第4話 世話係。

 いくつかの手続き一時間ほどが経ち……今、ニールはリリアとシャロンと共に馬車に乗っていた。


 乗り込んだ馬車の荷台はアンティーク調のソファが左右に備え付けられていた。


 ニールとリリアは左のソファ、シャロンは右のソファに座っている。


 ただ、この場に会話なくコトコトと馬車の走る音を聞こえているだけだった。


 リリアはニコニコと笑みを浮かべてニールを見据え。それに対してニールはどこか居づらそうに視線を斜め下に向けていた。


 なんか馬車に乗り込んでからずっと見られているんですけど……。


 この可愛い女の子はなんなんだろうか?


 やっぱり彼女がオークションで俺を落札したんだろうか?


 何か粗相とかしたら怒られて……どうなるんだろう?


 そもそも、俺はどういう用途で買われたのか分からないんだけど……肉体労働をやらせるため?


 しかし、それならまだ体が小さくて弱弱しく見える俺ではなく最適な人が居ただろう?


 分からん。


 更に気になるのは……この状況だ。


 落札者である人と一緒に馬車で帰るものなの? なんだかぼろ服を着て手錠や首輪をつけている俺が場違いな感じがするんだけど。


 総じていると何を考えているのか分からん。


 とりあえず、言葉遣いは気を付けて話すか。


 リリアに見られ続けていた、ニールは少し上ずりながら声を上げる。


「……あっあの、ずっと見られているのですが」


「ふふ、可愛い。可愛い」


「かわ……あの。もしかして、俺をオークションで落札した理由は可愛かったからですか?」


「え、そうよ? 可愛いは正義なのよ」


「はぁ」


「あ、変わった人だなぁっと思った? けどね? 私は可愛いモノが大好きなの」


「そうですか」


「とりあえず……これから貴方をどうするか話しましょうか?」


「は、はい。よろしくお願いします」


「ふふ、貴方はこれから私の世話係として働いてもらうわ」


「世話係? 世話係とは何をする仕事ですか?」


「んー……何かしら?」


 ニールの問いかけに答えることのできなかったリリアは、対面のソファに座ったシャロンへと視線を向けた。


「本来は……リリア様のお体を洗う手伝い、お着替えの手伝い、お紅茶の準備、お部屋のお掃除、警備などなどあるのですが」


「……え?」


 シャロンから世話係のやることを耳にしたニールはきょとんとした表情を浮かべた。


 一瞬思考が止まっていたニールであったが大いに動揺した。


 お紅茶の準備、お部屋のお掃除、警備は……まぁいいとして……。


 問題はリリア様のお体を洗う手伝い、お着替えの手伝いはどうなの?


 仕事で他意はないにしても、女の子の裸を覗くことになるのか?


 そんな、いやいや目の前に居る可愛い女の子といっしょにお風呂は男としてご褒美だ。


 しかし、もう……会うことができないかも知れないが俺は涼花が好きである。もちろん現在進行形で。


 それで、仕事とはいえ全裸の女性と……いや、やましいことなんて起こるはずないんだが。絶対ないんだが……。


 良いのか? 俺。


 しかしだ。仕事で拒否することは出来んなら心を無にしてだな。


 そう、念仏でも唱え……念仏は分からんから。素数でも数えて耐えるしかないだろう。


 ニールが心拍数を上げながら、そんなことを考えているとリリアが何か思惑あり気な笑みを浮かべる。


「そうなんだ? ふふ、楽しみね。あ……それから添い寝も頼みたいわね」


「何をおっしゃられているんですか。お館様も言っていましたが……いくらニールが可愛いからと言って、殿方に裸を見られるなど行けません。だから、お体を洗う手伝いとお着替えの手伝いはなしです。それから添い寝もグレーです」


