第394話 正面から。


「………多くを救ったか。少しだけ心が軽くなった気がする」




 ニールの見上げる曇天は雲の切れ目から青い空が覗いていた。


「それは……よかった」


 ニールは息を吐いて。


「……話を戻すか」


「話を戻す……あぁクリムゾン王国のことか」


「あぁ」


「……どうせだったら、トーザラニア帝国に正面から喧嘩を売ってみるか? クリムゾン王国が故郷には変わりないんだろ? それとも、もう戦いに懲りたのか?」


 ニールは苦笑して、ティーカップへと視線を向けた。


「正面から喧嘩を売るって、怖いことを言うなぁ。トーザラニア帝国は大国だぞ?」


「そうか? 俺等の実力はすでに国を落とせると思うが……。もちろん大量虐殺の必要もなく」


「リック爺さんみたいな化け物が居たら困るだろう」


「じゃ、いない時にすればいいだろう? お前にはそれが分かるだろう?」


「まぁわかるが」


「それに首都のど真ん中に攻め込むなら、お前が苦手とする広範囲魔法も容易に撃つことはできない」


「もっと穏便な方法あるんじゃないか? それこそ、お目付け役のようになったボルトが気に入るか?」


「穏便に済ます方法はあるよ。例えばロージアン共和国との戦争では時間がなくできなかったが。夜に人知れず忍び、トーザラニア帝国の要人を片っ端等から捕らえて調教……お願いすれば終わりだ。しかし、自分の故郷に矛を向けた相手に対して穏便な対応は必要なのか? 多少痛い目を見ないと教訓にはならない。大国のような安全圏でいると、戦争と言うのがどういうものなのか忘れてしまう」


「……なるほどな。教訓ね」


「そして、ボルト……いやボルトの一族はこの辺りの守護者のようだが、戦争自体は否定をしていないように見えた。だから、ボルトは前の戦争に参加している」


「んーん。まぁ、クリムゾン王国の状況を見て考える。しかし、なんでお前はそんな勝てる自信があるんだ?」


「余裕だろう? 俺はお前がいる軍で落とせない国があるとは思えない。お前に暗殺できない者が何人いる? 少なくとも今まで出会った者達、そしてアリータ聖王国に居なかった。特に暗殺……寝ているところを襲われたらボルトでもメーデリックでも対応するのは無理だろう。対応できそうなのはチューズくらいか?」


「チッチッ。ジンのお頭、俺っちを高く評価してくれるのは嬉しいでやんすが、難しいでやんすよ。戦闘能力は並みでやんすし」


 この場に居ないはずのチューズの声が響いた。


 ニールはティーカップへと視線を向ける。


「……やっぱりお前のオラクルは便利だな。チューズ」


 ティーカップの影がスーッと広がり、影から浮き出すようにチューズが姿を現した。


 チューズは肩を竦める。


「それに、俺っちのオラクルにニールは気付くでやんすよ。変態でやんす」


「変態とはひどい言いようだな」


 ジンは難しい表情を浮かべて、腕を組んだ。


「どういう理屈で分かっているんだ?」


 ニールは紅茶を一口飲むと。


「チューズのオラクルの理屈はどんなモノか分らんよ。ただ、気配が消えて飛んだり、一瞬強くなる瞬間がある。そんなことがあったら、気になるでしょう? まぁ、普通は分からないくらいだよ」


「ほーう。わからん次元の話だな。確かに変態……いや、しかし、ニールの気配操作術はやはり世界屈指か」


「どうだろう? 世界は広いから。それにアレだよ。俺の気配操作術は精度が落ちている」


 ジンは意外そうな表情を浮かべて。


「そうなのか?」


「今よりジェミニの地下大迷宮に潜っていた時の方が感知できる範囲は広く敏感だった。気がする」


 話を聞いていたチューズもニールに同意するように頷く。


「あぁ。それは俺っちも感じていやすね。気配操作術は極限状態……危険な環境でこそ培われる技術でやすから」


「つまり、ジン、お前のいうところの教訓に近いな。平和な環境に居ると鈍っていく。それに加えて言うなら、自身が強く成長すると、それでも危機感が薄れて落ちていく。あくまで感覚的な話だが」


 ジンは顎に手を当てた。


「ほう。それは興味深い話だ。そういうものか」


「そういうものだ。それで、チューズは何かあったか?」


 ニールがチューズへと視線を向けた。チューズは思い出したように頷く。


「定時報告でやんすよ」


 ジンはチューズに視線を向けて問いかけた。


「もうそんな時間か……。何かあったか?」


「隊長の俺っちがわざわざ報告に来るくらいには何もないでやんすね。強いて報告をあげるなら近くの村の子供二人が迷い込んでいたようなので、ジョセア(※)に連れて行ってもらったくらいでやんす」


