choice.16 ひとときの平穏?(1)

「はぁ……」


 無意識に、溜息が溢れる。その原因は呆れと安堵、その両方──とはいっても、前者の割合が圧倒的に多そうだった。

 現状に対する呆れと、現状に対する安堵。

 そんな表現をしてみると、まるで意味が分からないけれど。


 駅での修羅場から、およそ三十分後。今の俺がいるのは、自分の学校の教室。普通の学生として、学生らしく自分の机に座って、黙って授業を受けているだけ。


 ああ、普通って素晴らしい。

 普通は退屈だなんて考え方もあるけれど、そんなのは一度でも「異常」を経験してから言ってほしい。きっと「平凡でありきたりな普通の他愛もない日常」が恋しくなるから。

 今の俺みたいに。


 ……まるで、その「異常」を抜け出したみたいな物言いだな。

 残念ながらそんなことはない。本当に残念ながら。



 朝にあんなことがあったところで、学校を休むってわけにもいかないのが学生の辛いところだ。

「修羅場を潜り抜けて精神が限界まで摩耗しました」は、欠席の理由としては充分すぎると思うけど、世間様からの了承は得られそうにない。ので、瀕死でも登校せざるをえない。


 まあ世間様とか以前に、許してくれない人がいたし。


 二人の口論(?)が一応の収束(?)を見せたときだ。何事も無かったかのような態度で、御帳さんが「じゃあ、学校に向かいましょうか」と誘って来た。

 誘って来た! ここ重要。太字にしたいくらい。


 それってつまり、今までの流れ的にアレだろ? 断れないやつだろ? もはや試す気も起きなかったけど。


 そして、俺を巡ってライバル関係にある(?)相手にそんな態度を見せられては、封伽も黙っているわけがない。強気そうに「ふんっ!」と鼻を鳴らし、当然のように付いて来る。


 まあ感情論とか抜きにしても、そもそも封伽だって学生なんだから、学校に行かなきゃいけないのは一緒だけど。


 ……斯様に疑問符が点在する「これまでのあらすじ」とは。

 ……考えるだけ無駄だな。


 とにかく、そんなわけで俺は、二人の美少女と共に電車に揺られる羽目になったのだった──羽目だなんていうと言葉が悪いけれど、率直な感想なのだから仕方がない。


 確かに状況だけ見たら、両手に花とか言えなくもないよ?


 だけど、だけどですよ。

 二人の美少女が俺を取り合って睨み合っていて、一触即発の空気──そんなの、普通に居心地が悪いに決まってる。


 御帳さんが俺の方に手を伸ばそうとすると、封伽が即座に掴んで遠ざけ、勝ち誇った顔を見せる。逆に封伽が俺と腕を組もうとすると、今度は御帳さんが封伽の手を取って薄く微笑む。


 誰か、この状況を楽しめるメンタルの持ち主はいますか?


 ……いやはや、もはや俺には、昨今のラブコメ主人公を手放しに羨ましいとは思えなくなってしまったな。

 ま、もとから別に羨ましいとは思ってなかったけど。

 だって、俺の望む「平穏」の対極だし。


 しかし、辟易する理由はそれだけじゃない。

 ……これだけでも充分とは思うけど。


 タチの悪いことに、駅での騒動には観衆ギャラリーが居合わせていたわけだ。あまり利用客の多い駅というではないけれど、通勤・通学で使う人が集まる時間帯だったし。


 そしてその中には、同じ学校の生徒もいるわけで。

 御帳さんと封伽は、どうしても人目を引いてしまうわけで。


 そのときの俺の心境を端的に表すなら、「針のむしろ」以上に相応しい言葉はない。

 胃に穴が空いて倒れそう、というかいっそ倒れた方が楽じゃないか、みたいな……倒れたら倒れたで、その処遇を巡って二人がめんどくさいことになっていたかもしれないが。



 もっとも、そんな試練を乗り越えたことによって(学校に行っただけなんだが)、得るものは少しあった。


 学校にさえ着いてしまえば、封伽と御帳さんは、それぞれの友達のところへ行って普段通りの談笑を始める。あのピリピリした空気に当てられないというだけで、相対的に気は楽だ。

 根本的な解決にはなってないから、あくまでも相対的に。


 他の生徒から質問攻めにされるという展開も想定はしていたのだけれど、そうはならなかった。

 まあ、それは素直にありがたい。想定はしていても、対処できるとは言ってないから。というか何度も言うように、誰よりも現状への説明を欲しているのは俺だし。


 ……しかし、これは避けられてるってことだろうか?


 他人の会話を盗み聞きする趣味はないので、断定はできないけれど……他の可能性は、ちょっと思い付かない。

「君子危うきに近寄らず」とは言うけれど、この学校には君子が溢れかえっていたということだろうか? 楽園じゃないか。


 しかし過程がどうあれ、平穏さえ得られるのであれば、もうそれでいい。そう思えてしまうほどに、俺は憔悴していた。


 ──そして現在に至る。一限目、現代文の授業。


 普通だ。平凡だ──そして何より、平穏だった。


 授業中なのだから、誰も俺に関わってこない。当たり前の話だけれど、その事実が今はただありがたい。

 一人の時間が、結局は一番、心安まるときだから。


 教師の声もチョークの音も、さながら癒やしのBGM……そうした「普通」の海に沈み込んでいくうちに、摩耗した心のHPがジワジワ回復しているような気がする。


 授業が癒やしって、「学生の鑑」さえ通り越してる気がするけれど……もうそれでいいや。

『学蓄』。新しい称号が完成した。


 ……この平穏も、どうせ昼休みくらいには否応なく壊されるような気がするし。


 まあ、それならそれで潔く諦めて、それまで刹那的な安穏を楽しむとしよう。前向きに考えなきゃ、身が保たない。

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