choice.31 選ぶために・2日目(3)

 ──場所を変えよう。


 そう言われて、俺は父親さんの自室へと招かれた。ようやく聞きたかった話を聞くことができるのだと思えば、俺に断る理由はない。

 御帳さんに聞かれたらマズいというのも、まあ分かる。案外『非現実』の作用で御帳さんには聞こえない、みたいな可能性もなくはないけれど……しかし、かと言って堂々と話すような内容でもないのは確かだ。


 御帳さんがお風呂から上がったときに備えて、父親さんが彼女への「大事な話をするから、部屋には来ないように」という言伝を母親さんに頼んでいたから、おそらく大丈夫だろう。


 その徹底ぶりは、逆に言えば、これから話されるのがそれだけ重大なことなのだということでもある。


「ここは……書斎、ですか?」


 案内されたその部屋は、まさにそうとしか形容の出来そうにない場所だった。


 満杯になった本棚が所狭しと立ち並んでいるにも関わらず、それでも収まり切らなかった無数の本達が、大きな机や椅子の上に積まれている。一軒家の一階とはいえ、床が抜けてしまうんじゃないかと不安になるレベルの量だ。

 しかもその一冊一冊が、さながら辞典のように厚い。背表紙に刻まれている文字が外国語だから分からないけれど、ひょっとしたら本当に辞書だったりするのかもしれない。


「僕の私室であり、仕事部屋でもあるという感じだよ。書斎といえば書斎かな……見ての通り散らかっていてすまないけれど、まあ座ってくれ」

「あ、はい」


 俺は促されるままに、扉の近くに置いてあった椅子に腰掛ける。机を挟んだ対面に場所を作って、父親さんも(そういえば名乗られた覚えがないような?)腰を下ろした。


 俺が姿勢を正すと、父親さんも神妙な顔付きになって「何から話したものかな……こんな状況を予期していた訳でもないし、僕も何を言っていいか、よく分からないのだけれど」と呟く。


 そりゃそうだ。俺が今日この家を訪れたことも、その俺が御帳さんを取り巻く「非現実」に巻き込まれていることも、父親さんにとっては予想外だったのだと思う。


 俺は黙って、言葉の続きを待った。

 十秒ほど経って、父親さんが「まあ、まずは僕のことを簡単に話しておいた方がいいかな」と独りごちた。どうやら結論が出たらしく、俺に向き直って口を開く。


「ここが僕の仕事部屋だと言ったから、察してはいるだろうけれど……僕の仕事は、会社に出向いたりするんじゃなく、ここでできるものなんだよ。そういう職種を選んだんだ」

「?」


 それは確かに、そんな気はしていたけれど。

 だが、それが御帳さんと何の関係があるんだろう。


「そしてその理由は、妻に頼まれたからなんだよ。できる限り一緒にいたいから、家に居られるときは居てほしいってね。当時の僕が志望していたのは普通の会社員だったんだけど、それが理由で進路を変えることにしたんだ」

「それは……何と言うか、微笑ましいエピソードですね」


 反応に困って、とりあえず当たり障りの無さそうな返事。


 夫を深く愛する妻と、その想いに応えた夫──そう考えてみると、よくあるというほどでもないにせよ、ありふれた仲の良い夫婦のエピソードな気がする。微笑ましいというのも、まあ率直な感想だった。


 けれど、そんな俺の言葉に対して、父親さんの表情が少し曇った気がした。いや、曇ったというよりは、自嘲気味な笑みになったという方が近いかもしれない。


 そして俺は気付く──そりゃそうだ。もし本当にそれだけの話だったなら、父親さんがここで話す理由はないはずで。


 そこから予想される答えは、つまり──


「御帳さんのお母さんも、御帳さんと同じだった……?」


 俺の頭に、その可能性が浮かぶ。それは一度気付いてしまうと、そうとしか思えなくなるほど信憑性のある仮説に思えた。


 父親さんは母親さんの頼みを聞いて、希望職種を変えた──だけどそれが、頼みを「断らなかった」のではなく、「


 それはまるで、御帳さんの頼みを断れない今の俺のように。


 俺が零した気付きに対して、父親さんは「そうだよ」と短く肯定を返す。ただしその表情の曇りは、晴れてはいなかった。


「僕が首を縦に振るまで時間が繰り返して、同じ台詞を繰り返される。誰に話してもバカにされるような、あまりに現実味のない現象──だけど、君には覚えがあるんじゃないかな?」



 父親さんが母親さんに出会ったのは、高校生の頃だという。


「出会った」というか、ある日いきなり呼び出されて告白されたそうだ。それまで父親さんは母親さんと話したことがないどころか、知りもしなかったらしい。


 突然の告白に戸惑いながらも、父親さんは「少し時間をくれないか」と申し出て──不可解なタイムリープが起こった。


 状況的には、俺が御帳さんに告白されたときと似ている。


 やむなく受諾して、なし崩し的に恋仲となる二人。しかしそれ以降も、似たような現象はたびたび引き起こされる。登下校中に、学校の教室で、初デートで、同じ時間が繰り返された。


 その不可思議に恐怖を覚えようとも、しかし逃れるすべなど見付けられるはずもない。

 だから父親さんは、母親さんの恋人であり続けた──そうする他に、選択肢が無かった。


「ちょうど機会があって、妻の両親に話を聞いてみたこともあったよ……まあ、怪訝そうな顔をされただけだったが。『どうしてそんな冗談を言うんだ?』みたいな、ね」


 そのことによって、状況の不可解さはより増してしまった。

 原因不明に拍車がかかったというか……例えばこれが「先祖代々に伝わる呪い」とかだったならば、納得はできないまでも多少の救いはあったかもしれないのに。


 けれど──と、父親さんはそこで言葉を区切った。

 そこに浮かべる表情は、ネガティブな感情の一切混入していない、清々しいまでの笑顔。


「あるとき気付いた──僕は彼女に惹かれている、と」


 必然的に、二人が一緒にいる時間は多くあった。その切っ掛けも理由も、どちらも理不尽極まりないものではあったけれど──共にいれば相手のことが見えてくるし、相手のことを知れば、その相手に惹かれることだってある。


 一緒に過ごす時間が、いつしか苦痛ではなくなり。

 向けられる想いを、受け止めたいと思えるようになった。


「やがて僕と妻は結婚し、子を成した──それが珠洲だ」


 その娘は、一見すると何の異常もなく成長していった。

 両親の恋路の経緯にあった異常性とは関係なく、「普通の女の子」として生を受け、そのまま育っていった。


「だが、成長していく珠洲を見ながらも、やはり僕にはどこか不安が残っていた……この娘にも、母親から受け継いでしまった『異常』がどこかにあるのではないか、と」


 そして君の態度に、不安は確信へと変わった。


 ──娘もまた無自覚ながら、その身に『異常』を引き起こす力を宿している、とね。

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