choice.3 そして一つの未来へと(3)

 一体、いまここで何が起こっているというのか。


 ──御帳さんの告白を受け入れない限り、時間は進まない?

 時間が停滞する──或いは、『物語』が停滞する。


 ……馬鹿げた仮説だ。

 そんなことがあるわけないだろうと、高らかに笑い飛ばして良い可能性でしかないはずだ。俺がこれまで慣れ親しんできた『現実的な思考』って奴に照らせば、そんな可能性はゼロに限りなく近いどころか、ゼロそのもののはずだ。


 この状況にしたって、冷静になって考えてみれば全くの非現実というわけでもない。

 扉は何かの拍子に一部が変形して開かなくなったとか、正確無比な時計も電池切れは起こすとか、そういった現実的な解釈だってできるのだから。

 ……それは「現実的」なモノの見方でありながら、それと同時にかなり「現実逃避」の濃いモノの見方だとは思うけれど。


 だが、その他に可能性はあるのか? この理不尽な状況に対して、「現実的」であり、かつ「現実逃避」でない解答が、そもそも存在しているのか?


 分からない──だが、こうして手をこまねいたまま何もしなければ、事態は何も動いてくれない。そんな確信がある。

 とにかく行動を起こすべきだ──だから一つ、賭けに出る。


「──喜んで。君から好意を抱かれるなんて、光栄だよ」

 俺は覚悟を決めて、彼女にそう告げた。


 これで何かが変わるのかは、まだ分からないけれど──告白を受け入れなければならないなんて、やっぱり無理のある仮説でしかないだろうし。


 ──だが、状況は確かに一変した。


「嬉しいです! 勇気を出して告白して正解でした! その、不束者ですが、よろしくお願いします! えへへ……」


 俺の返答が変わったことで、御帳さんの反応もまた変化した。さっきまで散々繰り返していたのとは違う台詞を、嬉しそうに口にする。その笑顔は、見る者全てを恋に落としてしまいそうなほどに魅力的で愛らしかった。


 何はともあれ、八方塞がりだった状況は一応解決した。

『進まずに繰り返す時』の問題は。


(案外、これでこっちもどうにかなったりしてるか?)


 そんな期待を胸に、俺はまだ手を掛けたままだったドアノブを捻って強く引いた──扉は簡単に動いた。むしろ力を入れ過ぎたせいで、勢いよく扉が壁に当たってしまったほどだ。


(こうなると、さっきの馬鹿げた仮説に信憑性が生まれてしまうんだが……いや、まさかだろう。何かの偶然とか)


 まあ解決したのだから、これ以上考える必要は無いだろう。

 というか考えたくない。こんなこと、マトモに思考したら処理が追いつかなくて頭がパンクしそうだ。


 俺は取り敢えず、彼女と二人で屋上を離れた。


 すぐ隣に並んで歩いて、袖がちょっと触れかかるだけで恥ずかしがって慌てふためく少女の姿を見ていると、全てはこの子の悪戯なんじゃないかという疑いも消えてしまいそうだ。

 この子はきっと、悪い子じゃないんだろうな。根拠があるわけでもないけれど、なんとなくそう思う。男ってのは、美少女が相手だと馬鹿になってしまう生き物なんだから仕方ない。


 だから──今から俺が彼女に告げる台詞のことで、罪悪感が生まれていないと言えば大きな嘘になる。

 だが、これは絶対に言わねばならないことなのだった。


「──ごめん、さっきは君と付き合うって言ったけど、あれは嘘だ。俺はやっぱり、君とはどうしても付き合えない」


 心から、悪いとは思っている。

 だけど、この一点だけはどうしても譲りたくないのだ。俺は彼女とは付き合えない。その結論だけは揺るがない。


「このままじゃ屋上から出られないかもしれない」なんて仮説を検証するために、さっきは告白に応じてみたが──理屈は不明ながらも無事に目的は果たしたのだから、自分勝手なようだけれど、この結論を告げなければならない。


 彼女に、どんな反応をされるだろうか。泣かれてしまうかもしれないし、怒られてしまうかもしれない。一発くらいなら、頬を叩かれたところで文句は言えないかも。


 それが怖くて、彼女の表情を直視できなくて、俺は閉じた目を開くことができないままに立ち止まる。ただそれでも、閉ざされた視界の中にはさっき目にした彼女の喜んだ顔が浮かび上がってきて、止まることのない罪悪感が胸を締め付けた。


 彼女が次にどんな行動に出るのか、どんな言葉を発するのか──それをただじっと待つだけの時間が、少し続いて。

 そして。


「──ごめんなさい、風が強くてよく聞こえませんでした。

「あ、あの……それで、どうでしょう? 私と、付き合ってくださいますか……?」


「────は?」


 どんな言葉を口にされても、たとえそれが非難だろうが罵倒だろうが、何でも受け止めるつもりでいた。その責任が自分にはあると思っていたから。

 ──だが、実際に彼女が口にした言葉に対して、俺は不意を突かれたような衝撃を受けてしまった。


 耳朶を打ったのは、何度も繰り返し聞いたあの台詞。

 もはや目を閉じている場合じゃない。俺は不可解な状況に思考を巡らせるよりも先に、目を開いて──言葉を失った。


 俺と彼女はついさっきまで、屋上を離れて校舎内に入って、普通に階段を降りていたはずだ。一つ目の踊り場まで降りた所で足を止めて、俺は彼女に「あの台詞」を告げたのだから。


 だと言うのに、今二人がいるのは、何物にも遮られることなく太陽が強く照りつける、青空の真下だった──屋上だった。

 彼女の台詞、態度、声音、表情だけじゃなく──俺と彼女の立ち位置まで含めて、さっきまでと同じ景色が広がっている。


 脳内を支配するのは、「何故」という疑問符。だがそれと同時に、その問に対する一つの答えも浮かび上がる──いやしかし、そんなわけがない。そんなわけが、あっていいわけが。

 まさか、「俺が彼女を振ったから」だなんて、そんな理屈がまかり通っていいわけがないだろう──


 ……本当は、分かっている。

 ここまで来てしまえば、もはや疑いようもないのだと。


 この突拍子もない仮説こそが正解なのだと、認識している。

 絶対にありえない可能性を全て除いて残った仮説は、それがどんなにありえないように思えても真実なのだ──まあ、あれは俗説だと思うが、けれど感覚的にはそんな感じだ。


 ……事ここに至ってしまっては、さっきとはまた違う覚悟を決める必要がありそうだった。



 ──俺には釣り合わないような、可愛い彼女ができた。

「不本意ながら」と言うと語弊があるけれど、しかしそれ以上にそぐう言葉を俺は知らない。

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