スミス

 僕はどうやら皆が生まれる時に必ず持っている物を、持っていなかったらしい。その事にうっすらと気づきながらも、それが何か長い間わからないままだった。けれど最近ようやく、それが愛だと知った。神を愛し、神から愛された子どもが降り立ったこの地に、僕の居場所は無い。


――神は、スミス様も愛しておられます! あなたが生きて幸せになる事を望んでおられます!


 はじめて言われた。愛されぬ子どもだった僕を育ててくれた先生から、僕も神から愛されていると。とっさの慰めだったのだろう。だけど、なんでも知っている先生の叫びは、嘘だと一蹴するには強すぎるものだった。

 赤い血の流れる肩を抑えて、見知らぬ道を歩く。はぁはぁと息が上がって、頭もくらくらしているが、足を止めるわけにはいかなかった。

(ここが館の外)

 今、外にいる。長い間先生とだけ共有していた秘密の願い。喉の奥から叫び声出てきそうだった。僕は館の庭の垣根すら越えている。星しか出ていない夜は暗く、ほとんど何も見えないが、サクサクと足元にある枯葉を踏む音が不思議だ。ここは土と枯葉の匂いが強い。こんなに木々の密集した中を歩くのも初めてだ。これがもしかしたら”森”というものかもしれない。

 その時荒々しい足音と声が遠くに聞こえた。僕を探している人たちかもしれないと思った途端に、興奮よりも恐怖が前に出てきた。

「どこかに、どこかに行かないと」

 木々の間を抜けると、小さな建物があった。明かりもついていない小屋の扉は開いていて、思わず僕は中へと入る。

 暗くて、室内はよく見えなかった。でも、きれいな色のガラスの窓があることはわかる。そして奥には――

「これは、女神様……?」

 女の人が大きな鏡を持って立ち、その周りを三人の子ども。全員幸せそうに微笑んでいる姿は本の挿絵の通りだった。僕は女神様の前に近寄ると、へたり込んでしまった。僕を愛してくれなかった女神様。鼻の奥がツンとして、涙と鼻水が出てくる。

(不思議)

 月は出てなくて灯りも無いのに、その鏡にうつった僕自身がよく見えた。窓ガラスにぼんやり浮かぶ姿を見た時には気づかなかったし、自身の色味など気にも留めていなかった。

 金の髪に緑がかった青い瞳。物語の中の愛し子と同じ色。

 ワナワナと震える手で鏡を触った。

「挿絵と同じ、同じ色。金に青……っ」

 先生の言葉は本当なのかもしれない。僕も、僕もほんの少しだけど、愛されていたのかもしれない。あぁ!もしかしたら僕の半身も、この世のどこかにいるのかもしれない! 僕と同じように悲しんでいるのかもしれない! どうかどうか悲しまないで。すぐにそばに行って手を握ってあげるから!

 それは今までにない歓喜の感情が湧き出た。長く長く独りでいた。寂しかった。悲しかった。

 歓喜と安堵が同時に押し寄せ、そして引いて行く。なんだかひどく眠たくなってきた。肩の傷は痛み、ひどく寒いはずなのに、まったくそれを感じない。

「あぁ、幸せだ。僕は幸せなんだ」

 鏡にぺたりと頬を付けてもたれ掛った僕の意識は、少しずつ遠のいていった。

 意識が途切れる直前に、鏡から光る手が伸びてきて、僕を暖かく包みこんでくれた。

 そんな気がした。

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