弱さに理解を示し、受け止める。
だけど、
「──だけどそうは言っても、『だからこのままで良い』ってわけにはいかないでしょうが」
封伽がそこに続けた言葉は、どうしようもなく正論だった。
そりゃそうだ。自分達の
解決できる方法が分かっていて、しかもそれが俺にしか出来ないことだというのなら、実践する以外の選択なんてありえないはずだ。
けれど、それが分かっていてなお、俺は逃げ出したのだ。
「封伽……お前は、それで良いって思うのか?」
堪え切れなくなって、俺は思わずそんな言葉を投げ掛けていた。耳朶を打つ封伽の声が、あまりにも冷たく感じて。
──しかし、そんなことは訊くまでもなかった。
「……そんなわけ、ないでしょ」
封伽が俯いて、弱々しく呟く。声は苦々しく震えて、眦にはうっすらと涙さえ浮かんでいた。
それは、さっきまでの冷たい物言いがただ感情を押し殺していただけだったのだと、気付かされる声だった。
そうだ──砺波封伽が優しい女の子だということを、俺はきっと誰よりも知っている。
封伽がこの言葉を進んで口にしているわけじゃないなんて、少し考えたら分かることだった──そんな彼女が、それでも自分の心を抑え付けて、今俺に向かって、告げる。
「アンタの話を聞いて、よく分からないなりに思ったの……アタシが今ここにいる意味って、何だろうって」
「封伽がいる、意味……?」
「だって今までは、時間が繰り返してることにアンタしか気付けなかったんでしょ? なのに今、アタシは世界が『変』だって気付いてるし、ここでこうしてる……その意味」
そこで封伽は、少し言葉を区切る。そして俯いていた顔を上げて、正面を、俺をしっかりと見据えて、続けた。
「──ここでアンタの背中を押すためかなって、思ったの」
背中を、押す。
逃げ出してしまった俺に、前を向き直させて。
そのための封伽──そのための、台詞。
しかし堂々とそう言い放ってから、封伽は少し狼狽えたように「あ、でも」と付け加える。
「あ、でも勘違いしないでね? だからってアタシ、思いもしてないことを言ってるとかってわけじゃないから」
言ったでしょ? アタシはアンタが好きなの。アンタがウジウジ悩んで踏み止まってるなら、普通に背中を押すくらいのことはしてあげるわよ──と、顔を赤らめながら恥ずかしい言葉を口にする。
「……けど、俺は既に逃げ出して──」
「でも、そこから世界の時間も、他の人の認識も動いてないんだから。想像でしかないけど、アンタが逃げたことなんて簡単に『無かったこと』にできるんじゃない?」
それでも「だから今更もう遅い」と逃げ口上を述べようとした俺の台詞を、封伽がすぐに遮った。
この時間の流れが狂った世界で「手遅れ」なんてことはないのだと、俺が後ろを向く理由を取り除く方便を与える。
「それから『勘違いしないで』がもう一つ」と言って、封伽が右手の人差し指をピッと立ててみせた。
「アタシは別に『御帳さんを傷付けろ』なんて言うつもりはないから。アタシはアンタに『どうにかしろ』って言ったの」
「それは……矛盾してるだろ。俺がこの状況をなんとかするっていうのは、どうしたって御帳さんを傷付けることになる」
封伽が何を言っているのか分からない。それとそれは、イコールではないのか。
そう零した俺に対して、封伽は「細かいことは、まだアタシも理解できたとは言えないけど」と言葉を返しながら、しかしはっきりと首を横に振った。
そして砺波封伽は、一切の嘘偽りを覗かせない、歪な時の中を降り続く雨空さえ晴れ渡りそうな、満面の笑みを見せる。
「だって──アンタなら上手くやれるって、信じてるもの」
「────」
その笑顔も言葉も、時の歪んだ空や世界を変えるだけの力は残念ながら持ち合わせていない。
けれど──俺の中で、何かが確かに晴れた気がした。
そして俺は──
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続きはまた明日!
(本日分だけで既に10,000字を超えたという事実)
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