教師Ⅱ

 スミス様は10歳になられた。

 あの約束から2年程たち、折り返しの時期だ。

 始めの頃は本の中の冒険者と同じように大剣を持ちたがり、諦めていただくのには苦労した。今後身体が出来上がってから選択するのなら良いと思うが、今は持ち上げる事すらままならない。現実とも折り合っていただかないといけないのだ。その代わり体術に重点を置いて、室内で稽古をつけることにした。

 他にも同年代の子が好みそうな本を見繕ってお渡ししたところ、そちらにも影響を受けたようだった。薬師が各地で人々の病やケガを治しながら旅をし、その道すがら様々な陰謀や事件に巻き込まれるも華麗に解決する、という本を夢中で読まれている。もしかしたら薬師としての道に進みたいと、言い始めるかもしれない。

 計画はおおむね順当に進んでいると言える。

 その反面、近寄る薄ら寒い影にも気づいていた。武王が倒れたということだった。どうやら長くはないという話が、王宮の中をまるで蛇が這うようにして広まっていった。もし武王が亡くなれば王座の交代が行われる。王の年齢を考えるとまだまだ先の話だと思っていたが、予想外に早まり私は焦っていた。

 今まで止まっていたこの館の時が近く動く。そう私は確信していた。


 私の焦燥感が伝わったのか館の雰囲気が変わったのか、ここ最近のスミス様もどこか落ち着かないご様子だった。ほとんど会ったことが無いとはいえ、父が亡くなるかもしれないというのに、その事を知らないスミス様を哀れに思う。いずれ知ることとなるかと思うが--いや、聡いスミス様であるから何か勘づいているのかもしれない--後々スミス様から糾弾される可能性があるとしても、今は父君の事を知らせるつもりは無かった。

 もう一つは、スミス様の生まれについてだ。そろそろこの世界で一人で産まれたことによって、スミス様がどのようなお立場なのか、知っていただかなくてはいけない。そしてその事は、外では秘匿しなければならない事も。しかしながらどうお伝えすべきかタイミングを計りあぐねていた。

 ところがある日、秘密の図書室で青い顔をしたスミス様が持っている本を見て、覚悟を決めた。

 その本はこの世界の始まりと神の子の降臨譚。

 

『世界が作られる前、女神はただ一人、そこにあられました。ある時突然、女神は一人は寂しいという事に気づいてしまい悲しみ嘆いていました。感情を高ぶらせて零れ落ちた涙からは様々なモノが生まれました。青い空や、風、大樹、喜怒哀楽といった感情。そうやってこの世界が作られました。いくつもの世界が生まれでても、女神は嘆いていたので、いつしか世界も同じく嘆きであふれていました。悲しみや苦しみもあふれていました。そんな中、1つぶの涙のしずくから三人の子どもが産まれたのです。

 子どもは女神に寄り添い、歌い、笑い、飛び跳ね、慰めました。そうしてようやく女神は嘆くのをやめることが出来ました。それから子どもたちは同じく嘆く世界をも慰めたいと思うようになったのです。そこで女神は三人のうち、二人だけを世界に降ろすことにしました。そうしてこの地に産まれたのが双子の赤子です。それ以来、この世界に生まれる人の子はすべて双子であり、それが女神を愛し女神に愛された子どもが降り立った証。双子は女神の愛し子だと皆からは信じられています』


 これはこの世界の住人なら知らぬことはない話。この神話があるからこそスミス様は苦しいお立場にある。 

「この世界ではよく双子の子どもが産まれます。しかし、必ずではありません。ごくごくまれに、お一人で産まれる赤子もおります」

 部屋に戻り、お茶を飲みながらこの降臨譚について説明した。顔を伏せたスミス様は語らず、暖炉からパチパチと勢いよく燃える木がはぜる音だけがした。

 立ち上がって「少し空気を入れ替えましょう」と声をかけてから窓を開けると、冷たい空気が部屋へと忍び込んできた。スミス様はその空気を深く吸い込んでから、顔を上げた。

「そのごくまれ、が、僕なんだね」

「その通りでございます」

「先生も双子なの?」

「――はい。今は別々に暮らしておりますが」

「そうなんだ……。不思議に思っていたんだ。本を読んでいると、どの物語でも二人なんだ。一人ではないんだ。どうして本の中では常に一緒で、心を通わせることのできる人が隣にいるんだろうって思っていた。僕には兄弟もいないから、そういうのが不思議で仕方が無かった」

 罪悪感が胸をよぎった。スミス様は兄上様がいることをご存じない。

「そうか。僕は女神様に愛されなかった子どもなのか」

 そうつぶやくと、スミス様はまるで体に貯まっていた毒を吐き出すように長くため息を吐き出した。

「いえ。スミス様、私はそんなことはないと思っています」

「慰めはいらない。僕は昔聞いていた。周りの人たちが僕を忌み子と呼んでいる言葉を。他にもいろいろと。言葉の意味を理解はしていなかったけど、とても悲しいと思っていたんだ。ようやく、意味がわかった」

 呆けた知恵の足りない子どもだから、わからないだろうとでも思ったのだろうが、昔のスミス様に向ける大人の言葉はひどいものだった。

「いいえいいえ。そのような生まれで神の愛がわかるのでしたら、スミス様のそのきれいな金の髪と、緑がかった青い瞳を持って産まれたスミス様は、愛されている証拠なのではないでしょうか」

「緑がかった青?」

「スミス様の目です。あぁ。そういえばこの館には鏡が無い。もしかしてスミス様はご自身の顔を見た事は無いのでしょうか。愛し子は金の髪に、青緑の瞳の色を持っていると言われています。愛されていない子どもが、その色を持てるわけありません」

 私の言葉にスミス様は戸惑っているようでした。

「私はただ慰めるためだけにそうお伝えしたわけではありません。スミス様はもっと幸せになっても良い方だと、私は信じています」

 まだ疑うような顔をするスミス様に、私の言葉が届いてほしかった。なおも言いつのろうとした矢先に、ノックの音が聞こえた。

 侍女はもう帰ったはずだが、と不思議に思う。

「どなたでしょうか」

 とりあえず返事をしてみるが、相手からの返答は無い。敏感なスミス様がとたんに警戒したように身体をこわばらせる。

「スミス様、いざという時には図書室にある隠し通路から外へ」

「う、うん」

 スミス様が頷くのを確認して、私は暖炉の火かき棒を引き寄せ沈黙している扉を見据えた。


 とうとう時が、動き出した。


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