侍女
私達は女神様に祈る、この毎朝の時間が一番好きです。
手を組み、目をつむって静寂な時に身を任せると、女神様と愛し子達が春の鳥と戯れてはしゃいでいる声が聞こえそうです。
目を開けて顔を上げると、そこには床から胸元までの大きさで丸長の鏡を持った美しい女神様と、それに侍る三人の子どもの像。この世界を作りたもうた女神様と、彼女の悲しみを慰めた子ども達。
清く正しく生き、そして女神様の元へと還るその日を夢見て、私たちは毎日祈りをささげるのです。
「そろそろ仕事の時間ですね」
「そうですね。行きましょう」
この祈りの間として作られた小屋から出ると、そこにいたのは数日前に紹介されたばかりの教師でした。
「先生。おはようございます」
「お二人とも、おはようございます。だんだん暖かくなってきますね」
「ええ。先生もお祈りですか?」
「はい。そうです」
にこりと笑う彼は、数日前にあの”忌み子”の教師についた者ですが、いつまでも一人でいる事に私たちは不信感を持っていました。
片割れと死別してしまった”悲しみの子”なのかとも思ったのですが、違うようです。そう頻繁に忌み子が産まれるわけではないですが、もしかしたら彼も……と思うと、私たちの心は陰鬱になります。
「それにしても、城の中にいくつも祈る場所があるのは良いですね」
「ええ。祈りはいつでもどこでもできるものですが、やはり清浄な空間で祈ることができるのは、とても安心できることです。祈る場所がたくさんある事は、私達にとって大いに歓迎するとこでございます」
特にあの館から近いこの場所は、私たちにとって毎朝の祈りを行う大切な場所となっています。
「ところで、この城には私にも利用できる図書室がある、と聞いたのですが。スミス様は今6歳と聞いていますので、その年齢に見合う本がないかと探しておりまして」
「許可を得ることができれば、使用できると聞いたことがあります。しかし私達は利用したことは無いので、細かい事は存じ上げておりません。教材に必要な本でしたら、上の方にご相談すれば用意してくれるかもしれません」
「そうですか。なら上司に聞いてみるとしましょう。ありがとうございます」
「いえ。そろそろ仕事の時間になりますので失礼いたします」
「ああ。引き留めてしまって申し訳ない。後でそちらに伺います」
「お待ち申し上げております」
教師は祈りの間へと入っていった。
それから私たちは咎人の館へと向かいます。女神様に愛されなかった忌み子の世話をするために。
今日みたいな暖かい日には、よく昔を思い出します。王妃様方と一緒に庭を散策したり、外でお茶会を開いたあの頃を。
通いの私達が咎人の館に入ると、まずは忌み子に挨拶をいたします。いつもの通り気味悪く椅子に座って、体を揺らし続けている姿に呆れ、思わず眉をしかめそうになってしまいます。テーブルには昨夜置いた夕食の皿が乗ったトレーと、食べ物の残骸が散らかり汚れていました。テーブルクロスには何度洗っても落としきれないシミがいくつもついています。
「後ほど朝食をお持ちいたします。どうぞお顔を洗ってお待ちくださいませ」
そう声をかけても、顔を洗う事などしないのは重々承知でございます。
「そろそろ、お身体を洗わねばなりませんね」
「そうですわね」
台所へとトレーを運んでいる廊下で、二人で憂鬱な相談です。
あの子どもは、人が人らしくあるべき事をほとんどできないのでございます。本能のままに、食べ、眠り、排泄し、奇声を発するのです。身体を洗う事も嫌がり、あまりにひどく汚れている時には、嫌がるのを押さえて無理やり湯に入れますが、暴れてしまうので本当に苦労いたします。冬の間は一度しかお風呂に入らずとも、香水を振りかけまわしてなんとかしのいでいましたが、さすがに近々身体を洗わねばならないと思っております。6歳ともなれば身体も大きくなってきて、私達の力ではどうにもできない時も出てきております。本当にため息しか出ません。
「朝食をお持ちいたしました」
食事はたいていパンとミルクと果物です。好き嫌いが多く、野菜や肉はほとんど食べません。幼少の頃から嫌いな野菜を強く拒否し、時に皿ごと壁に投げられることもありました。皿を投げつけられて恐怖にわななく私達に向かって、ニヤニヤと笑ったあの表情は今でも頭から離れません。毎回食材が無駄になることにも胸が痛み、今では彼が好むものしかお出ししていません。
