第298話 ソンナコトナイデスヨ。
一時間後。
ここはミリア公国の公王が住んでいる城内。
その公王エイベネットが会議室に使っている部屋。
ニールと公王エイベネットは向き合った形でソファに座った。シルビアは静かにニールの後ろで佇む。
更に、公王エイベネットを守る護衛が数人部屋の四方に立つ。
メイドが一人入ってきて、紅茶の注がれたティーカップと茶菓子を置いて、素早く出てく。ちなみにシルビアはやりたそうだったが、ニールが止めた。
公王エイベネットは息を吐いて。
「すまない。少し待たせた」
ニールはティーカップを手に取って、一口飲んで。
「アレだけの大金をこんな小僧に報酬として与えると……騒ぐ人も居るでしょう」
「しかし、正当な報酬だ」
「やはり多いと思いますがね」
「これも言ったが、安すぎるくらいだ」
公王エイベネットの頑なな様子にニールは息を吐いて。
胸ポケットから巾着袋と茶色い紙を取り出して、ローテーブルの上に置く。
「まぁ、これはそれだけの価値がありますかね」
「これは?」
「俺の知り合いの薬師が作ったハピネスの中和薬の試薬とそのレシピですね」
公王エイベネットは目をカッと目を見開いて、ローテーブルの上に手を置く。
「本当か……それは」
「まだ試薬ではありますが」
「そうか。我々も中和薬の試薬は調合していたが、それを売ってくれるのか?」
「差し上げますよ」
「そういう訳にはいかない」
「報酬はもう十分に……そうそう。農園の薬の調合室に居た薬師。そして彼等を脅し……いや、交渉してハピネスの成分票を出させたのでそれも持っていきますか?」
公王エイベネットはニールが宿屋で暮らしているに、どうやってと疑問を持ちつつも、口を開く。
「君が確保していたのか?」
「証拠隠滅の為に薬師や資料が消されることを考えて一番に確保していて。その時は、王軍が来て後片付けを押し付けられると思っていなかったんです」
「なるほど。いや、それもありがとう。預けてくれ」
「分かりました。今は宿屋において来ているので、俺を帰り宿屋に届ける際に交換で連れて行ってください」
「大丈夫か? 逃げられないのか?」
「あぁ。大丈夫ですよ」
「どうやって拘束しているが気になるところだが。なんにせよ。君は予想以上だな」
公王エイベネットがそう言うとソファに体を預けた。
ニールは目を細めて。
「予想? 俺のことをやはり事前に知っていたんですか?」
「鋭いな。白鬼殿から手紙があったよ。あの化け物の巣窟と言われるジェミニの地下大迷宮から生還した白金の髪の子供が現れるかもと、読んだ時は信じられなかった。ただ、本当に現れてびっくりしたよ」
「白鬼殿。なるほど、あの白髪の老人ですか……ってあの人、この国にまで影響力があるんですね」
「表向きには死んだことになっているから、表に出ることはない。ただ、白鬼殿ほど世界に影響力がある人物は居ないよ。かつて『世界最強』と呼ばれていたのは伊達ではない」
「そうですか……。あの人には大恩があるのです。いつか返すことが出来ればいいのですが。あの……話が逸れてしましましたね。報酬のことですが。報酬よりも情報が欲しいです」
「情報? どんな?」
「今、母国クリムゾン王国のことです。どうもこの国は離れているようですね? ……調べてもよく分からないんですよね」
「うむ……言い難いのだが。先日クリムゾン王国はトーザラニア帝国に侵攻されて……国土を三分の一になったと情報が入っていた」
ニールは驚き、ガタッとソファから体を起こして。
「さ……三分の一ですか? それって国として成り立っているんですか?」
「首都は落とされた。王族が逃れて、一応国としての形が残っているようだ」
「そうですか……」
ニールはソファに座り直して、口元に手を当てる。
リリアお嬢様、無事だろうか。
今すぐクリムゾン王国に……もしものことがあったらトーザラニア帝国に【爆裂(エクスプロージョン)】を打ち込んでやる。小人達の協力があれば滅ぼすことも可能だろうか……と言う考えに至ったところで、ニールは首を横に振る。
「……公王様はクリムゾン王国の内情について、どれだけ情報を持っていますか?」
