歌虫は鎮魂の歌を奏でる

 背の高い木々が音を立てて大地に倒れていく。なぎ倒しながら走っている三メートルを超えた大男は、その背中に折れた矢をいくつも突き刺していた。

 ――ここまで来ればいいか。

 そんな心地でがけを飛び降りた先にあった泉の傍で、ようやく腰を下ろす。

 アミールはこの大地の支配者であるアルタイ族の青年だった。日々戦いだけが彼らの生きる術で、強いこと、生き残ることだけが彼らのアイデンティティだった。

 それでもアミールはそんな日々に最近むなしさを感じていた。背中の傷はやがてふさがり、より強い皮膚に変化する。けれどそうやって強くなった先に一体何が待っているのだろう。もし全てをなぎ倒し、自分一人だけが立っている世界になったら、そこで何を得られるのだろうか。そんなことを考えて相手に遅れを取ることが度々あった。

 ――何だこれは。

 不思議な声だ。アルタイ族のものとは違う。もっと繊細で、高い。それに妙な節がついていた。

 泉に浮かぶ一枚のはすに目をらすと、その上に小さな少女がいた。半透明の羽を持つ歌虫と呼ばれる種族だ。噂には聞いていたがアミールは初めて目にする。

「何をしている?」

「歌っています」

「歌?」

「あなたたちがいつも戦っているように、私たちは歌を歌うことが生きがいなの。歌は、誰かを傷つけない。楽しい気持ちにしてくれる。もちろん楽しいだけじゃない。悲しいも、歌にはある。あなたたちはどうして戦うの?」

「戦いこそが全てだからだ。オレたちは生まれてからずっと戦いだけを覚え、戦うことだけが使命だと教えられ、戦いから逃げることは即ち死を意味した。オレが今こうしていられるのも戦ってきたからだ」

 その戦いによりアルタイ族だけでなく、他の多くの生き物たちが犠牲になっていることを、アミールは知っていた。特に歌虫のような小さくか弱い生き物は、彼らが腕を振るだけで跳ね飛ばされ、岩などにぶつかれば簡単に命を落としてしまう。

「ならあなたはどうして今、そんなに悲しい顔をしているの?」

「悲しい?」

 アミールが首をひねると、彼女は「聞いていて」と前置きをしてから、不思議な声を鳴らした。

 鳥たちがよくいている。けれどそれとは異なり、もっと川の流れのように、風のそよぎのように、何か心地よい声の波だった。それを聞いているとアミールの瞳から自然と何かがこぼれ落ちていた。

「これが……歌?」

「そうよ。悲しい、という歌」

 この日アミールは初めて悲しいという感情を知った。

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