choice.11 互い違う認識(5)

「いただきます」


 食卓に並んだ品々を見ながら、俺は手を合わせて言った。



 ──実は封伽も、俺が父親を亡くしたのとほとんど同時期に母親を亡くしている。それ以降は父親との二人暮らしということになっているが、多忙さのせいで実質は一人暮らし。

 父か母かという違いはあるけれど、そういう意味で、俺と封伽の境遇にはかなり似通っているところがあるのだ。


 最初の頃は俺の母と封伽の父が忙しいながらに頑張って、空いた時間に家事もしてくれていた。けれど、二人には目に見えて疲労が溜まっていたし、そんな姿を見るのは辛かった。

 だから俺と封伽は、そんな優しい親たちの重荷にならないように、そして負担を減らそうと、料理や掃除・洗濯などの家事スキルを習得することに決めたのだった。


 とはいっても、まだ親の死を完全には受け止めきれていないような状態。一人だったら、どこかで泣き出して、挫けてしまっていたかもしれない。

 そうならなかったのは、二人だったからだ。俺たちは、生きるための術を、二人仲良く一緒に身に付けていった。


 けれど一緒に学ぶからって、上達の足並みがキレイに揃うなんてことはない。というか全ての分野において例外なく、封伽は俺よりも飲み込みが早かった。

 飲み込みが早いというよりは、適度に力を抜くのが上手かったというべきかな。そう言ってしまうと、封伽が適当だったみたいだけど……家事は毎日のように行うものだから、実際のところ、それはかなり必要不可欠な能力だ。


 逆に俺は、封伽から「いちいちそんなに気合入れてたら、続ける気力も湧かないでしょ?」と言われっぱなしだったっけ。


 そんなわけで、二人で一緒に始めた勉強は、いつしか俺が封伽から一方的に教わる形になっていた。

 当時は己の不甲斐なさに劣等感を感じもしたけれど、結局は封伽と二人でいるのが楽しくて……今から思い返してみると、すごく満ち足りた大切な時間だった。


 だが、そんな「指導」の時間は、ある時を境にぷっつりと途絶えてしまう。原因はもちろん、封伽が俺のことを嫌うようになったことで──



 とまあそんな経緯もあって、こうして封伽の料理を食べるのはかなり久し振りのことだった。

 そう思うと、まるで昔に戻ったみたいで懐かしい。


 懐かしいといえば、目の前に並ぶメニューだってそう。

 マーガリンを塗って焼いた食パン、レタスとミニトマトだけのサラダと、市販品のカップヨーグルト、飲み物はインスタントのコーヒー。

 この「最低限の手間だけ掛けた」みたいな感じが、いかにも封伽って気がしてなんだか妙に安心する。


 そして何よりも──


「──封伽、覚えててくれたんだな」

「……な、なにがよ」


 俺はそう、正面に座っている幼馴染に声を掛ける。朝食は自分の家で既に摂ってきたらしい封伽は、俺のコーヒーのついでに淹れたカフェオレをちびちびと飲みながら応えた。


「俺の味の好みのことだよ。もうあれから二年は経つのに、よく覚えてたなって思ってさ」


 例えばこのトースト。マーガリンは普通より厚く塗ってあるし、また焼き時間を長くしてこんがり仕上げている。

 サラダに掛けてあるのは、ドレッシングではなくシンプルな食卓塩。ヨーグルトは安物の中でも俺が一番好きな銘柄だし、コーヒーはミルクや砂糖を全く加えないブラック。

 全て、封伽が俺の好みに合わせてくれているというわけだ。


「……ふ、ふん。そんなのただの偶然よ、偶然。適当に作ってただけなのに、たまたまアンタの好みに近くなったってだけ」


 けれど対する封伽は、早口にそれだけ言うと、ぷいとそっぽを向いてしまう。

 顔がほのかに赤くなっていることから判断するに、無理な言い訳だという自覚はあるけど、恥ずかしいから認めたくないといったところなのだろう。


 そんな彼女の態度を俺は微笑ましく思って、「そうか、だとしたらすごい偶然だな」とだけ返すことにした。ここでしつこく追及するような無粋は、さすがに犯さない。



 ──誤解を恐れず言ってしまうと、封伽の料理は、ずば抜けて美味しいというわけではない。もちろん決して悪いわけじゃないのだけれど、なんというか、良くも悪くも普通なのだ。

 それは本人も認めていることだ。


 というのも、封伽からしてみれば、料理において何より重視するのは調理の簡単さと片付けの楽さだからだ。味を軽視しているわけではないにせよ、どうしても二の次三の次になってしまうし、そこに対する向上心はも薄くなりがちなのである。


