choice.18 ひとときの平穏?(3)

「──お、ちゃんと来たんや。意外やね」


 あれから時間は経過して、現在はとうとう昼休み。

 俺のささやかな平穏が崩れ去る頃合なんて予想していたけれど、あれは当たっていた気がする。嬉しくない。


 俺は、学校の屋上を訪れていた。先に来て待っていたらしい瑞浪さんが開口一番、振り返りざまに言ったのが冒頭の台詞。

 だが。


「……それ、あんなふうに呼び出しといて言う?」

「そう? 普通に、呼び出した側が言う台詞やと思うけど。なんやおかしいところでもあったかな?」

「それはそうだけどさ……」


 ちなみに、この学校の屋上は生徒に開放されている。今どき珍しく、鍵さえ掛かっていない。

 もちろん、それは充実した安全対策の裏返し。事故防止の柵は、過剰なくらいに高く丈夫に造られている。

 仮に飛び降り自殺を試みるとしても、登る気が起きないだろう。俺なら確実に場所を移す。どうせ死ぬなら、もっとお手軽な方法を選びたい……いや、死ぬつもりは今のところないけど。


 とはいえ、開放されているからといって人が集まるわけでもない。そりゃそうだ、夏は日射しが強く照り付けるし、他の季節は風を遮るものがなくて寒い。こんな場所、大抵の生徒は一度も立つことなく卒業することだろう。


 まあ、だから内緒の話にはうってつけ……かは知らないが、とりあえず俺はここに呼び出されたのだった。

 込み入った話をするにあたって、一限と二限のたった十分の間隙は短すぎる。「続きは昼休みにどう?」という彼女の提案を受けて、俺もすぐに乗ったというわけだ。

 乗ったわけだけれど──


「『まさか来ないなんてことはないよね』って感じの圧力をズッシリ掛けておいて、俺が来るのが意外ってことはないだろ」


 俺は嫌味っぽく言ってみる。すると彼女は、「いやいや、これが案外そうでもないんよ?」と笑ってみせた。

 またあの、性格の悪そうな悪戯っぽい笑顔だ。やけに似合ってるのがムカつくよな、こういうの。


「君が諦めて来おへんって可能性も捨てきれんし。そもそもが『どうせなら知っとくか』程度の軽い気持ちみたいやったし、あり得る話やろ?」

「ん。ああ……それもそう、なのか」


 確かに、言われてみればそうだった。興味が無いといえば嘘になるが、かといって熱烈に情報を欲しているわけでもない。


 そのはずだった。

 しかし、どういうわけか、ここで退くという選択肢が少しも思い浮かばなかったのだけれど──


「まあ、そうならんように煽ってみたんやけど。ウチ、来るか分からん相手を待ち続ける趣味とかないし」


 ……は?


「ここで退いたところで、それは単に利益が小さいって判断したってだけの話。謂わば、戦略的撤退に近い感覚かな?」


 普通に考えたら、責められることでも、ましてや恥ずかしいことでもない──と彼女は言う。


「──でも、煽られたってだけのことで、さながら情けない逃走みたいに思えてまうんよね。で、意固地になってもうたり」

「…………」


 俺は何も言えなくなった。

 見に覚えがある奴の反応だった。


 ……完全に掌の上。

 俺って今まで、こんな底知れない奴の隣の席に座ってたの?

 ずっと、格の違いを見せ付けられている気分なんだけど。


 あるいは瑞浪さんに声を掛けられた時点で、どうあっても俺はここに来て話をする運命だったとでもいうのだろうか?