 シャロンの言葉を聞いたリリアは不満げな表情で頬を膨らませる。


「むー」


「むくれてもダメなものはダメです。添い寝もお館様と話す必要があります」


「むー添い寝は譲れないわ」


 頑な様子のリリアを目にしたシャロンは小さくため息を吐いた。次いで今度はニールへと視線を向ける。


「それでニール。君にはこれから仕事に必要な最低限の教養とリリアお嬢様の警備のために武術を鍛えてもらう」


「よ、よろしくお願いします」


 ニールがシャロンに視線を向けて、ぺこりと頭を下げた。ニールに視線を向けられたシャロンは少し頬を染めて、視線を逸らす。


「覚悟しておくといい。私がビシバシ厳しく教えてやるからな」


「むーシャロンだけ、ズルいわ」


 リリアが口を挟むと、シャロンは動揺したように視線を揺らした。


「ず、ズルいと言われましても、ニールは私と屋敷で待つエミリアの部下扱いになるので」


「むーまぁいいわ。私の近くに居てくれるなら」


「それで、ニール。君の今後についてだが、お前は八歳……十二歳の成人するまで四年だ。四年、奴隷として真面目に働けば……奴隷から解放するとのことだから、頑張るのだぞ。では、手錠と足枷を外してやろう」


「え?」


 シャロンが立ち上がってニールが身に付けていた手錠と足枷を鍵で外していった。その様子を見ていたニールは訳が分からないと言った様子で首を傾げた。


 一生奴隷として生きていくもので、自力で奴隷から脱出する方法を検討するものと思っていた。


 俺は奴隷云々を言う前に、正直なことを言うと……もう死んでもよかった。涼花の居ない世界なんて生きていても虚しいだけ。


 ただ……今、俺は前世の記憶が蘇って、ここにいる。


 見方次第ではニール・アロームスと言う人物の人生を乗っ取ったような感じになっていないか。


 もし、ここで死を選ぶということは俺に体を乗っ取られてしまったニール・アロームスに申し訳が立たないのだ。


 精一杯生きなくてはいけなかった……。


 俺の思惑に対して彼女達が提示してくれた内容は破格だった。


 リリアと言う女の子の身の回りの世話……警護や掃除などの仕事をしたら、十分な衣食住まで保障してくれる。


 しかも勉学や武術を教えてくれる。


 そして、四年待てば奴隷から解放される。破格過ぎて騙されているのではと疑いたくなる。


 ニールが考えを巡らせていると、シャロンはニールの首に付けていた首輪に触れて口を開く。


「ちなみに首輪は外してやれん……それは奴隷の首輪と言う魔導具だ。その首輪はリリアお嬢様が身に付けている指輪と魔法で繋がっていて……リリアお嬢様が指輪にマナを籠めるとニールの体が痺れて動けなくなるので気を付けるように」


