玩具の人形

文乃あやの。今日からお前はうちの娘だ」

 はい、と少女は答えたものの、自分の新しい名前がまだ耳慣れない。

「こちらにいらっしゃい、文乃」

 奥の部屋のドアを開け、新しい母親になる女性が手招きをした。ふくよかな体型の彼女は少女とは似ても似つかない。

「ここにある服はね、全部あなたの為にそろえたものなの。どうかしら」

 何と答えるのが正解なのか分からなかった。それでも彼女が手にしていたフリルとリボンのお化けのようなドレスを受け取ると、言われるがまま着替えた。着替え終えた少女を目にした二人は、どちらからともなくこう言った。

 ――まるで人形のようだ。


 新しい親、新しい小学校、新しいランドセル、新しい教科書と自分の席。

 こごえずに眠れるベッド、温かい食事、なぐらない親、それに綺麗きれいな服と靴。少女にとってそれらを得られたことは突然目の前に降って湧いた神の奇跡だったが、ずっと望んでいた普通の生活からは程遠いものだった。

 毎日異なる衣装で、髪型から小物までの全てを母になった女性が指定した。父を名乗る男性はその姿を写真に収めることを日課とし、気に入らないとなるとすぐにその服はダンボール箱に投げ入れられた。


 ある日の下校中、公園で遊んでいた子供たちが男の前に集まっていた。彼はトランクケースから精巧に造られた人形を取り出す。本物の人間をそのまま三十センチほどに縮めたみたいで、今にも喋りだしそうな存在感があり、実際、少女が最前列まで行くと「こんにちわ」と愛らしい声が響いた。

「しゃべるの?」

 男は首を横に振り「あなたにだけ聞こえたのでしょう」と微笑む。それからその人形を少女に渡し「あなたの家に行きたいようです。しばらく貸してあげましょう」と提案した。

 自宅に持って帰ると、少女はその人形の為にドレスを作った。

 親を名乗る彼らは当初、少女が始めた人形遊びを優しく見守っていた。

 しかし学校もサボりがちになり、部屋にもってひたすらに人形に向き合っている姿に、次第に気味悪がり、ついには「その人形を捨ててきなさい」と言われてしまった。

 公園に行き、人形をくれた男性を見つけて事情を話し、彼女は人形を返した。

 翌日、学校に現れた彼女は今までとは異なり、ごく普通の服を着て、ごく普通の生活を始めた。彼女の部屋には男性と女性の人形が、それぞれ一体ずつ、箱に入れて飾られていた。もうそれをとがめる大人たちは、家にはいない。その人形を見て、彼女はようやく普通に微笑んだ。

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