choice.2 そして一つの未来へと(2)

「──ごめんなさい、風が強くてよく聞こえませんでした。

「あ、あの……それで、どうでしょう? 私と、付き合ってくださいますか……?」


 ……風? 風なんか吹いてたか?

 しかも、その後に続いたのはさっきと全く同じ台詞で。


 ま、まあ、きっと風が吹いていたんだろう。たぶん。

 それに聞こえなかったというのであれば、もう一度同じ答えを返せばいいだけの話だ。とやかく言うまでもない。


「──ごめんなさい。俺は、君とは付き合えません」


 俺の言葉も、さっきと寸分違わず同じもの。強いて言えば、今度はちゃんと聞こえるようにと思って、少し語気は強めてみたかなってくらいの差だ。

 ──すると。


「──ごめんなさい、風が強くてよく聞こえませんでした。

「あ、あの……それで、どうでしょう? 私と、付き合ってくださいますか……?」


 返ってきたのも、さっきと寸分違わず同じ言葉だった。こちらはなんと、語気や声音も含めて「同じ」台詞だった。


 また風が吹いてたの?

 いや、そんなわけがなかろう。いくらここが屋上とは言え、こんなに近くにいる相手の台詞が遮られてしまうような風がそうも高頻度で訪れるとは思えない。

 台風でも近付いてるならともかくだが、もし本当にそうだとしたら屋上でこんな話をしてない。空は今日一日ずっと、絵に描いたような快晴である。


 ……まさか、と思う。

 いや、まさかな……。


 ぱっと思い至った仮説に対して、脳内の自分が「それは無いだろ」と強く否定してくる──が、いくら考えようとも他の可能性って奴は思い付かない。


 その仮説はこうだ──御帳さんは、嘘を吐いている。

「風で聞こえなかったから」と言い訳して、再度同じ問いを繰り返して、俺が首を縦に振るのを待っている。

 うん。ここまでなら不自然な所は特に無い。


 だが、この仮説がありえないと思う理由は──彼女がそんな行動を取る理由にこそある。

 この場合──そうまでしてでも俺と付き合いたいからだ、という可能性が最も濃いわけで。


 ……無いな。

 我ながら、驚くほどのありえなさだ。これほどの美少女からそんなレベルの好意を寄せられる心当たりが無さすぎる。


 まあ、いっそ無言でここから退出してもいいんだが(むしろそうするのが自然かもしれないくらいだが)……その結果、後で恨まれたりするのも嫌だな。


 ──よし。俺が彼女の告白を断る理由を丁寧に説明して、それで納得してもらおう。諦めてもらおう。

 恐らく、それが一番平和的な解決方法のはずだ。


 そう考えて、俺は全てを包み隠さず打ち明けた。付き合えないのは俺が臆病だからだということを。そして、そんな俺ではどの道彼女には釣り合わないだろうということも伝えた。


 だが、御帳さんの反応は変わらなかった。


「──ごめんなさい、風が強くてよく聞こえませんでした。

「あ、あの……それで、どうでしょう? 私と、付き合ってくださいますか……?」


 いや、風すげえな。

 結構な長ゼリだったぜ? それを掻き消すほどの風って、もう災害クラスだろ。


 言い訳するにしても、もうちょっと何かあるだろうよ。さっきから全く同じ台詞ばっかり繰り返して──


 ──全く同じ台詞?

 否、全く同じなのは台詞だけじゃない。二回目と同じく、それを口にするときの態度も声音も表情も含めて全てが、一回目のときと「全く同じ」なのだ。

 さながら、時間でも巻き戻ってしまったかのように。


 例えば「この言い訳、自分でも流石に苦しいな」とか「良いから諦めて受け入れてよ」みたいな感情すら、彼女の顔からは読み取れないのだ。


「──俺は、君とは付き合えません」


「──ごめんなさい、風が強くてよく聞こえませんでした。

「あ、あの……それで、どうでしょう? 私と、付き合ってくださいますか……?」


「……君とは、付き合えない」


「──ごめんなさい、風が強くてよく聞こえませんでした。

「あ、あの……それで、どうでしょう? 私と、付き合ってくださいますか……?」


「……何回言われても無理だから」


「──ごめんなさい、風が強くてよく聞こえませんでした。

「あ、あの……それで、どうでしょう? 私と、付き合ってくださいますか……?」


「…………」


 ここまで来ると、もはや恐怖すら感じてしまいそうだ。

 単に少女と言葉を交わしているだけなのに、それがさながらとてつもなく非現実的な状況かのように思える。考え方によっては失礼な表現だが、出来損ないの機械とコミュニケーションを図っているみたいな気分とでも言えば良いのだろうか?