「痺れ……はい」


 ニールは少し顔を強張らせて、コクンと頷いた。


 そんなニールの様子を目にしたリリアが不満げな表情で口を開く。


「お父様ったら本当に心配性なんだから。……こんなのいらないわよ。それに可愛いニールが悪いことをする訳ないのにね」


「お嬢様……男と言うのはいくら可愛くとも狼なのですよ? お館様が男をお嬢様と一緒にしたくないと考えられたのは……妥当かと」


「ふふ、私、ニールみたいな可愛い子になら襲われてもいいわ」


「ご冗談を……リリアお嬢様には婚約の申込みが多いのです」


「可愛くない男には興味ないけど……まぁ、お父様の命令には逆らえないから、誰かしらに嫁ぐことになるのかしらね?」


 リリアがどこか寂し気に視線を流した。対してシャロンはリリアと対面のソファに座り直して何とも言えない表情になって黙る。


「……」


「それなら、私の使用人くらい選ばせてくれてもいいのにぃ! 聞いてよ。ニール!」


 リリアはンガーッと怒りを露わにした。そして、ニールの方に視線を向けて、ニールの肩をガシッと掴んで前後に揺らした。


 対してリリアとシャロンの話を黙って聞いていたニールは突然肩を掴まれてビクッと体を震わせたが何とか返事を返す。


「え、あ、はい」


「私は元々ニールを使用人として迎えたいと言ったのよ? どうせ、行くとこもないだろうからって。そしたら、お父様は大反対。私の傍に付けるのは奴隷のままで、しかも成人までって……更に、その後なんて言ったと思う? ニールが成人した後は、建築の仕事に回すって言ったのよ? こんな可愛いニールが私の元から離れて不遇な扱いを受ける……そんなの私は耐えられない。なら、奴隷から解放して自由に生きてもらった方がいいと思ったのよ」


「な、るほど……つまり俺が四年後奴隷から解放するってなったのはリリア様のおかげと言うことですね?」


「ん? あぁ。そうね。ふふ、感謝しなさいよ? 私のお小遣いをほとんど使っちゃったんだから」


「あ、ありがとうございます。恩を返せるように頑張ります」


 ニールは身を乗り出してリリアの手を握る。


 お小遣いを使って……。確か俺の落札価格は十万グルドだったか?


 奴隷を買うのって安くないだろ?


 しかし金の価値がよく分からない、ニールの記憶でお金は……そうだ。確か、十グルドでリンゴが一個買えることができたはず。


 確か、リンゴって日本円換算すると一個約百円で買えていたよな?


 え、つまり十万グルドを日本円換算すると約百万円と言うこと?


 百万か。これは凄い恩だ……何とか返さないとな。


 ニールが恩を返そうと決意していると、リリアにグイッと体を引き寄せられる。


「もうぉー可愛いわねぇ」


「わぁ」


 リリアに抱きしめられてニールは間の抜けた声を漏らした。


 最初こそ戸惑っていたニールであったがリリアの女性らしい柔らかい体、そしてフワッと甘い香り……それらを感じ取って俯き顔を赤くした。


「何々、女の子に慣れてないのかしら?」


「うぐぐ」


「ふふ、顔を赤くしちゃって可愛いわぁ」


 悔しげな表情を浮かべていたニールを目にしたリリアは笑みを深めた。


 そして、ニールのぼろい服の隙から手を滑り込ませて、ニールの胸を優しくなぞる。


 ニールは今までの感じたことのない得体の知れないゾゾゾっと言う感覚にビクンと体を震わせる。


「うわ!」


「うわぁって、どうしたのかなぁ?」


「っ!」


「気持ちよかったの?」


 リリアは楽しげな表情を浮かべて、ニールの耳元に顔を近づけて囁いた。


 そんなやり取りを繰り返していると、顔を赤くしてその様子を見入っていたシャロンが我に返って咳払いをする。


「オホン。オホン。お嬢様、そのくらいで……」


「そうかしら? 私、もっとニールと仲良くなりたいんだけど」


「それは屋敷に戻ってからでお願いします。あまりお嬢様が外でニールとくっ付き過ぎるのは外聞よくありません」


「むー誰も見てないわよ。シャロンはムッツリすぎるわよ」


「む、む、ムッツリではありません」


「ふふ、そうかしら?」


「そうです。あまりにだとお館様に……」


「むー分かったわ。ちょっと我慢する」


 リリアはシャルルに言われて渋々ニールから少し離れて座り直した。


 リリアから離れることができたニールははだけてしまった服をすぐに直す。


 そして、胸に手を当てて安堵する。


 はぁーなんだったんだ。


 しかし……柔らかった。


 いやいや、お、俺には涼花と言う最愛の人が……。


 って、なんだ? 小さい子供に戻ったからか?


 心臓の鼓動が早くなって……なんだか頭がクラクラするんだけど?


