choice.8 互い違う認識(2)
──時計の針は、昨日の夕方まで遡る。
封伽に「今からアタシ達は恋人同士だから!」と電話を切られて、掛け直したけれど繋がらなくて──その後。
さらに正確に言うと、スマホのトークアプリで封伽に抗議のメッセージを送り終えた後のことだ。
俺はトークアプリを閉じてから、スマホを手放すことなくそのまま操作して、ある人物に電話を掛けたのだった──本当は家に帰ってからすぐに取り掛かりたかったのだけれど、思わぬ形で時間を食ったからな。
もっとも、相手がすぐに電話にでて暮れるかどうかは分からないけれど。ひょっとしたら、今は忙しい時間帯だったりするかもしれないし。俺は彼女のことをそんなに詳しく知っているわけではないので、その辺りは分からない。
まあその場合でも、今夜にでも着信履歴を見て折り返してくれればいいかな、くらいの軽い気持ちだった。
しかしというほどでもないけれど、コール音はたった一回で鳴り止んだ。代わりに耳に届くのは、穏やかで優しい、どこか上品で落ち着いた声音。
「──はい、もしもし」
「もしもし。急に電話してごめん、今大丈夫?」
「いえ、大丈夫ですよ……というか実は、ちょうど私の方から掛けようと思っていたところだったんです」
「そうなんだ。それは良かった」
電話の相手は、御帳珠洲。俺が掛けた番号は、今日の帰り道に登録したばかりのものだった。
「それで……いきなりで悪いんだけど、御帳さんにどうしても話さなきゃいけないことがあるんだ。聞いてもらえるかな?」
「話さなきゃいけないこと、ですか?」
「うん──それを聞いてもらうために、こうして電話した」
話運びがいささか性急すぎるかとは思うけれど、仕方ない。俺は、込み上げてくる罪悪感を声に乗せてしまわないように抑え付けながら、表面上は何でもないように言葉を紡いでいく。
「分かりました。で、何ですか?」
その毒気も裏も無い返答に、御帳さんが俺の内心に気付いていないことを感じて密やかに安堵。あるいは、何かがあるとは気付きながらも触れないでいてくれているのか──そう思うと胸に巣食う罪悪感が勢いを増すけれど、それは無視する。
罪悪感を感じているからって、決して罪が軽くなるわけじゃない。だって、それは咎人には絶対に与えられるべき、必要な罰だから──けれど、苛まれるのは今じゃない。後でいい。
呼吸を整えて、俺は口を開く。これから口にするのは、間違いなく彼女にとって残酷な一言だ──
「──恋人になるって言ったの、取り消させてほしい」
──端的に言ってしまうと、御帳さんと恋仲になるのは、ハッキリ言って嬉しくない。
こんなことを言うと、男女を問わず他の学校の生徒に夜道で刺されてしまいそうだし、そもそも誰も信じてすらくれないかもしれないが、しかしこれが俺の偽らざる本心だ。
平凡でこれといった特徴もない俺が学校一の美少女と付き合う──例えばこの世界がラブコメだったらベタな展開かもしれないが、現実においてはそんなの、無用なトラブルを招いてしまうだけだろう。
「あまり多くは望まないから、心を乱されたり害されたりすることなく安穏と生きていきたい」と願う俺は、それが嫌だ。
俺が最初に御帳さんを振った理由は、そこにあった。
まあ、理不尽極まりない形で頓挫してしまったけれど。
けれど、やむなく付き合うことになってから、二人で並んで帰っている間もずっと、内心では一度結んでしまったこの関係を解消する方法を探していた。
なんとも往生際の悪い俺である。
とはいえ、恋人関係を解消する方法なんて、突き詰めてしまえば単純だ──別れ話を切り出せばいい。
まあ、多くの場合はそれが難しいんだろうけど。
しかしそれは、長い時間を掛けて育んできた関係性や絆が二人の間にあるからなのだと思う。
その点、俺と御帳さんの間にはまだ何もないようなものだ。今日初めて言葉を交わして、告白されてから数時間だし。
だから、別れ話を切り出すハードルも比較的低いし──御帳さんに与える傷も、今ならまだ浅く済む気がする。
御帳さんが俺に告白したのが、果たして本気なのかどうかは分からない。普通に考えて御帳さんが俺を好きになるわけがないけれど、可能性だけならゼロではないと思う……思うだけなら自由だろ?
だが、もし彼女が本気なのだとしたら、今の俺が考えているのはかなり残酷なことだ。
一度は告白を受け入れて喜ばせておいて、舌の根も乾かないうちに撤回しようだなんて。相手のことを馬鹿にしているとしか思えないし、好意的な解釈なんてしようもない行為だ。
……いや、俺、最初から振ってるんだけどね?
一度や二度じゃなく、ハッキリ断ってるはずなんだけどね?
