choice.10 互い違う認識(4)

 手短に、まず結果から述べよう。


 駄目だった。

 普通に駄目だった。


 ……いやいや、待ってくれ。

「何だよ、お前さっきから何もできてねえじゃんか。ちょっとくらいは自分の主張を貫いてみせろよ、男だろ」と言う前に、とりあえずは話を聞いてもらいたい。


 ──思っていた通り、封伽は自分の家にいた。


 幸いというか、それを確かめるだけなら簡単だった。なにせ俺の部屋の窓からは、ちょうど封伽の部屋が見える。隣の家に住んでいる、幼馴染の特権というやつだ。


 もっとも、窓越しにおしゃべりしたり、雨の日に互いの家から出ずに遊んだりと無邪気に楽しんでいたのは幼い頃だけで、当たり前だが、成長に伴ってそういうことはしなくなった。

 ある程度の年になったときには互いの部屋にカーテンを付けたし、封伽に嫌われてからはカーテン越しに視線を向けることもほとんどなくなっていた。


 それを有効活用したわけである……まあ、やっていることはただの覗きなので、決して褒められた行為ではないけれど。

 事情が事情なので仕方ないと自己弁護しておく。

 大丈夫。封伽の部屋にもカーテンがあるから、マンガみたいなラッキースケベ展開は起こらないと断言できる。


 今の季節は十月上旬。夏の暑さが和らいできたばかりの時期なので、封伽の部屋のカーテンの生地は確かに薄い。

 とはいえ、カーテン越しならうっすらとしたシルエットしか見えないんだから無問題……全くの無問題とは言えないけれど、まあほら、そこはアレですよ。アレ。

 どれだろう。


 えっと……とにかく、部屋にいるのなら話は早い。

 まず俺は電話を掛けてみた。さっきみたいに繋がらなかったら直接出向く。すると少し意外なことに、封伽はアッサリ電話に出た。

 じゃあさっきはどうして出なかったのかと疑問に思いもしたけれど、話が主題から逸れてしまうのは本意ではないのでぐっと呑み込む。さっさと本題に切り込むべきだ──が。


「さ、さっき言ったでしょ!? あ、アンタなんかに、この封伽サマの誘いを断る権利も資格もないんだから! ──いい? アタシの『付き合って』は命令なの! お願いじゃないの!」


 とまあ、そんな感じで俺の主張は聞き入れられなかった。

 当然ながら俺もここで退くわけにはいかない、というかそんなメチャクチャな論理を受け入れるわけにはいかないので、抵抗の姿勢を崩すつもりはない。

 何度だって食い下がって、封伽の主張が変わるまで戦い続けるのみ……だが、封伽の強情な態度はとうとう揺るがなかった。


 俺がさっき立てた仮説をもとに「別に封伽に魅力がないから振ったとか、そういう話じゃない。封伽は幼馴染の俺から見てもいい女の子だと思う」と言ったときなんて、マジで怒り心頭って感じだった。

「な、な、な……」と声にならない呻き声みたいな音を上げて、最終的に、それはもうメチャクチャに怒鳴り散らされた。部屋の窓からとスマホからとで、声が二重に聞こえたくらいだ。

 そして挙句の果てに、またもや通話は一方的に切られてしまったのだった。


 嫌いな奴から褒められたのが、よっぽど気に障ったのか? 馬鹿にしているように思われたとか?

 封伽の考えていることが、たまに全く分からなくなる。


 うーん……しかし封伽って、ここまで聞き分けの悪いやつだったかな?

 そりゃあ確かに、どちらかといえば理屈より感情で動くタイプなんだけど……俺の知っている砺波封伽は、こんな支離滅裂なことを言うよつな奴ではなかったと思うんだが。


 と──そこまで考えて、俺は、はたと気付く。

 さっき考えたときには思い付かなかった可能性……いや、きっと思考の片隅をぎってはいたのだけれど、目を逸らして見ない振りをしていた、「仮説3」の存在に。


 俺が何を言ったところで聞く耳を持とうとせず、封伽はどこまでも頑なに、俺の拒否権の存在を否定し続けた。

 そんな理不尽極まりない状況に、細部は違うけれども、俺は覚えがあった。強く想起させられる不条理があった。


 それは──御帳珠洲。


 ……まさかそんなわけが、とは自分でも思う。可能性の話をすれば、ほとんどゼロと考えて無視していいレベルの仮説だと。

 現実的に考えれば、どうあってもありえないような筋書きだ──しかし悲しいかな、俺はこう言わざるをえない。


「既に俺の日常は、非日常に侵されている」。


 つまり、簡単に言えば……御帳さんに起こっているのと似たような「異常」が、封伽の身にも起こっているのかもしれない。

 俺の幼馴染は既に、何か大きな、そして厄介な渦に呑み込まれてしまっているのかも──


 背筋がぞわりと寒くなる。


 少なくとも、この理屈だと矛盾はなくなる……いや、なくなるのではなく、全ての矛盾を不条理の中に飲み込んでしまえる。

「不可思議は不可思議だから不可思議なのだ」という馬鹿みたいなトートロジーによって、合理的とは程遠くても、目の前の不可思議に説明がついてしまう。


 ──だけど、もしも仮にそうだったのだとして……じゃあ俺は一体どうするべきなんだ?


 ……いや、どうすべきかなんて言ってみたところで、そもそも俺にできることがあるとも思えない。


 事態は既に、一介の男子高校生にどうにかできるレベルを遥かに超えている。無力な一般人でしかない俺には、何が起きているのかを正しく認識することすらできていないのだから。


 いっそ御帳さんや封伽みたいに、自分が異常の渦中にいるということを認識できていなかったなら、そっちの方が楽で良かったのかもしれない。

 こんな、どうにもできないことで悩まなくて済むから。こんな、どうしようもない無力感を味わうことなく済むから。


「けど……何もできないからって、何もしないわけには」


 そう、それが問題だった。


 はなはだ不本意ながら、俺には現在、二人の恋人がいることになっている。

 なぜか俺は御帳さんと封伽の二人と付き合うことになって、そして、その関係を解消することに失敗した。


 一人の男子に、二人の美少女。このことが非常にマズい事態を招くだなんてこと、小学生にだって分かりきっている。

 それが、この状況を看過できない理由だった。


 ──とはいえ、どうすることもできないのが現状。


 俺はその日、夜眠りにつくまで必死になって考え続けた。どうすれば、この状況に終止符を打てるのか。どうすれば、俺の平穏無事かつ正常な日常生活が帰ってくるのか。


 けれど、どんなに強く望んでみたところで、そんな魔法みたいな手段なんてあるわけもなかった。

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