 けれど、それでも、こういうふうに細やかなところで優しさを発揮してくれるところが……言葉ではうまく説明しにくいけれど、味とかに関係なく、とにかくあったかい。

「料理は愛情」なんてのはベタなフレーズだけれど、信じてみてもいいかもしれないという気分にさせられる。


「……アンタぐらいよ」

「え? 封伽、何か言ったか?」


 そんな気遣いを味わいながら朝食を摂っていると、封伽がポツリと何事か呟いた。

 だが、聞こえるか聞こえないかギリギリくらいの声量だったせいで、何かを言ったのだということは分かっても、内容までは分からない。


 だから「何か言ったのか」と訊いたわけだが……封伽は「む」と言いながら、「わざわざ訊くなよここはスルーしとけよ本当面倒くさいな」とでも言いたげな視線を向けてきた。


 理不尽な。

 いやだって、内容によっては、聞き逃したままでいた方が封伽も怒るだろ? で、何を言ってたのか分からないんだから、訊く前に判断もできないし。


 俺、別に何も悪いことしてないよな?

 メチャクチャ非難されてるっぽいけど。


 封伽は五秒くらいだけ考えるようにしてから、ようやく口を開いた。


「……そうね。『そんな単純で馬鹿な味覚してるのはアンタぐらいよ』とだけ言ったわ」


 え、なんで俺はいきなり批判されてるの? 責められるようなことをした心当たりが無いんだが。


 ……あ、理由ならあるか。俺が封伽に嫌われてるっていう、大きくてどうしようもない根本的なやつが。


 うーん……昔は仲が良かった幼馴染からかなり嫌われてるって事実は、分かってはいても結構ショックなんだよなあ。

 というか、何がキッカケで嫌われたのかも知らないんだが。訊いても教えてくれないし。自分で考えろってことか?


「……わざわざ好みに合わせて作るのなんて、アンタぐらいよ」


 と、そんなふうに俺が「理由なんてない。アンタのことが嫌いだからアンタのことが嫌いなのよ」みたいな話だったら嫌だなあ──なんて考えていると、また封伽が何か呟いた。

 さっきと同じで、聞き取れなかったけど。


 もう一回、何て言ったのかって尋ねてみるか?

 ……いや、どうせ俺の悪口だろうし、わざわざ確認して傷付く必要もないかな。また封伽の機嫌を損ねるのも嫌だし。


「──っていうか、さっさと食べちゃいなさいよね。アンタがそれ食べ終わらなきゃ、アタシが食器とか片付けられないでしょうが。二人揃って遅刻とか、普通に嫌だからね?」

「……ああ、そうだな」


 えー。何も尋ねなかったけど、結局機嫌は損ねたっぽい。

 いや、これは平常運転か? 怒ってなくてもこんなもんか?


 ──というか、


「別にそれなら、待っててくれなくても、何なら先に学校行っててもいいぞ? 俺だって家事くらいできるし、作ってもらったんだから洗い物くらいやるよ」

「──何言ってんのよ。今日は学校、一緒に行くのよ?」


 …………。

 ……はい?

 ちょっと封伽の台詞についての情報処理に時間が掛かった。


 えーっと、俺はそんな約束を封伽と交わしていたっけか?

 残念ながら全く覚えがない、というか俺の記憶によると、その約束を交わした相手は封伽じゃなくて御帳さんだったはずなんだが。

 あれを「約束を交わした」って言っていいのかはともかく。


 しかし、そう主張してみるも、封伽の反応は淡白だった。


「あー、確かに言われてみれば、ちゃんと言ってはなかったっけ──でも、朝から家に来てる時点で大体察しは付くでしょ」


 いやいやいやいや。確かにそれはそうなのかもしれないが、封伽さんは報連相って言葉を知ってるかね?

「言わなくても伝わるよね」は、昨今あまり良くないよ?


 とにかく、今日の朝は既に御帳さんとの先約があるのだ。だから、俺はこの誘いを断るほかない。封伽と一緒に学校に行くなんて、承諾するわけにはいかないのだ。

 いかないのだ……のだ、けれど。


 ──嫌な予感がした。

 というか、予感じゃない。これはもう確信だ。

「これはアレかな?」じゃなく、「これはアレだな」。

 ひょっとしなくても、昨日から続いている非日常──


「なあ封伽。ちなみになんだけど、俺に拒否権は……」

「あるわけないでしょ」


 ……やっぱりかよ。


──────────────────────────

今回はここまでです。

次の更新は11月の最終日を予定しています。


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