choice.27 選ぶために・1日目(3)

 ──封伽の声は重く、俺の心にのしかかる。


 俺のことを想って、ずっと自分の心を殺して、俺から距離を置いていた封伽。なのに、いきなり「恋人ができた」なんて言われれば、確かに取り乱すのも無理はないのだろう。


 自分を騙す魔法の言葉それでいいんだが、効力を失ってしまうのも、分からない話ではない。

 そんな簡単に諦められる想いなら、最初から彼女が苦悩することなんてなかったのだから。


 ……実態はどうあれ。

 しつこいようだが強調しておくと、俺は別に御帳さんと付き合いたくて交際関係を結んだわけじゃないからな。むしろ俺は丁重にお断りをしたからな。ここ重要。


「まさかアンタに恋しちゃうような見る目の無い人間が、アタシの他にもいただなんて……完全に想定外だったわ」

「それは普通にディスってるよな?」


 俺に恋する=見る目が無い、って。

 まあ、ここで否定するのも「俺にだって女の子から惚れられる魅力くらいある!」って主張してるみたいで嫌なんだが……。


 つーか、じゃあお前は俺のどういうとこが好きなんだよ。


「そ、それは……そんなの、今は別にどうだっていいじゃない」

「割と重要だと思うが」

「……ふん! 思い付かないわね、アンタの良いところなんて。直接言うのは恥ずかしいとかじゃなく、本当に全く思い付かないんだから!」

「いや、その意地の張り方はおかしくないか?」

「──!」


 無言で足を蹴ってくるな。狭いから避けようもないだろ。


 ……けど、封伽が俺のどういうところが好きかなんて話、別に改まって聞きたくもないな。互いに羞恥で死ねるのもあるが、「俺のどういうところが好き?」って訊く自分がまず嫌だ。


 俺も内心では、たぶん封伽に負けず劣らずの羞恥心と戦いを繰り広げてるわけで……これ以上自分を追い詰めてどうする。


 なので、まずは話を先に進めよう。俺と御帳さんとのことを封伽が知って、それから何を考えて、どうしたのかだ。


 ──それって、悪質なドッキリとかなんじゃないの?


 まず封伽が疑ったのは、その可能性だった。これは封伽の気持ちとかに関係なく、妥当な思考だと思う。

 けれど、俺はその仮説を即座に棄却した。あのタイムリープ現象は、どう考えても「嫌がらせ」の域を越えていたから。


 ……そのことが封伽の機嫌を損ねた本当の理由も、今ならちょっと分かる気がする。

 あれは『俺が自惚れていると感じたから』ではなく、『俺が御帳さんに惹かれていると感じたから』の怒りだったということだろう。

 自分が想っている相手が他の異性をよく言っているのが、単純に気に食わなかった、みたいな。


 ──けれど、問題なのはそれからだ。


 正面に座る封伽が、再び口を開く。


「……他の人に取られるくらいならって、思っちゃったの」


 自虐的な笑顔がやけに魅力的で、俺の胸を締め付ける。


 封伽がゆるゆると立ち上がって、籠の中じゃバランスが悪いだろうに、歩いて俺の隣に座り直した。

 左肩に体重が寄せられる。少女の目から零れた熱い雫が俺の腕に落ちて、服に円形のシミを作った。


 ……こんな状況で、抵抗なんてできるわけがない。俺は彼女の方に顔を少し傾けながらその身体を支えて、黙って先を促すだけだった。


 ふと思い出すのは、御帳さんが放ったあの一言。


『砺波さんは、大好きな幼馴染を私に取られたのが嫌だけど、かと言って想いを伝えるのも恥ずかしいから、ごちゃごちゃと無理矢理にでも理屈を付けて、一緒にいようとしてるってことですね?』


 ……あの読みは、正しかったってわけか。


「今までずっと、アンタに近付かないようにって思って、苦しくても耐えてきたのに……あの一瞬で、全部消えちゃった」


 それでも「好き」の言葉だけは言えなかったから、その勇気だけは足りなかったから……無理矢理に理屈をこじつけて、心の奥底から捻り出したの──


「──『アタシと付き合ってよ』って、一言を」


 言うと同時に、封伽が身をよじって──俺が抵抗する間もなく、唇が奪われる。


 柔らかで温かい感触が続いたのは、およそ五秒といったところだったろう。しかし、そんな短い時間で受け止められるような状況ではなかった。

 唇が離されると、封伽は再び立ち上がって、またもとの位置に座り直した。


 数秒遅れでようやく理解が追い付いて、何のつもりだと、正面の封伽に問い質そうと俺が口を開く──しかし、それより数瞬だけ早くに、封伽が声を発した。


「……ごめんね。アタシ、身勝手で。付き合えって言って、断られてもなし崩し的に押し切って、キスまでしちゃって」


 いつの間にか、観覧車は円を描き切ろうとしていた。高度は再び低くなって、この籠との別れが近付いている。景色を見る余裕も無かったけれど、もうそんな時間が経っていたのか。


 俺は無言のまま、ふと自分の唇に指を当てる。まだ熱を持っているみたいな気がして、少しの寂しさが生まれた。

 ……いや、なんでだよ。むしろここは、封伽に「何してくれてるんだ」と怒るべき状況だろうに。


 ──って、ちょっと待て。

 ──今、封伽、なんて言った?


 どこかに引っ掛かりを覚えた気がして、さっき聞いた言葉を脳内でもう一度再生する。


『付き合えって言って、断られてもなし崩し的に押し切って、キスまでしちゃって』


 ああ、それは確かに事実だ。事実を並べただけだから、引っ掛かるところなんて特に無いはずなのに。

 付き合えと迫られたのも事実だし、拒否したのに押し切られたのも事実だし、さっき唇を奪われたのも紛うことなき事実。


 だが。


「封伽、あのときのこと、『振られたけど押し切った』って自覚あったのか……?」


 そう問い掛ける俺の声は、思わず震えてしまっていた。


 その事実が、果たしてどんな意味を持つのか。

 ──簡単だ。俺はずっと、ある誤解をしていたことになる。


 封伽は怪訝そうに、こともなげに答えた。


「当たり前でしょうが。これでも、そんなことを自覚できないほどに、道徳心を捨ててはないつもりよ?」

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