choice.19 ひとときの平穏?(4)

「──特に噂には、なってない?」


 ……は?

 驚きを隠しきれず、俺には耳にした言葉をそのまま反復して問い返すことしかできなかった。


 すると、瑞浪さんは「うん」とだけ短く応える。

「話すことはもう無いよ」とでも言わんばかりの態度だ。


 ──いや、「うん」じゃねえよ。納得できるか。


 待て待て待て待て、情報交換はどこに行った? 瑞浪さんから噂のことを聞くための条件として、俺はさっきまでペラペラと話してたんだろうが。


 そのはずなのに、告げられたのは「噂なんてない」の一言。


「せやから、特に噂はないよ? ウチからは『噂なんて無い』って情報を提供できるわけやね」


 瑞浪さんはふてぶてしくも言い放つ。


 ……これじゃあ、俺が一方的に内情を明かしただけだ。

 まさか、最初からそれが狙いで、俺から情報を搾取するために騙していたってことなのか?


 その可能性が頭に浮かぶと、俺は思わず瑞浪さんとの距離を詰めていた。そのまま怒りに身を任せてしまいそうだ。

 しかし、対する瑞浪さんはどこまでも冷静に、肩を竦める。


「何を考えてるか大体想像は付くんやけど、人聞きの悪いこと思わんといてよ。うち、ねんで?」

「は? そんなわけねぇだろ」


 けれどその発言は、俺の神経を逆撫でするには充分だった。

 こんな仕打ちをしておいて、馬鹿げている。弁明するにしても、もうちょっと言い訳はあるだろうに。


 だが、それでも瑞浪さんの態度は変わらない。

 それどころか、堂々とこう言い放ったのだった。


「──よう思い返してみ? ウチ、『君らのことが噂になってる』とか、一度たりとも言うてへんから」

「だから、そんなわけ……」


 ありえない、ありえるわけがない。

 それでも、しつこく「ほら、騙されたと思って。ね?」と言ってくる彼女に押し負けた。渋々ながら、今日これまでの瑞浪さんとの会話を思い返してみることに。


『……噂にでもなってるのか?』

『んー、知りたい? 素直に教えてあげてもいい気はすんねんけど、ちょっと不公平かな?』


 なるほど。確かに、「噂になっているのか」という俺の問い掛けに対して、イエス/ノーでの明確な答えは返していない。


「じゃあ、その後の『自分の噂を知るのは困難』って話は?」

「あれは『もし噂があったとしても』っていう仮定のお話」


 ……ふむ。

 屁理屈な感は拭えないけれど、言われてみれば、本当に明言はされていなかった。


 蓋を開けてみれば、噂が存在していると、俺が勝手に思い込んでいたというだけだった。さらに言うと、それが悪い噂だなんてことも、瑞浪さんは一度も言っていない。


 確かに言ってはいない──けど。


「……これを、『嘘はついてない』って言い張れるのか?」


 嘘を口にしていないというだけで、そう思い込むように俺の思考を誘導したのは事実だろう。


 そう指摘すると、瑞浪さんはアッサリ認めた。


「そりゃ、やり方が悪辣やった自覚はあるて。君って口堅そうやし、そうでもせんと聞き出されへんと思ったから──でも、嘘を付いてないのも本当のことやん?」


 詭弁だ! と、声高に叫べたら良かったのだけれど──残念ながら、掌の上で愉快に転がり回ってから言っても、負け惜しみにしかならないのだった。

 後悔は先に立たないし、決してしまえば敗北は覆らない。


 なので、俺はせめて話を先に進める。


「はぁ……でも、噂になってないってのは正直意外だったよ」


 もちろん、自惚れとか自意識過剰ってわけじゃない。注目を集めるのは俺ではなく、御帳珠洲と砺波封伽──もっとも、そんな先入観があったからこそ、手玉に取られたわけだが。


「さすがに、二人を過大評価しすぎてたか」


 そう呟くと、しかし瑞浪さんは首を横に振る。


「いや、ウチもそこは同感やで? ──せやから、今朝はウチが慌てて手を打ったわけやし」

「そっか……いや待てお前今なんて言った?」


 さらっと、とんでもないことを言わなかったか?


「ん? 噂になってないんはウチの功績や、ってだけやけど」

「そこまで露骨な言い方はしてなかった」


 反射的にツッコんで……そして、うん?

 もう一度言われても、ピンと来ないよ?