テーブルにセッティングしている間も、忌み子はベッド近くに置いてある椅子からおりず、相変わらず身体を揺らして、ぎょろりとした目で私達をなめる様に見てきていました。
「本日の昼食には、先生もご一緒させていただきたいとのご要望がございましたので、お二人分ご用意してお持ちいたします」
最後にそう伝えて、私達は部屋を出ました。これで昼食まで顔を合わせることがありませんので、やっとわずかな間ですが緊張から解き放たれるのです。
掃除をしていると先生がいらっしゃいました。わざわざ来訪の挨拶のために私達を探してくださったようです。
「スミス様はお部屋にいらっしゃいますか」
「はい。自室からお出になる事はありませんので」
「そうかですか。では、私はスミス様のお部屋に行きますね。そういえば、昼食の件は許可いただけましたか?」
「私どもは、ご意思を確認する事が出来ません。お伝えはしておりますし、お昼のご用意も致しますが、許可は先生ご自身でお取りいただければと思います」
先生にそうお伝えすると、少し困ったような顔をされました。こちらとて、意思の疎通ができない子どもから許可をとるなどと、難しい事はとうていできない話なのです。正直な所、最近流行りの南国から輸入された猿のペットの方が、まだ何を考えているのかわかります。
「では。わたくし共は掃除の続きをいたしますので」
失礼かとは存じましたが、こちらから会話を切り上げて仕事へと戻ることにしました。無駄に雑談をするのは業務中にふさわしくありません。私達は清く正しく生きていくのですから、仕事もしっかりとこなさなくてはいけません。
昼食には二人分のお食事を用意いたしました。さすがに先生の分もあの子どもと一緒というわけにはいかないので、冷製スープにパン、果物、オムレツをご用意しました。今まで男性のお食事を用意したことはなく、足りるかどうかがわからなかったので、お代わり用のパンもふんだんに。
「昼食をお持ちいたしました」
「どうぞー」
返事を期待していませんでしたが、ノックをして声をかけると今日は先生がお答えくださったようです。
「失礼いたします」
入った部屋では、二人が床に座り込んでいました。なにやら細工の玩具で遊んでいるようでした。子どもは奇声をあげております。
「こちらにセッティングをしておきますね」
「ありがとう。やぁ、美味しそうなパンがいっぱいだ。嬉しいなぁ」
匂いにつられたのか、先生がニコニコとしております。
「それはようございました。実は先生がどのくらい召し上がるのか悩みまして。もしまだ足りないようでしたらお申し付けください。バターとジャムもこちらに」
手早く朝食の皿が乗ったトレーとテーブルクロスを回収し、新しいテーブルクロスと昼食のトレーを置く。
「では、わたくし共は失礼いたします」
「はい。ご苦労様です」
そう言って部屋を出ました。子どもの関心が先生に向かっているせいか、いつもより心穏やかにいることができました。
あの子どもの、瞳が、いつも怖いのです。なぜ忌み子であるのに。愛されぬ子どもなのに、あの瞳が……。
あとはもう、夕食の準備と洗濯係から届いた衣類等をしまうだけです。本日はシーツの交換の日ではありませんのでいたしません。本来でしたら、子どものお部屋のお掃除もしなければならなのですが、長い時間あの存在と同じ部屋にいると思うと血の気がひいて倒れそうになるので、できる限り行いません。本人も気になさらない性格のようですし。
その代わり、他の個所の掃除にぬかりはありません。誰もお使いにならないお部屋すらも、定期的に掃除をしております。
最後に夕食を届けて、昼食の食器等をすべて綺麗に洗って所定の場所に仕舞い、台所を綺麗に掃除しましたら、本日のお仕事は終わりでございます。
仕事着から私服に着替えて、日が陰りそうな中、本日の仕事ぶりを二人で振り返りながら帰るのです。本日もぬかりなく、しっかりと働きました。お仕事の後の気怠い身体で春の風を受けていると、懐かしい日々を思い出してしまいます。あの時も今と変わらず二人で帰宅の途へとついていました。
王妃様方の元でお世話をさせていただいていた日々は――もちろん当時も大変光栄なことだと思ってはおりましたが――今となっては本当に代えがたい、幸福な毎日だったのだと改めて思うのです。
