第266話 郷田幸彦。



 郷田が一度用具室に戻って、短い竹刀を持ってきたところで。


 悠李と郷田はそれぞれ、竹刀を構えた。


 悠李は右手の竹刀を前に突き出し、短い木刀を横に構え。郷田は竹刀を両手持ちし、前に突き出すように構えている。


 二人の間では、ピンッと空気が張りつめていた。


 先に動いたのは悠李だった。


 ダンと地面を強く蹴って、前に出る。


 悠李は小さく笑う。


 正直、接近戦は苦手だ。


 特に、この世界では気配というヤツを操るのが難しいし。


 未来も見えないから……うまく行くか分からんが。


 接近戦の苦手を克服するために考えた剣技、こんなところで試すことになるとは思わなかったが。


 試すにはちょうどいいか。


「はっ!!」


 郷田が間合いに入ってきた悠李に対して……竹刀を横から、斜め下に素早く振った。


 悠李は若干屈む。


 それでも、悠李の躱すことが出来ないタイミングだった。


「【銀流し(ぎんながし)】」


 郷田の竹刀は悠李に当たることなかった。


 それは郷田の竹刀、自ら避けるように、不自然に曲がって悠李を避けて振り抜かれた。


「なっ!」


 郷田が目を見開いた。視界の狭くなる面を通してみると、悠李の体を竹刀がすり抜けたように見えたのだ。


 悠李は左手に握っていた短い竹刀を真後ろに構え。


「ギリギリだったなぁ【一突】」


 短い竹刀を一気に前に突き出した。


 郷田は竹刀で、悠李の短い竹刀を受けて……後方へ逃れる。


「っ!」


 頬をタラッと汗が流れるのを感じた。


 悔しさと嬉しさが入り混じる感情を浮かべ……。


「いや、悔しいが。もう少しお前が鍛えていたらやられていたな」


 悠李は小さく笑う。


「剣道は知らないが。こう見えて、実戦での経験はそれなりにあるんだ」


「実戦だと。それはいいな。ハハ」


「郷田先輩はなんで一人? 凄く強いように見えるけど……正直【一突】を受けられるとは思わなかったです。こんなところにくすぶっている人間ではないのでは?」


「うむ。この高校の剣道部が強豪と聞いて入ったつもりなんだが、廃部寸前とは知らんかったんだ。ハハハ」


「そう……。それはご愁傷様ですね」


「そう捨てたモノではない。団体に出ることはできないのは残念だが。個人には出られる。それに修練は道場でもできる」


 郷田はニヤリと笑みを深めた。


「何より、ここでお前と戦えたのはことに比べたら、些事である。では、今度は我が流派【剛鬼流(ごうきりゅう)】を見せてやろう」


 ダンッと床が軋むほどに踏み込んで、前に出てきた。


 悠李と郷田との戦いは、激しく。


 竹刀と竹刀がぶつかり合う音ばかりが響いていた。






 翌日の朝。


 悠李と涼花が並んで歩いて……いや悠李は涼花に肩を借りて歩いていた。


 悠李は苦悶の表情で。


「いてて……。無理し過ぎた。あー今日は一日筋肉痛かな」


 左手で、若干腫れているように見える右の上腕筋辺りを揉んでいた。


 涼花は不満げな表情で。


「……まったく何をやったらこんななるのかな?」


「いや、あのオッサンが無理に付き合わせるんだもの」


 何度も戦いに付き合わされたことで、悠李は郷田に対して配慮は無くなり……敬語を使わなくなっていた。


 それに伴って、呼び方も郷田先輩からオッサンと変わっていた。


「オッサンって?」


「剣道部のオッサン」


「剣道部? アレ? 潰れたんじゃなかった?」


「ギリギリ存続していたようだぞ」


「へぇーそうだったんだ。じゃあ、剣道をやっていたの? 悠李、剣道なんてやったことあったけ?」


「いや、無いよね」


「それでいきなり剣道やったの? それは無茶だね」


「うん。無茶だった。体力が足りなかったから、結局一回しか勝てなかったし」


「ん?」


「いたた……今太ももがピキッてあぁぁ。痛い。痛いよぉ」


 悠李は苦悶の表情を浮かべた。軽くよろめき、太ももを押さえる。


「だ、大丈夫なの? 今日は休んだ方がいいんじゃない?」


「……そうする。帰るわ。いてて」


「お大事ね。帰り、お見舞いに行ってあげるから」


「そんな、大事じゃないんだが」


「明日、一緒に出掛けるんでしょ? それまでに絶対治すのよ。いいわね」


「はいはい。あが、いてて」


 悠李は涼花と別れ……重く痛い体を引きずるように、帰っていった。


 これは別の話になるのだが。


 郷田……郷田幸彦は全日本剣道選手権大会で勝ち進んで、優勝するに至った。


 そして、審査員から生きる世界を間違えた最強の剣士と称されるほどだった。


 ただ、彼はインタビューを受けた記者に言う……『俺など、アイツにまだ追い付けていない』と。



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