「内情か。私は各国に諜報を放っている。だが、クリムゾン王国とは距離が離れて、且つ国としての重要度も低く、どうしても遅く鮮度は低い。実際に国土が三分の一になって王族が逃れたと言う情報はつい先日入ってきた。私がこれから話すことは情報としての鮮度は……あ」
公王エイベネットは話の途中だが、何か思い出したように……声を出した。
「どうされましたか?」
「君が気になるのは国に残している大切な人のことか?」
「っ!」
動揺するニールを見た公王エイベネットは面白そうに笑みを浮かべて、顎髭をなぞる。
「ふっ、やはり白鬼殿は恐ろしいな。戦争の規模も予見していたのかも知れないな? それとも私よりも優秀な諜報を持っているか? 後者か……いや両方か」
「どういう事ですか?」
「白鬼殿より君に言伝があった。『君の大切な人には私の部下に守らせている。間違ってもトーザラニア帝国を攻め滅ぼしたりしないように』とね。ふふ、その一文を読んだ時、白鬼殿も冗談を言うのかと思っていたが……。君、まさかとは思うが滅ぼそうとか思っていなかったよね?」
「そ……ソンナコトナイデスヨ」
ニールは視線を逸らして答えた。
「君は嘘が下手だなぁ。君の実力を知った今となっては冗談ではなかったかな? まぁ、その大切な人とやらの安否は白鬼殿を信じるしか、今のところないな」
「……ですね。その白鬼殿はどこにいるか分かりますか?」
「さぁ。私にも分からないな。ただ、ファスト共和国やセックリー魔導国で何かやっているそうだが」
「ファスト共和国やセックリー魔導国ですね? 聞いたことがあるような、気がするんですが。地理は頭に入っていないので……調べてみます。俺なんかが役に立つか分からないですが、直接礼を言いたい」
「残念だな。君を貴族として任命したいところなんだ」
「光栄なことですが。謹んで辞退させて欲しいです」
「本当に残念だよ。しかし、君と敵対すると、怖いことになりそうだ」
「すみません。更に言うと数日後にはこの街を出て、更にこの国回った後出たいと思うのですが。それで国外に行く許可をいただきたいのですが。よろしいでしょうか?」
「……分かった。どこの国に行くつもりなんだ? クリムゾン王国へと帰るのか?」
「そうですね。いえ、ちょっと遠回りしようと思っています」
「そうか? なら、アリータ聖王国に行って、ぶっ壊してくれないか? 追加でお金も出すよ?」
「いやいや。そこって、もうすぐで戦争があるって噂があるんじゃないですか?」
「あーある。もうすぐでな。本当に迷惑な国だよ。前教皇は保守派で……まだよかったんだが。その彼が暗殺されてから。もう手に負えないよ。今回の幸福薬ハピネスだって……大本の出所はおそらく」
公王エイベネットが不満げな表情で、鼻を鳴らした。
ニールは苦笑して。
「それは大変ですね。ただ、そんな面倒な国に関わりたくないですよ」
「だとすると、クレティア王国あたりか、そこは同盟もあるから手続きも早いと思うぞ?」
「じゃあ、そこにします。手続きをお願いします」
「分かった。そうしよう。まぁ、ゆっくりしてくれていいぞ? 君の英雄譚が出回って人気がある。民も喜ぶだろう」
「ハハ……すみません。俺、多くの人に集まられたら、気持ち悪くなっちゃうんです。だから、人気とか出ちゃうと逆に居辛いんですよね」
「それは何とも面倒だな」
「本当に面倒ですよ」
「じゃあ、話はこのくらいか。ちょっと食事したいのだが、一緒いいかな?」
「……いただきます」
「そうそう、私の娘が君の興味があるみたいなんだ」
ニールはティーカップに注がれた紅茶を一口飲もうとしていたが……盛大にゴホゴホッと咽る。
口元を押さえて。
「公王様の娘って言うのはつまり……?」
「ん? ただの食事だ、いいだろ? 親の言う私が言うのもなんだが、娘は可愛いから、話をしてやってくれ」
公王エイベネットはソファから立ち上がった。頬を引き攣らせているニールへと視線を向けて笑いかける。
この後、公王エイベネットによって催された宴で公王エイベネットの娘……つまり公女の隣に座って食事をとることになる。
食事の味はしなかったが、公女と何とか会話をしつつ……乗り切るのだった。
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