──そう。それも、御帳さんとの交際を忌避する理由だ。
あのとき屋上で起こった「異常」としか呼べない出来事は、御帳さんの恋人として過ごす生活以上に、俺の望む「安寧」からかけ離れたものだった。
俺が御帳さんの彼氏になることで起こりうるトラブルは、想像も理解もできる。面倒だろうが、場合によっては対処だってできるかもしれない。
けれど、あれは違う。
これまでの人生で慣れ親しんだ「現実」の範疇からはみ出た非現実は、想像もできなければ、理解もできない。
対処できないどころか、まず対処しようとも思えない。
あのとき、俺はきっと──恐怖したんだ。
御帳さんと関わって、俺の日常が「非現実」に侵食されてしまうかもしれないことが、怖くなった。
……たぶん、御帳さんは悪くない。
悪意を持って俺に接してきているわけでもなければ、あの現象を意図的に引き起こしているわけでもないと思う。
むしろ態度や反応からして、自分がそんな「異常」の渦中にいることにも無自覚なのだと思う。
それなのに、俺は自分の心の平穏を守るという理由で、彼女の心を傷付けようとしている──当然、少しではなく良心が咎める。封伽の言葉を借りれば「夢見が悪い」と思う。
でも、仕方ないだろう……?
弱い人間は、理解できないモノに恐怖する。
俺は……御帳さんが、彼女の周囲の「何か」が、怖いんだ。
怖いものから逃げるのは、決して悪いことじゃない。
そう言い聞かせて、自分を無理矢理に納得させる。
納得はできそうになくても、反論を力づくで抑え込む。
これでいい。良くはないけれど、「これでいい」。
──だからその言葉は、俺の口から自然と零れてきた。
「──恋人になるって言ったの、取り消させてほしい」
こういう話は本来、実際に会ってするのが礼儀だと思う。電話で済ませてしまうのは、いかがなものなのかと。
とはいえ、残念ながらそれは出来ない。この話を対面で切り出したところで、また同じ「異常」に巻き込まれるだけだということは分かりきっているから。
もっとも、電話ならそれを避けられるという保証もないけれど──と考えながら、俺はチラリと、スマホの画面に「通話録音中」と表示されていることを確認する。
これは保険というわけだ……まあ、時間が繰り返しているのであれば、記録にも残らないかもしれないけれど。
……こんなふうに理屈っぽいことを言ってみたところで、実際はもっと単純に、面と向かって御帳さんを傷付ける度胸が無かっただけかもしれない。
「…………」
スマホのスピーカーから、今のところ相手の声は拾えない。御帳さんが何か言うまでは俺も喋らないと決めているので、互いに無言の時間が続く。
そんな時間は、意外とすぐに過ぎ去った。五秒くらいか?
「──ごめんなさい、電波の調子が急に悪くなってしまったみたいで聞こえませんでした。申し訳ないんですけれど、もう一度言ってもらってもいいですか?」
……まあ、正直そんな気はしていた。
しかし電波状態ときたか。風よりは理由として説得力があるかとも思ったけれど、単に御帳さんが屋外にいるか室内にいるかだけの差かもしれない。
試したかったことについては、もうこの時点でほとんど結論付けられてしまったような気もするけれど……念の為に俺は、同じ内容の台詞を、形を変えて繰り返し伝えてみる。人との会話で使う言葉かどうかはともかく、反復実験というやつだ。
「──御帳さんと付き合うって言ったの、やめたい」
「──ごめんなさい、電波の調子が急に悪くなってしまったみたいで聞こえませんでした。申し訳ないんですけれど、もう一度言ってもらってもいいですか?」
「──やっぱりオトモダチからということでどうだろう?」
「──ごめんなさい、電波の調子が急に悪くなってしまったみたいで聞こえませんでした。申し訳ないんですけれど、もう一度言ってもらってもいいですか?」
ふむ。予想通りだけど、駄目か。
一応でも覚悟を決めていたからか、屋上のときほどの衝撃や恐怖はないとはいえ……あまりの手応えのなさに、少し落胆はしてしまう。
これ以上続けても何も変わらなそうだし、もうこのくらいでいいだろう。しかし電話でも駄目となると、どうやって別れ話を切り出せばいいものか。
俺はそう考えつつ、不毛な会話の螺旋を終わらせにかかる。
たった三回で諦めるのは根気がないとか言うなよ? 屋上のときなんて、その何倍試してみたと思う?
「──いいや、やっぱり話すのは止めにしておく」
「え、良いんですか? 大事な話だから、こうして電話してきてくれたんでしょう?」
俺が台詞の趣旨を大きく変えたことに呼応するように、停滞していた会話と、それから御帳さんの時計が動き出す。ここまでを含めて、あのときの再現だった。
……いや、本当に大事な話だから、それはもう繰り返し伝えたつもりなんだけどね?
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