choice.17 ひとときの平穏?(2)
二限目は数学だった。移動教室だ。
「移動教室って面倒だよな〜」と、心の中で呟いてみる。
うん、普通の学生が普通の生活で普通に言いそうな台詞だ。
あまりの普通さに、ちょっと心が安まる。
学蓄ライフを満喫している俺がいた。
ちなみに、数学の授業が移動になっている理由は簡単。御帳さんの所属するクラスとの合同授業なのだ。
とはいえ、習熟度別のコース分けだから遭遇の心配はない。
封伽と御帳さんは同じ「発展コース」だから、何か問題が起きやしないかと不安ではあるけれど……「標準コース」の俺には何の関係もないと主張したい。
「──どうしたん? 今日はなんやお疲れモードっぽいけど」
「ん……ああ、
席に座っていた俺に、明るい声が掛けられる。チャイムが鳴るまでの手持ち無沙汰を誤魔化すためにパラパラ教科書を捲っていた手を止めて、俺はその声の主に応えた。
薄紅色の短い髪は寝癖みたいに所々ハネていて、けれど不思議とだらしない感じはしない。むしろ、なんだか親しみやすそうな印象を受ける。
「前髪が目に掛かると邪魔だから」としか考えていないらしい素朴なヘアピンも、なぜだか一級のオシャレに見えてくる。
なんとなく大人っぽい印象を受ける人だ……決して、平均くらいの背丈に対して、周囲より二回りは大きい胸が理由というわけではなく。
──この授業の座席で隣人になる少女、瑞浪
クラスは御帳さんと同じで、彼女の親友らしい。
男女関係なく誰にでも気安く話すタイプで、隣の席になった縁から、たまに話すことがある。こうして、向こうから話し掛けてくることの方が多いけど。
「ま、お疲れモードの理由についても、最低限のことは既に知っとるんやけどな?」
「……何の事だ?」
少しだけ関西弁が交じった軽妙な口調で、瑞浪さんは会話のジャブを放ってきた。
俺は咄嗟にとぼけてはみたものの、捉え方によっては先を促しているように見えなくもない。
ちなみに、実際に彼女は関西出身なんだとか。この高校への進学と同時期に引っ越して来て、だから関西弁はネイティブ(適切な表現かどうかは分からないけど)らしい。
本人が言うには「関西の方言は強烈って印象かもやけど、実際はあそこまでちゃうから!」とのことだが……確かに、細かいアクセントの違いに引っ掛かりを覚えることはあっても、話してみればそんなに変わったところはないように思う。
瑞浪さんは片目を瞑って唇に人差し指を当てつつ、「朝のこと。他に無いやろ?」と言い放った。
さすがという形容も変だけれど、情報が早い。
御帳さんの親友だし、本人から聞いたのだろうか……いや、そういうことを吹聴するタイプじゃない気がする。
けど、他に理由があるとすれば──
「……噂にでもなってるのか?」
恐る恐るというほどでもないが、とりあえず訊いてみる。
御帳さんと封伽のことを思うと、やはりあり得る話だ。けれど、もしそうなら面倒事の匂いしかしない。
噂というのは、事実よりも面白おかしい方向に脚色されて広まったりする。そっちの方がウケが良いから。
だから、噂話に対抗して反論したりしたところで、全て徒労に終わってしまうのが常だ。大半の輩は真実なんかに興味ないし、そもそも一度持った感想を覆すことも稀。
たとえば、ある噂を聞いて「〇〇はクソだ」と評価を下す。そうなると、後から「実はデマでした」と判明したとしても、「悪いことを言ってしまった」なんて反省には到らない。
だって、面白くないのだから。
そんなわけで、もしも噂になっているなら、俺としては静かに収束を待ちたいのだけれど。
「んー、知りたい?」
「そりゃ、まあ」
とはいえ、内容くらいは知っておきたいところ。噂と事実の乖離具合を測るためにも。
「そうやねえ……素直に教えてあげてもいい気はすんねんけど、ちょっと不公平かな?」
「不公平?」
一方的に教えるだけじゃ、瑞浪さんにメリットがないと?
それは確かにそうだけど……うーん、そのくらい、タダで教えてくれても良くないか?
と思ってしまうのは、少し傲慢なのだろうか。
やっぱり、他の人に聞いてみようかな。
しかし、そんな俺の内心を読み取ってか、瑞浪さんはすかさず静止した。不敵な笑みだ。
「それはどうやろね? 自分についての噂を自力調べるって、口で言うほど簡単ちゃうかもよ?」
「……えっと、つまり?」
「んー……例えば社会的なゴシップとかは、自分についてどんな話が出回ってるか調べられる。いわゆるエゴサーチやね」
それは分かるけど。
「……学校の噂は、違うのか?」
「違うよ。逆に訊くけど、本人のおらん所で出回る話を調べる方法って、何か思い付く?」
エゴサに当たる方法ってことか。
「……友達とかに訊く、ってのが現実的だろうけど」
「微妙かもやね。好ましくない噂とかやと、その友人が噂を避けてるってこともある。『あいつの悪口なんて聞きたくない』って理屈で」
その気持ちは分かる。俺だって、身近な奴の悪口を積極的に聞こうなんてことは思えない。
だがそうなると、「詳しくない奴に聞く」という構図になってしまう。意味がないとは言わないが、意味が薄い。
──って、「好ましくない噂」ってことは、悪い噂なの?
「ついでに言うと、知ってても『傷付けないために話さない』ってパターンもありえるかな」
「……成程な」
たとえ本人からでも、「俺について出回ってるらしい悪い噂について教えてくれ」と頼まれて、答えられるかどうか。
そう思うと、確かに悩ましい。
縁も所縁もない他人に訊くのがダメなのは当然としても、親密な相手でも逆にダメ。ということは──俺はようやく、瑞浪さんの言葉の意味を理解した。
近すぎず遠すぎずの距離感にいる彼女は、こういった話を聞く相手として適任だということだろう。
「な、ここで退く気にはならんやろ?」
悪戯っぽい態度でそう言って、瑞浪さんは笑う。
値千金の価値がありそうな魅力的な笑顔だけれど、残念ながら俺に支払えるのは溜息くらいのものだった。昨日と今日だけで何回目になるか、やっぱり数えたくもないけれど。
「分かったよ──それで、条件は何だ?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます