choice.26 選ぶために・1日目(2)

 楽しい時間は、いつだって瞬く間に過ぎ去っていく。

 それはまるで神様が、人間の「こんな時間が永遠に続けばいいのに」という願いの逆を叶えているかのように。

 でも考えようによっては、そんな神様を恨めしく思ってしまうくらい楽しい時間だった、という証左でもある気がして。


 ──昼休憩を終えてからも封伽と遊び回っているうちに、いつの間にか閉園の時間が近付いてしまっていた。


 満足感と心地良い疲労感とが溶けあった温かな気持ちを胸に抱いて眺める、紅に染まる景色が切なげに揺れる。

 ギリギリまで園内に留まるにしても、次に乗るのが最後のアトラクションになることは間違いない。


 封伽が今日の締め括りに選んだのは、観覧車だった。


 混み具合は他に比べればまだマシな方で、思っていたよりは待ち時間も短く済んだ。二人で乗り込んで、扉が閉められる。

 籠の中に向かい合って座ると、仕方ないことだけど、少し手狭だった。互いの膝がギリギリ当たるかどうか、という距離。


「……ねえ」


 封伽が俯きがちに口を開く。その態度が、今から話されるのが大事ことであると雄弁に語っていた。


 だから俺は黙って、そこから紡がれる言葉の先を待つ。

 ひょっとしたら観覧車を選んだのも、この話をするためだったのかもしれない。二人切りで落ち着いて話すには、うってつけの場所だから。


「何年か前までは普通に、こうやって二人で遊べてたよね……当たり前みたいに一緒にいて、当たり前に笑ったり、できてた」


 薄い微笑みを浮かべて、封伽が囁くように呟く。その瞳はガラス越しに、夕暮れに沈む街並みを映していた。


 それは、今日俺が感じていたものと同じ感情。この楽しさを懐かしく想う、郷愁にも似た気持ち。


 けれど、そんな日々は──


「あはは、アンタからしたら何言ってんだって感じよね。その『当たり前』を壊したの、他でもないアタシなんだから」


 ──そんな楽しい日々は、封伽が俺を嫌い始めたことによって崩れた。

 封伽の言葉を借りるなら……当たり前みたいに一緒にいることも、当たり前に笑うことも、できなくなってしまった。


 封伽の笑みに、自嘲の色が差し込む。吐き出した言葉の温度は、外の景色と空気よりも昏く冷たかった。


「今まで黙ってたけど……アタシ、見ちゃったのよ。アンタがアタシとのことで、他の男子にからかわれてるとこと──それ以上になったとこも」


 封伽が告げた言葉に、俺は軽く瞠目する。それは、彼女がぼかして語った内容に、心当たりのある人間の反応だった。


 桜色のゴシップにさざめき立つ年頃の子どもにとって、俺と封伽の関係はいつも揶揄の対象だった。クラスの面々から「砺波と付き合ってんのか?」「なんだよ、付き合っちまえよ」なんて言われることも珍しくなかった。


 友達のからかいだったり、赤の他人の娯楽だったり、あるいはやっかみだったりと、その内訳は様々だったけれど──それ自体は別に、大した問題じゃない。

「学校じゃよくあること」の言葉で片付く、他愛のない問題でしかないのだから。


 でも一つだけ、少し特殊な事件があった。


 封伽は昔からモテる。幼馴染の俺が保証するが、可愛いし面倒見もいい。明るくてノリもいいし、一緒にいて楽しい。

 だから、そんな封伽に惚れる男子も一定数いたし──彼らにとって俺が恨めしい存在だってことも、まあ理解できるだろ?


 そんな男子の一人が逆恨みを拗らせた結果、俺は怨みの込もった暴言を正面から浴びせられる羽目になった。わざわざ放課後の教室に呼び出して、堂々としてるんだか陰湿なのか、いまいち分からない嫌がらせだ。


 俺はそいつに対して、あらゆる意味での「無視」を決め込むことにした。

 あまり関わりたい相手じゃなかったし、現場を見てた人もいなかったから、「無かったこと」として扱うのは難しいことじゃない。振るわれたのが言葉の暴力だけというのもあったし。


 ──でも、その現場を砺波封伽に見られていた、らしい。

 俺が気付かなかっただけで、彼女はそこにいた。


「嫌なのよ……アタシのせいで、アンタが傷付くのは」

「──」


 そう言うと同時に、彼女の眦に雫が浮かぶ。悲愴感のある声は、当時の彼女が抱いた決意を覗かせていて。


 その態度に俺は、今更ながら真実を悟った。

「なぜか封伽に嫌われた」と思っていた裏にあった、真実を。


 ──封伽はずっと、俺に冷たい態度を取ることで、俺から距離を取ろうとしていたのだ。

 ──封伽が悪いわけでもないのに、自分のせいだと己を責めて、自分の心を殺してまで、俺を守ろうとしていたのだ。


 普通に考えて、あんな事件ことがそうそう起こるわけはない。けれど一度現場を目にしてしまった封伽は、そんな楽観視ができないくらいに自分を責めてしまったのだろう。


 二人を乗せた観覧車が、緩やかに高度を増していく。


 封伽が、意を決したように正面の俺を見据えた。


「──アンタのことが、好きだから! ずっとずっと、大好きだったから!」


 それは直接的で、何より情熱的な告白。

 飾りっ気のない素直な裸の心が込められた、熱い言葉。


『好き』だから、傷付いてほしくなかった。

『好き』だから、守りたかった。


 誰でも理解できてしまう、これ以上なくシンプルな論理だ。


 叫ぶように放たれた台詞おとは、狭い籠の中で、そして俺の脳の中で幾度も反響して届く。


「だから……これでいいんだって、思ってた。アタシは間違ってないって……ううん、間違ってても、それでいいんだって」


 封伽の声は震えている。


「笑いあえなくても、楽しくなくても、心が痛んでも──アンタが傷付かずに済むのなら、それでいいんだって。ずっと」


 封伽が一体どんな気持ちで俺と接していたのか、俺は今までまともに考えたことがあっただろうか?

 何か嫌われるようなことをしただろうか、と悩むことはあっても──そこに痛みがあるだなんて、一瞬でも思考を巡らせたことがあっただろうか?


 ──目の前の少女が、こんなにも俺を想ってくれていたなんてこと、考えたことがあっただろうか?


「……でも、悪いことばっかでもなかったんだよ。アンタが『また封伽と昔みたいな距離感に戻りたい』って思ってくれてるって分かったときは、素直に嬉しかったし」


 まあ、その想いはアタシの方が強かったと思うけどね──と封伽は笑う。強く笑ってみせる。


 でもさ、と、そこで封伽は言葉を区切った。


「アンタが御帳さんと付き合うことになったって聞いて──今までみたいに『それでいいんだ』って、思えなくなった」

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