双子王様に嫁いできた王妃様方は、大変麗しく聡明な方々でした。幼少の頃から王の婚約者として育てられたので、いたらぬ私達など何事においても足元にも及ばず、私達が侍女頭に選ばれた際は大変驚いたものでした。光栄な立場につかせていただいている事を日々念頭に、誠心誠意お仕えしており、あの方々のお気遣いもとても温かく、楽しい日々でした。今日のような穏やかな天気の日には、お茶をしたり散策をしたり、木陰でで刺繍もしました。
第一王子様方をお腹に宿した際には、それはもう大騒ぎでございました。双子王様の初めての子どもであるのもあり、城中でかたずをのんで見守っておりました。元気にお産まれになった時の城内といったらお祭り騒ぎ。
それから順々に王子、王女と続き、どの方も麗しく聡明にお育ちになりました。今世の王家も安泰だと、皆々頬をほころばせておりました。
しかし、その日々に陰りが忍び寄ってきていたのです。第三王子様方がお産まれになってから年月が久しくたったある日、医者から武王様の子どもがお腹に宿られている事が伝えられました。王妃様の喜びがとても眩しく感じた事を覚えております。
王妃様が子どもを産むにはご負担が大きいご年齢ということもあり、周囲の者たちはピリピリとしていましたが、当の本人はその雰囲気をものともせずに、子どものためにせっせと産着に刺繡をほどこしていました。その時が幸せの絶頂だったのだと思います。
懐妊がわかった春から季節が過ぎて、秋になる頃に王妃様はだんだん不安定になってゆきました。出産が間近にせまると誰でもそうなるものだと周囲は思っており、少しずつ、でも確実にそれは深刻になっている事に気づいている者はおりませんでした。
ある時、自分の腹に刀を突きさそうとした王妃を止めて、やっと周囲は事態の深刻さを理解しました。双子王様に許可を取り、暴れ続ける王妃様の身体を傷つけぬよう、しかし動けぬようにベッドに拘束した時には、あまりの姿に涙を止めることができませんでした。
高貴な身分の主が、このような事になるなどとは。
なぜこんなにも王妃が様錯乱したのか。その答えはすぐに知ることとなります。
「恐れながら……腹の中では心の音が、一つしかないように思われます」
人払いがなされた部屋には双子王様とその従者、医者、そして私達だけがおりました。医者の言葉による衝撃は大きいものでした。私達でさえそうなのですから、子の父親である武王様は、いかほどだったのでしょう。いつもはあまり感情を表に出さない文王様も、ひどく動揺しているようでした。
「それは……我が子の半身は、すでに腹の中で死んでいるという事か。産まれながらに”悲しみの子”となるのか」
「……いえ」
医者の声は暗かった。
「どういうことだ」
「王妃様の腹の中におりますのは、お一人だけでございます」
あの時の重い沈黙と絶望は、今思い出しても心を暗くいたします。
「どういう、ことだ」
武王様の絞り出した声に、医者は答えることを迷っているようでした。
「つまりは、一人きりで、生を受けたということか」
文王様の言葉に医者はうなずきます。近くにあった椅子に崩れるように座った武王様の肩を、文王様が抱きしめておりました。
「恐らくではございますが、王妃様はその事を身体で感じ取り……お心を乱してしまわれたのではないかと思います」
「だから王妃は自分の腹に、刃を突き刺そうとしたのか」
「恐らく」
孤独に産まれる子どもは女神様に愛されなかった忌まわしき子ども。そのまま育てばその存在そのものが厄災の原因となるため、産まれてすぐに殺されることがほとんどです。その場にいる皆、その事を考えいたはず。
しかし我らの王家は、はるか昔にこの地に降り立った二人の愛し子の子孫。女神様をお慰めした子に連なる者の血を、流すことは禁忌。
その日その部屋で発言する者はおりませんでした。
咎人の館にいる子どもがその顛末でございます。
王妃様は、あの忌み子を産んで狂ってしまわれた。日々嘆き、自分を傷つけ、腹を裂こうとする。狂っていく半身を見て、もうひとりの王妃様も耐えかねたのでしょう。あの忌み子が産まれて三年ほどたったあの日に、お二人でその命を絶たれてしまった。
この城でいつもお傍にいて、お世話をさせていただいた。あの楽しく輝かしい過去はもう、戻ってこない。
明日も、私達は女神様に祈りをささげ、そしてあの忌み子の世話をするために咎人の館に向かいます。
どことも知れぬ空を見ながら、せわしなく小刻みに揺れている子ども。忌々しい。なぜあの子どもが生きていて、私たちの主が死んだのか。
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