 愕然としすぎて、驚きが着いて来れないっていうか。


 ていうか、そんな重大なこと、傍点も付けずに言う?


「自分の手柄に傍点とか、嫌味っぽい気ぃするし」

「そこについては手遅れな感もあるけど……」


 だが、どうやら嘘や冗談ではないらしい。マジなのか。

 とはいえ、にわかには信じがたい。


 瑞浪さんは俺のそんな内心を見抜いて、「まあ別に信じひんくても全然良いんやけど」と言う。


「それでも簡単にだけ説明すると──噂話って、複数のものが同時に流行るのは難しいんよ。特に学校の場合なんか、コミュニティが閉鎖的やし」

「……一番面白いのだけ残って、他は淘汰されるってことか?」

「そ。やから、もっと面白い噂を意図的に流してあげたら、他の噂を掻き消すってこともできなくはないんよ」


 その理屈だけなら、なんとなく分からなくはないけれど。


「でも、その『意図的に噂を流す』って可能か?」

 そんな方法、俺にはまるで思い付かない。それに、都合よく『もっと面白い噂』を知ってる必要もあるとなると──


 そう問うと、瑞浪さんはうっすらと微笑んだ。


「ふふっ……聞きたい?」

「やっぱり聞きたくないです」


 今までの微笑とは隔絶のある、なぜか背筋がぞわりと凍る笑顔──その波動に呑まれたかのように、俺の口からは無意識にそんな言葉が零れていた。


 え、今の何?

 ……いや、考えるのはよそう。


 気を取り直して──しかし、(手法は謎でも)そんな経緯があったのなら、瑞浪さんには感謝しておくべきなんだろうか?

 ……けど、何故だろう。素直に感謝するのは抵抗がある。


「別に感謝とかせんくていいよ? ウチは珠洲ちゃんのためにやったんや……あ、でも、くれるんなら遠慮なくもらうで?」

「これ以上葛藤を大きくさせないでほしい」


 さっきの空気が嘘みたいに、瑞浪さんは元通りだった。ちょっと安心する……いや、これはこれで怖いんだけどな。


 と思っていたら、瑞浪さんが少し真剣な表情を作る。


「──でも、脅すつもりはないんやけどね? まだ安心するには早いんちゃうかなーって、ウチはそう思うんよ」

「どういうことだ?」


 釣られて、俺の態度も真剣みを帯びる。真面目な話らしい。


「そのままの意味。ウチの手法も一時しのぎでしかないから、すぐに無意味になってまうんちゃうかなって」

「それはつまり──これが『より面白い話題』になったら、噂になるのは避けられないってことか?」


 さっきの話から考えるに、おそらくそういう話だろう。

 瑞浪さんは頬に手を当てて、「そう」と頷く。


「砺波さんと珠洲ちゃんの今後の行動によっては、普通にありえる可能性やろ?」

「……確かにな」


 俺を巡って争う立場にある(らしい)二人だし。


「でも、ちょっとだけ安心したかな。さっきの話聞いた感じ、噂になるとしても、そこまで悪い噂にはならんやろうし」

「え、そうか?」


『俺と御帳さんが恋人になったところに封伽が割り込んで、自分こそ恋人だと言い張っている』って受け止められるんじゃないかと、俺は心配だったんだが。

 封伽に向けられる視線が、かなり厳しいものになりそうで。


「それは否定できひんけど……ほら、そこは珠洲ちゃんの発言が効くと思うから。批判する人もおるやろうけど、擁護する人も同じくらいいてくれるんちゃうかな?」


 御帳さんの台詞っていうと、封伽が俺を好きってやつか?


「恋に真剣で全力な乙女には、いつだって誰か味方がいてくれるもん──少なくともウチは、そう信じてるかな」


 確かに俺も、そうだったら良いとは思う。


 でも封伽は、そんな理由で擁護されるのは嫌がるだろうな。「だから好きとかじゃないってば!」って。

 ……あ、でもそれ、すごく図星っぽい反応だわ。


 そう考えると、確かに一安心ではあるのかもしれないが。

 ただ、なあ。


「俺としては、そもそも噂になりたくないんだけどな」

「せやねえ。ウチも、珠洲ちゃんが変に担ぎ上げられるんは嫌やわ……でも、避けられへんのちゃうかなあ?」


 俺の嘆息に、瑞浪さんが同意して──不穏な一言を放った。

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