 ニールが考え事をしていると、シャロンがもう一度咳払いをしてニールに問いかける。


「それでニール。君のことを聞きたいんだがいいか?」


「あ、はい」


「君の資料を読む限りだと、エルブルズの街の出らしいな。両親はどうしているんだ? わかるか?」


「エルブルズ? 俺はソンル村に住んでいました」


「ソンル村だと?」


「何かありましたか?」


「まさか、ニールは去年の帝国侵攻に巻き込まれて奴隷になったのか?」


「いや……よく覚えていないのです」


「そうなのか。では初めから話すか、発端は近年類を見ないほどの二十万の大軍勢を率いてトーザラニア帝国と言う国がクリムゾン王国の東側の一帯に侵攻してきたこと。クリムゾン王国の東側の一帯を領地に持っているダニーベル辺境伯も応戦していたのだが……あまりの戦力差にダニーベル辺境伯はパルケニア城壁を抜かれて防衛線を下げることになった。ただ防衛線を下げたことでトーラザニア帝国の兵の一部が東側にある村や街に流れ込み……劣悪な虐殺が行われたのだ」


 シャロンが悔しげな表情を浮かべて唇を噛んだ。


 ニールは暗い表情を浮かべて小さく俯く。ただ、なんとなく予想していたのだろう動揺はないようだった。


「ただ、この話はそれだけでは終わらないのだ」


「まだ何かあるのですか?」


「信じられないことだが……ソンル村の辺りに一匹の龍が出現したんだ」


「龍? って……え?」


「龍はその時に初めて観測されたのだが、魔法が弾かれてしまうほどに硬質で剣のように鋭い鱗を持ち。人を容易に切り裂いてしまう爪を持つ……巨大な龍であったそうだ」


「その龍が何かしたのですか?」


「あぁ。その龍によってソンル村に居た帝国軍の兵士達は壊滅。そして、周辺に居た帝国軍すらも壊滅させ……壊滅させた後も数日に渡って暴れまわった。このままでは周辺の被害が大きくなってしまう。そこで、このクリムゾン王国の筆頭魔導士モーリス・ファン・ダールシャ様の率いた軍勢が龍を抑え込もうとしたが。敵わずに、あっけなく壊滅した」


「え、登場した軍勢がすべて壊滅させているけど……その龍は今どうなっているのですか?」


「それは分からない。王国は龍の討伐を一旦諦める決断をして、その龍が居た一帯の立ち入りを固く禁止したのだ」


「そう……そうだったんですね」


 ニールは俯いて、膝の上に置いていた手をギュッと握った。


 しばらく重い沈黙が流れていた。


 その沈黙を破ったのはリリアであった。リリアは突然、ニールを頭に手を乗せて、思いっきりワシャワシャと撫でだした。


「わ、わぁ」


「よく生きていたよ。ニール」


「そ、確かにそうだね」


「ここからのニールの人生幸あらんことを……」


 リリアがニールのおでこにチュ……っとキスを落とした。


 リリアからおでこにキスされたことをニールは最初理解できなかったものの……徐々に顔が赤くなっていき目を回してコテンと気を失う。


「あう」


「え、え、ニール」


 倒れそうになったニールの体をリリアが慌てて抱えるのだった。その様子を見ていたシャロンがぽつりと呟く。


「お嬢様……」


「え、え、元気付けようとしただけなんだけど」


 リリアはニールを抱えたまま、シャロンに視線を向けて反論した。


「ニールはお嬢様の奴隷ではありますが、ほどほどにしてあげてくださいね? まだ子供なんですから」


「うぅー。けど、なんかニールが元気なかったんだもの」


「それはそうですが……ニールはよく覚えていないと言っていましたが、そこで両親を失って戦争孤児になったのかも知れませんね」


「……やっぱり添い寝は必要ね」


「何を言っているのか分からないのですが」


「いや、だってニールはまだ小さいし、可愛いし」


「ちょっと何を言っているのか分かりません」


「だから、お母様が恋しいでしょう?」


「……そうなのでしょうか?」


「そうよ。そうに決まっているわ」


 リリアは自信満々にそう断言する。そして、気を失っているニールを抱き寄せて頬ずりするのだった。

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