choice.7 互い違う認識(1)
朝目が覚めたとき、俺はだいたい機嫌が悪い。
人に起こされようとアラームに起こされようと、あるいは自力で起きようとも、どうやらそれは変わらないらしい。
目覚め自体はかなり良い方だと自分でも思うのだが、しかしそれは機嫌の良し悪しとは一切関係しない。
毎朝気持ち良く目覚めることができれば幸せだなんて、事はそんな単純な話ではないのである。
というか正直、かえって逆効果なくらいだ。目覚めが良いぶん、起きることを心の底から厭いながらも、二度寝ができなかったりする。そして、諦めて起きざるをえなくなる。
結果として、機嫌はより悪くなる一方だ。
──大体、どうして朝になれば起きなくてはならない?
それは、恐らくは人類の誰もが抱いたことのある疑問。
そして、その答えは往々にして「社会がそう決めたから」。
だが、そこで思考を停止していては発展性がない。そこで納得していても、事態は何も動いてくれやしない。
だから俺は今朝、この答えに反論をもって応えようと思う。
そもそも「睡眠」とは、この世に生けとし生けるもの全てにとって「癒やし」である。
どんな生物であれ、普通に日々を送っていれば疲労する。
避けようもなく蓄積するそれを、身体的なものも精神的なものも纏めて癒やしてくれる。それが睡眠という営みなのだ。
裏返せば、意識の覚醒とはすなわち、そんな至高の癒やしをかなぐり棄ててしまうことに等しい。
心地よい夢から離れて、灰色の現実に舞い戻り、またその身に疲れを溜め込もうとするその行為は、ハッキリ言って愚挙でしかない。
二度寝や寝坊は、社会的には良くないこととして扱われ、叱責や非難の対象になる。
しかし、少し考え方を変えてみてほしい。
あれらはむしろ、生物の本能としては正しい行為だろう。
疲れている。だから休む。
これ以上なく
まだ眠気が残っているのに、睡魔に抗って、身を引き摺るようにして起きる──そちらの方が、よっぽど生物として異常な行為なのではないかと、俺はここで提起する。
「……いや、別にそんな、堅苦しそうに見えて実は全くと言っていいくらいに中身の無い話とか、ホントどーでもいいから」
上半身を起こしてスマホのアラーム音を停止させ、「さて、どんな口実があれば再び布団に潜ることが許されるだろうか」とつらつら考えていると、そんな少し棘のある声が聞こえた。
幼少期から聞き慣れた声──或いは、ここ数年で聞き慣れてしまった声音。雰囲気からすると、どうやら俺が起きた頃から既に部屋にいたらしい。
その声は呆れたように溜息を溢して、続ける。
「朝っぱらからくだらないことばっか言って、馬鹿みたい。ゴチャゴチャ言ってないでさっさと起きなさいって、たったそれだけの話でしょうが……っていうかアンタ、まさか毎日起きるたんびにそんなこと言ってんの? 引くんだけど」
「いや、お前は逆に朝から毒が強すぎないか?」
俺の幼馴染は、毒を吐き続けていないと死ぬ生き物なのか? 泳ぎ続けていないと死ぬ魚みたいな感じで。
その割には、俺以外に毒を吐いてるところを見ないが。
──声や態度で分かっていたことだが、俺の部屋にいたのは砺波封伽だった。俺が寝そべっているベッドの脇に膝立ちし、覗き込むような視線をこちらに向けている。
ショートボブの亜麻色の髪を可愛らしく整えて、校則違反にならない程度にルーズに制服を着こなしているその姿は、学校の教室でみんなから慕われるムードメイカーといった佇まい。というか事実としてそうだ。
……もっとも、今の俺が向けられているのは優しい笑顔でも細やかな親切でもなく、冷たい視線と激しい毒なのだが。
「別に普段からこんなこと考えてるわけじゃないけど、昨日は寝るのが遅かったうえに、不貞寝みたいな感じだったから……」
「そんなの知らないわよ──というかアンタがいくら疲れてようが、二度寝や朝寝坊なんて、アタシが許すわけないでしょうが……もしやったら刺すから」
いや、封伽の許可は間違いなく必要ないんだが……指摘したところで面倒なことにしかならないんだろうな。スルー。
ついでに、「もしやったら刺すから」という危険極まりないフレーズも華麗にスルー。触らぬ幼馴染に祟り無し。
「……って言うか、封伽がなんでここにいるんだ?」
言うまでもなく、ここは俺の部屋で俺の家だ。俺が眠りにつき、そして朝目覚める部屋だ。
正確には、俺と母さんの住まう家……ただし、母さんは基本的に仕事で家を空けているから、大抵は俺一人しかいない。
俺が中学生の頃に父さんが病気で死んでから、母さんが女手一つで俺を育てるために働く時間を増やしたから。
そのため、俺が夜寝てから帰って来て、俺が朝起きる前に家を出るということも珍しくはない。
そして、今の時刻はまだ朝の七時を少し回ったところ。今日は平日で学校があるから、そろそろ起きて朝食を摂ろうという頃合だけれど、それは封伽だってほとんど同じはずだ。
うむ。考えれば考えるほど、謎は深まるばかりだった。
この状況を簡単かつ客観的にまとめると、「年頃の女子が年頃の男子の部屋に早朝から来ている」である。
そりゃあ封伽が幼馴染だし、すぐ隣の家に住んでいるわけだから、小さい頃は遊びに来ることも多かった。
その名残が今も続いているとかなら分かるけれど、しかし俺たちの場合はそういうわけでもない。封伽が俺のことを嫌うようになって以降は、一度たりとも来ていなかったし。
なるほど。なんとなく答えが見えてきた気がする。
つまりは、
「俺の寝込みを襲って、息の根を止めようと──」
「……それ、本当にやってあげましょうか?」
怖っ。いや、流石に冗談のつもりで言ったって。
だから露骨に不機嫌な顔するのやめてください。
しかも、さっき自分で「刺すわよ」とか言っておいて。
「なんで封伽がここにいるんだ?」って訊いたあたりから、なんだか妙に雲行きが怪しい気がしたから、場を和ませようと思ってみたんだが……むしろ逆効果だったらしい。
すると封伽は、苛立ちと呆れを隠そうともせずに「こんなことをわざわざ説明させるな」という態度で言い放つ。
「あのねぇ……昨日アタシは、アンタの彼女になったでしょ? 騙されてる不憫なアンタを放置できなかったから、やむなく仕方なくのことだとはいえ。ここ重要ね?」
「──」
「ただ、名目上でも恋人になった以上、アタシも本気のつもりでやらなきゃ気が済まないし……だから早速その一環として、アンタのお母さんに許可と合鍵をもらって、こうして甲斐甲斐しく起こしに来てあげたの。朝ごはんもできてるわよ?」
……いや、それを説明なしで察しろってのは無理があるぞ。
俺のことを超能力者だとでも思ってるのか?
そうツッコんでしまいたい気持ちを、だが俺はすんでのところで飲み込んで堪える。
──ひょっとすると、これも「異常」の影響かもしれない。というか、ほぼ間違いなくそうなのだろう。
そう考えると、指摘する気力も失せてくる。
だからその代わりに、俺はこう言った。
溜息をつきたいくらいの諦めとともに、無気力に。
「──そうだな。恋人になったんだもんな」
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