「そう。わかった」


 ニールは思い出したように視線を上げて。


「……あーそういえばジョセアはどうだ? 問題なさそう?」


「そうでやんすね。監視の名目で二人一組行動させていやすが、問題行動はないでやんす」


 ※ジョセアはグルノー砦にてニールが捕らえていたナイトメアのメンバーの一人。


 ジンはその場に胡坐をかいて座って。


「俺も定期的にオラクルで記憶を覗いているし。記憶の改ざんを解いた当初は混乱していたようだが……今は比較的安定している。もうニールを親の仇みたいに睨むことはないだろうよ」


「あの元六星ガーラントの弟子だったんだよな」


「その点は、そもそも、ナイトメアとは敵対関係にある組織に居て……潜入中に捕まり記憶が弄られたとか?」


「弟子だったのは改ざん後の話か。まぁ、俺に敵意があるかないか後で気配をみて確認するとして。改ざん前の記憶はどの程度戻っているんだ?」


「まだ出生地と家族、仲間の断片的な記憶となっているな。俺のオラクルでも喪失してしまった記憶の復元までは難しい。ただオラクルによる記憶の改ざんは排除したから、今は断片的な記憶喪失に近い。あとは本人に思い出してもらうしかないだろう」


「記憶喪失か……出生地が近くなら寄ってみるか?」


「んーん。その出生地はバルベス帝国辺境地らしいが。定期的に移動するとかで今はどこにあるのかわからないとか」


「じゃあ、帰れねぇなぁ。記憶を取り戻すために知り合いにって流れは使えないか」


「そのようだな。このままニールか、俺等かの下で働いてもらうのがいいかな?」


「そこは本人次第かな。それでナイトメアに関する情報は前に報告を受けたのと変わりないか?」


「そうな。ナイトメアと言う組織は横の繋がりが薄いみたいだから……微妙なのが多い。あと、あくまで過去の情報だ。そうそう、変わっている可能性もあるが、ナイトメアで知っている限りのメンバーの似顔絵を描かせてみたんだった」


 ジンが部下を呼んで紙の束を持ってこさせる。


 部下がテーブルの上に人の似顔絵の掛かれた紙を並べていく。


 ニールは椅子から立ち上がって、似顔絵を眺めた。


 少しの間の後で口を開く。


「全員、どこにでも良そうな顔だなぁ。てか、子供も交じっているんだけど。誰が誰の似顔絵として描かれているんだ? あ……このおっさんは知っているか」


「えっと、長老、一星、二星、六星、八星、九星だ。長老はこの老人で『マルコス』、一星はこの男で『レラジエ』と呼ばれていたようが、本当の名前かわからないそうだ。お前が子供だと言ったのは男が二星の『エリオド』と女が六星の『トリシャ』だな」


「あのガーラントとシュミットの後釜が子供か。何か特別な力でもあるのか? 絵からじゃわかりにくいが、俺と変わらない歳か?」


 ニールが眉を顰めて、レラジエとトリシャとの二人を見据えた。


 ジンは首を傾げて。


「何か思うところがあるのか?」


「いや。なんでもない。ジョセアはこの子供二人について何か言ってなかったか?」


「あぁ。えっと、なんだったかな?」


 ジンは懐からメモ帳を取り出して捲っていった。


 メモ帳に視線を落として、続ける。


「二星のエリオドは長老のマルコスに呼ばれていたから、ほとんどわからないらしい。六星のトリシャについて直近で行動を共にしていてどんなオラクルか不明ながら、かつての英雄の一人ロジャー・チャフィーの製作した魔導具【リドール】に近い魔導具を製作することができるのだとか」


「ほう。……あの銀鎧の製作者はその六星のトリシャか?」


「そのようだ」


「【リドール】は魔導具開発部隊にも製作できていないんだよな?」


「あぁ。一度地下二十五階で集めた部品を用いていくつか試作させてみたが……。【リドール】には到底及ばない」


「高水準の魔導具がナイトメア全体に普及してしまうと厄介だな」


「確かに。一般人も魔導具を使えば魔法使い相当になれるってことだからな」


「道中で何かしらの情報が手に入ればいいのだが」


「……魔導具を作るのに魔石が必要となる。魔石の流れなんかを当たれば尻尾を掴めないだろか?」


「なるほどな。次に立ち寄った冒険者ギルドでそれとなく聞いてみるか」


「そうしてくれ……さて、時間も人員も余っているので早めに野営の準備を始めるか」


 ジンが近くにいた部下に指示を出していった。


 ニールは椅子に座った。


 眉を顰めて、フーッと息を吐く。


「俺と同い年位であのガーラントとシュミットの後釜となれるほどの実力者……もしかして『勇者』か?」


 ニールの疑問はフォルダム大峡谷を吹く冷たい風によってかき消されるのだった。



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