 もういっそ、折れてしまった方が楽なのではないか。臆病だから付き合えないとは言ってみたが、彼女と恋仲になってから訪れうる未来よりも、この状況がずっと続くかもしれないことの方が圧倒的にホラーだろうし──いやいや! ここで根負けするのは嫌だ。俺にもちっぽけなプライドというものがある。


 それに、この状況が永久に続くなんてことはないのだから。

 時間は止まることなく前に進んでいく。そして、やがて時計の針が下校時刻を指し示したときには、俺は解放される。


 まあそれを抜きにしても、さっきちらっと考えたみたいに、普通に俺がこの場から立ち去ればいいだけの話じゃないか。

 恨まれる心配があるとは言ったが、状況的にはむしろ俺が彼女を恨むのが妥当なくらいだろう。


 だから俺は、屋上に出てくるときに使った扉に向かって歩き出した。御帳さんには背中を向けて、「これ以上付き合ってられるか」という態度をはっきりと見せながら。


 彼女は、そんな俺を引き留めようとはしなかった。仮に引き留められていたところで、俺は足を止めなかっただろうが。

 呼び止められても黙殺していただろうし、腕を掴まれても振り払っていただろう──だが、結果的に俺の足は止まった。


 いや、「止まった」と言うよりは「止められた」と言った方が適切だ。

 勿論、それは彼女によってではない。

 ──強いて言えば、「扉によって」俺は止められたのだ。


 ドアノブを掴んで、捻って、引く。

 その簡単な操作が、出来なかった──ノブを引いても、まるで扉が固定されているかのように動かなかった。


 普通なら「鍵が掛かってるんだろう」の一言で終わりだ。俺達二人が屋上に出てから、いつ誰が鍵を掛けたのかって疑問は残るけれど……まあ、いつか誰かが掛けたんだろうと思える。


 だが、そうではないのだと、一目見れば分かってしまう。

 鍵は掛かっていないのに、扉を開くことができない。当然ながら、扉の向こう側で誰かが抑えているなんてこともない。


 ──何でだ?

 考えてはみるが、しかし答えには辿り着けそうもなかった。非現実的を通り越して夢見がちな比喩だけれど、さながら「不思議な力でもはたらいているかのよう」だったのだ。


 まあ、きっと考えても分からないだろう。

 俺は大した意味のない思考を早々に放棄して、後ろに立っている御帳さんへと向き直った。何らかの理由でこの場から立ち去ることができないのであれば、そのことは彼女にも伝えておくべきだろう、という常識的な判断だ。


 ──だが、振り返った俺が、口を開いて彼女へと向けた言葉を発することはなかった。というか、できなかった。

 そんな精神的余裕は、刹那の内に消え去ったからだ。


 俺が後ろを振り向いたとき、旧校舎に貼り付けられた大きな時計が視界に入った。古びている割に学校の中で一番正確なことで有名な、ツートンカラーのアナログ時計。


 それはいい。校舎の位置関係を考えれば自然なことで、何もおかしいところは無い。屋上に来てすぐのときも、あの時計は確か視界に捉えていたはずだ。


 ──その時計が指し示している時間が、問題だった。


 屋上に来てから御帳さんが本題を切り出すまで(イコール、俺に告白するまで)、およそ五分が掛かった。

 そこから始まった「俺がそれを断り、彼女が同じ問いを繰り返す」という不毛なやりとりは、ざっと十分は続いていた。


 そのはずなのに──正確だと有名なその時計の針が示していたのは、屋上に来てから五分後の時刻だった。

 言い換えれば、彼女が俺に告白した時刻のままだった。


 さながら、時間が止まってしまったかのように。

 ──いや、違う。そうじゃない。


 脳裏にふと、さっき自分自身がぼんやりと心に描いた比喩表現が蘇る。

 ──さながら、時間が巻き戻ってしまったかのように。


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ゲームの茶番選択肢って、リアルだとこういうことですよね?

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