choice.32 選ぶために・2日目(4)
「……ふぅ」
呟きながら浴室から出て、火照った身体をタオルで拭く。
『彼』を家に招いておきながら放置している、という実によろしくない状況なので、気分的には少し急ぎめだ。
お風呂好きの血が騒いで浴槽にお湯を張りかけたものの、どうにかこうにか理性で踏み止まって、簡素にシャワーだけ済ませて出てきた私に、自分で拍手を送っておく……いや、もしそんな暴挙に及んでいたら、さすがに自己弁護できないけど。
棚に置いてあるドライヤーを手に取って、髪を乾かしにかかる。気持ちの上では手早く済ませてしまいたいところだが、しかし髪が長いせいで思うようにはいかない。
そして何より時間が掛かるのが、服を着終えてからのセルフチェックだ。鏡の正面に立って、「これから好きな相手の前に出ても恥ずかしくないか」と身だしなみを確認。恋する乙女として、この手間を省くわけにはいかない。
自分の中でゴーサインが出れば脱衣所を出て、そのままリビングへ直行。
「──って、誰もいないんですけれど」
折角気合いを入れて出てきたというのに、肩透かしというか何と言うか。というか彼どころか、私がお風呂に向かったときには新聞を読んでいたはずのお父さんすらいなかった。
まさか、あまりにも風呂から出てくる気配の無い私に愛想を尽かして帰ってしまったとか? 或いは、「異性の家」という気まずさに耐えかねて……?
どちらもあり得る可能性だ……しかも、その両方が私のせい。
いや確かに「自宅に招くとか、我ながら大胆なことを……」って羞恥には現在進行形で苛まれてますし、「セルフチェックに時間掛けすぎました!?」って反省もしてますが!
「仕方ないじゃないですか!」と弁明を叫びたいところですけれど、その言葉を届ける相手がいないとなれば……?
──とと、ストップです。一旦落ち着きましょう。
まだ結論を出すには早いはずです。まだ、彼が帰ってしまったと決まったわけではありません。
とりあえず、こういうときは事情を知ってそうな人に聞くのが一番。この場合の適任者は、キッチンで昼ごはんを作っているお母さんということになるはず。
「お母さん、」
「あの子ならお父さんの部屋よ。でも、お父さんが『大事な話をするから珠洲には来ないように言っておいてくれ』って言ってたから、行くのならバレないようにね」
「お母さん、私まだ何も言ってないです」
ただ呼び掛けただけです。
これが俗に言う「親は子どもが考えている以上に、我が子のことを分かっている」というやつでしょうか? いや、それにしたって、というレベルですけれど。
それとも私の顔に『あの人は?』とでも書いてあったのでしょうか……だとしたら、普通に恥ずかしいです。
まあ、「この状況で私がお母さんに聞くことが他にない」と言われれば、それまでな気もしますが。
しかし、「行くならバレないように」って。それで良いんですか、自分の旦那の伝言に対して。
いや、部屋に行くのを妨害されるとかに比べれば、私としては助かるのも事実なんですけれども。
まあ何はともあれ、彼が帰っていなかったことに一安心ですかね。良かった良かった──って、待ってください待ってください待ってください。
「ちょっと待って」を通り越して、かなり待ってください。
大事な話?
お父さんが、彼に? しかも私に隠れて?
一体、何を話す気ですか。年頃の女の子が家に連れ込んだ男の子と、その女の子の父親とで。
──まさか、と思う。
まさか、かの有名な「お前にウチの娘はやらん!」的なやりとりでしょうか!?
家に連れ込んだ時点で、私と彼との間に恋愛的な関係があることは察されるでしょうし……いえ、厳密に言うと今は交際関係を解消しているのですが、しかし間違ってはいません。
私が彼を愛しているのは事実で、彼が私の告白を受けてくれたのも事実です。少々込み入った事情があるとはいえ、その現実は揺らぎません。
(でも、さすがにそれは気が早いでしょう!?)
それに今は彼の気持ちも砺波さんと私との間で揺れているようですし、彼がお父さんにどんな返事をすることになるのか、私には全く想像できません。ちょっと怖いです。
──とと、ストップです。一旦落ち着きましょう。
まだ結論を出すには早いはずです。まだ、彼らがそういう話をしていると決まったわけではありません。
……ついさっきも私、こんなこと言ってましたね。
我ながら、恋する乙女の胸の内は慌ただしすぎます。
ほら、もっと牧歌的な想像をしてみましょう?
リビングに取り残された形になる彼とお父さん。その気まずさは双方共に計り知れません(私のせい)。
そこで気まずさに耐えかねたお父さんが、彼に声を掛けるのです。とは言っても、話題など思い付きません。そもそも初対面で世代も違う二人に、共通の話題なんてあるのでしょうか?
……一つだけ、ありますね。共通の知り合いの話題が。
娘、あるいは元恋人(なんだか意味深な響きになってしまいました)──有体に言ってしまうと、私です。
昔の私の写真をまとめたアルバムを見せたり、学校での最近の私のことを聞いたりと言ったところでしょうか。
「……って、ある意味そっちの方がマズいですから!」
どう転んでも、私にとって都合の悪い話になりそうです。
「──もう、ここで考えていても仕方ありません!」
私は急いで、けれど音はなるべく立てないように気を付けながら、お父さんの部屋へと向かいました。
お母さんのゴーサイン(?)も出ていたんですから、最初からこうしていればよかったんです!
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