choice.4 そして一つの未来へと(4)

「──ねえ、何あれ?」

「……どれだ?」


 俺に人生で初めての恋人ができた、なのに浮かれるどころかどちらかといえば落ち込んだ気分のその日、家に帰って来てすぐ。自分の部屋で制服のボタンを外そうと手を掛け始めたあたりで、俺の携帯が鳴った。

 画面に表示された相手の名前を見て、ぼんやりと「珍しいこともあるもんだ」なんて思って電話に出ると──その声は、定型句の「もしもし」すら挟まずにいきなり用件を、しかも何を指し示しているのか不明瞭な代名詞で告げてきた。

 それが冒頭の台詞だ。


 俺が半ば呆れながら返した疑問符に対して、可愛らしいのに刺々しい声が怒ったように応える。


「は? そんなの決まってるでしょ。ついさっきまでアンタが一緒にいた相手のこと! 御帳さんのこと!」


 そんなのは決まっているらしかった……いや、分かるかよ。俺のことを超能力者だとでも思ってるのか?


 ──俺は普段、学校からは一人で帰ることが多い。決して友人がいないというわけではなく(多くもないが)、気の合う友達連中は残念ながら、ほとんど全員、家が逆方向なのだ。


 だが、今日はそうはならなかった。というのも、なんやかんやで俺の恋人となった(らしい)御帳珠洲さんの提案で、途中までは二人で帰って来たからだ。

 二人とも電車通学だが、乗る路線と方向が同じだったから。「途中まで」というのは、つまり「御帳さんが降りる駅まで」という意味である。


 あんな可愛い子に「一緒に帰りませんか?」と上目遣いでお願いされれば、そりゃあ男としては断れるはずもない。

 ──というのは半分冗談だ。俺は断った。


 なら、どうして結局は一緒に帰ったのかって?

 ……まあ、察してくれ。「断り切れなかった」「根負けした」といえば、勘の良い人には伝わってくれるか?

「また『はい』って言うまで時間が戻り続けるのかよ」といえば、どんなに勘の悪い人にだって伝わってくれるはず。


 一つ言えることがあるとすれば、台詞を掻き消す悪戯な風はどこにでも吹いているらしいってことだけだ。


「──って、見てたのか? 俺が帰るとこ」

「──は、はあ!? 違うし! なんとなく夕焼けが見たくなって学校の周りをふらふら散歩してたら、たまたま視界に虫がいて、なんかムカつく虫だなって思ったらアンタだったの! それだけ!」

「おお……幼馴染を虫扱いすんなよ」


 だが……面倒なことになったな。帰っている最中、誰かに見られてはいないかと(そして恨みを買ってしまわないかと)内心ビクビクしていた俺だったのだが、まさかよりにもよってコイツに見付かってしまうとは。

 何があったのかは知らないが、夕焼けなんか見ようとすんなよ。もしくは、見たいならネットの画像検索で済ませちまえ。というか、わざわざ徘徊しなくても普通に見れるだろ。


 ──この電話の相手は、俺の隣の家に住んでいる幼馴染・砺波となみ封伽ふうか


 いつでも明るくて、(俺以外に対しては)誰にでも分け隔てなく優しくて男女問わず人気のある、(俺の前以外では)可愛い少女。

 だが、どういうわけか俺は嫌われているらしい。俺にだけ当たりが強いし、よくディスられる。そのため、学校では同じクラスだがほとんど話さないのだ。


 昔は普通に仲も良かったし優しかったんだが、急に俺にだけキツく当たるようになった……以前は「こんなに可愛い幼馴染がいやがるのか」とちょっかいを掛けてきていた他の男子から、今は少し同情の目線が向けられているほどの豹変振りだ。

 その変化の理由は、訊いても教えてくれそうにない。


「──それで、あの子とはどういう関係なわけ?」

「どういう関係って言われてもな……」


 そんな彼女が相手だからこそ、言葉選びがつい慎重になってしまう。はぐらかしたところで納得はしてくれないだろうが、「実は恋人なんだ」と打ち明けてしまうのも得策ではない。

 こっぴどくからかわれる程度の被害で済めばまだマシだが……交友関係の広いコイツがもしも「あいつら付き合ってるんだって」と吹聴すれば、その影響は測り知れない。つまり、俺の恐れている事態が起こりかねないわけで。


 というか、御帳さんと恋人になったことについては、そもそも俺もまだうまく飲み込めてはいないのだ。あのとき何が起こっていたのかも分からないままだし(というか、分かる日なんて一生かかっても来ないんじゃないか?)。


「何よ。言えないような関係なの?」

「言えないっつーか……実は俺にもよく分かってなくてな」

「は? アンタがこの封伽サマを煙に巻こうだなんて百年早いわ。良いから、はぐらかしてないでさっさと答えなさいよ」


 これは割と現状に対する正直な感想だったりするのだが……やっぱり納得はできねえよなあ。はぐらかしてるようにしか聞こえないのも、確かにその通りだろうし。


「……ま、まあ? アンタみたいな冴えない奴が、あんな可愛い女の子と二人でいるとか普通に考えてありえないし? どうせ本当は疚しいことなんて無くって、何か事情があるんだろうけどさ」

「事情をなんとなくは察してて、どことなく根は優しいみたいなところを見せながら、さりげなく『冴えない奴』とか言ってくるよな。封伽って」

「ふん。冴えない奴を冴えない奴って言って何が悪いのよ」


 聞こえる声から察するに、どうやら今日はかなりご機嫌斜めらしい。なんとなくだが、電話の向こうで腰に両手を当ててぷりぷりと怒っている絵面が容易に想像できた。

 子どもっぽいというか、そういう感情を剥き出しにするタイプなのだ。俺が相手のときは。

 何か嫌なことでもあったのかもしれない。或いは気に食わないこととか……だからって俺に当たるなよ、とは思うが。


 しかし、このまま本当のことを隠していたところで、封伽の機嫌が悪くなっていくだけな気がする。

 いっそ、全部を洗いざらい話してしまった方が良いのかもしれないな──こういうことは早めに打ち明けた方が傷口は浅いように思うし。


 隠し通せるのならそっちの方が良いのだが、仮にそうやってどうにかこうにかこの場を乗り切れたとしても、後々の事を思うと微妙だ。御帳さんとの交際関係が学校の連中にバレて、そこからコイツにもバレて──なんてことになると、「どうしてあのときに言わなかったのか」という形で余罪(言い方)が増えかねない。


 携帯のマイク越しでも確実に伝わるように、俺は大きく溜息を溢して(ささやかな抵抗)──彼女に、なるべく感情を込めずに、端的に「本当のこと」を打ち明けてみた。


「──付き合うことになったんだよ」

「……は?」

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