 掌で転がされるくらいなら、ここで引き返すのが最善のような気がしてきた……なのに、さっきの話を聞いてからだと、それすらプライドに邪魔される。

 ここまで含めて掌の上なんだと、頭じゃ分かってるのに。


 ……いや、弱気になるのは駄目だ。

 俺は気を取り直して、数時間前と同じ問いを投げる。表面上はいかにも気丈な態度を繕って、しかし警戒心は強めつつ。


「で、話の続きだけど──条件は何なんだ?」

「そうやね……まずは君の口から、『これまでのあらすじ』が聞いてみたいかな。主観的に、なるべく感情を込めて」


 対する瑞浪さんはのほほんと、そんなふうに答えた。


 噂と実態の差を測るために真実を知りたい、ということだろうか? その考えは納得できる。

 けど、それなら主観的じゃない方がいいのでは──


「──待て。今、『まずは』って言ったか?」

「あ、気付いた?」

「気付くわ。誰かさんのせいで、警戒が解けないんだよ」

「嫌味やねえ。ウチも傷付く心は持ってんねんで?」

「そりゃ重畳。さっきまでの意趣返しとでも思ってくれ」


 我ながら迂闊にも、一瞬スルーしかけたけどな。


 でも、そのくらいの仕掛けなら俺にだって見抜ける。

 そう言うと、瑞浪さんはふふっと薄く笑って目を伏せた。


「じゃあその目聡さに免じて、次に言うつもりやった条件は取り下げたげよっかな」

「そりゃどうも」


 しかし、条件が『これまでのあらすじ』とはな。


 実を言うと、この申し出は渡りに船と言っても良かった。

 俺も、一度は誰かにこの話をしたいと思っていたのだ。こんな非現実的でめんどくさい話、一人で抱えるには重すぎる。

 関係の薄い誰かに吐露して楽になりたい気持ちはあった。


「話すのは別に構わないんだけど、でもわりと突拍子も無い話になるぞ? 信じてもらえないような」


 とはいえ真面目に話すとなれば、その非現実的な要素、つまり御帳さんを中心として巻き起こっている『異常』についても話題が及ぶ。俺の頭がおかしいと言われても当然の内容だ。


「それは構わへんよ──じゃあ、事の発端は?」

「ああ、まずは昨日の放課後なんだけど……」


 注意書きへの返事に満足して、ならばと俺は語り始める。


 筋書きこそカオスだが、それでも意外と、言葉は口からスルスルと出て来てくれた。

 あと、シンプルに瑞浪さんが聞き上手だった。相槌の打ち方や質問を挟むタイミングが巧妙で、話していて気持ちいい。


 ……話が終盤に差し掛かった辺りで、ふと思う。

 本当に「次の条件」なんてあったのだろうか、と。


 既に俺は、瑞浪さんの底知れなさの一端を垣間見ている。

 そんな彼女が、あんな簡単なトラップを用意するか?


 一矢報いたと俺が浮かれることで、口の滑りが良くなる効果を狙ったとか……そんな目論見を疑いたくなってきた。

 そのくらいはやりかねない気がしている。


「──とまあ、こんなところかな」


 そう思ったところで、おおよそ話し終えてしまったから今更なんだが……あくまでも可能性の話だし、深く考えないようにしよっと。


「なるほどね」


 瑞浪さんが、事情は理解したと頷いて言う。理解と受容は必ずしも一致しないから、果たして信じてくれたのかどうかは分からないけれど。

 まあ、「んなわけねーだろバーカ」と切り捨てられても仕方ないかな、とは思う。そんなレベルの話だし。


「簡単に受け止められる話でもないけど、まあ嘘やないやろうしね──事情と君の性格は、大体掴めた気がするわ。特に、砺波さんと珠洲ちゃんをどう思ってるか、とかね」


 どうやら、全否定はされなかったらしい。


 ……って、待て。後者。

「主観的に」とか言ってたのはそのためか。


 普段なら「勝手に分かった気になるな」と言いたくなるところだけど──相手が瑞浪さんだと、本当に見抜かれてしまったんじゃないかって気になるから油断ならない。


「色々と気になるところはあったけど……珠洲ちゃんの誘いを断られへん、ねえ」

「そりゃ、現実的に考えたら有り得ない話だし」


 台詞一個分のごく僅かな時間とはいえ、タイムリープなんて創作の世界の出来事だろう。


「それもあるんやけど、そもそもウチ、珠洲ちゃんの誘いを断ったこととか無かったから。誰かがそうしてるのを見たってこともないし……今度、試しに断ってみよかな?」


 ん。それについては「断ったことがない」じゃなく「断られるようなことを頼んでこない」ってのが正しい気がする。

 御帳さんって、性格的に無理難題を人に押し付けるタイプとかじゃないだろうし。


 けど、誰でも同じことが起こるのか、それとも俺だけなのかってのは興味あるかな。検証したら教えてほしいかも。


「でも、選択の自由が奪われてるみたいって……大変やねえ」

「今となっては、瑞浪さんもその一人みたいな気がするけど」

「ふふっ……大変やねえ」


 笑顔で流された。

 まあ、ここに来たのも一応は俺の意志だから、な。


「とにかく、俺から話すのはこれで終わりだ──今度は瑞浪さんが話す番ってことでいいんだよな?」

「ここで『あかん』って言うほど、ウチも非情やないよ?」


 ちょっと素直に頷きにくい台詞だった。

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