第2話 ニール・アロームス。

「うう……ぐっあ」


 ガンガンと耐え切れないほどの頭痛に悠李は目を覚ました。


 しばらく、痛む頭を押さえて……痛みに耐えながら消えていくのを待った。


 不意に外から明かりが差し込んできて、自身の状態と周囲の状況を目にすることになる。


「えっ」


 悠李が驚きの表情のままで固まった。


 まず気になるところは、悠李の体が小さくなっていた。


 身長は百四十センチ前後で、安いぼろ服から覗く手足は栄養不足であることが分かる驚くほどに細身の身体つきであった。


 次いで気になるのは悠李の首元と左右の手首に金属の輪が取り付けられ、左右の手首に付けられた金属の輪は一メートルほどの鎖で繋がっていた。


 最後に周囲の状況は六畳部屋に八人の男性がぎゅうぎゅう詰めになって眠っていた。


 衛生的によくないのか、汗の匂いとカビ臭さが混ざったようなツンと鼻を突く匂いが漂っていた。


「……」


 悠李は無言のまま再び固い床に敷かれた布へ横になる。


 そして、ゴワゴワの古い毛布をかぶり直して、目を瞑って自問自答を始める。


 うわぁ、毛布も臭い。


 いや、今はそんなことは……どうでもいい。


 それよりもどういうことだよ。


 そうだ。


 これは夢か?


 いや、悪い冗談……悪夢か?


 俺、死んだんじゃなかった?


 訳わからん。


 一回眠って……アレ? 夢ってどうやって覚めるんだったかな?


 あぁー毛布が……いや部屋自体が臭い。


 ……我慢。


 我慢。


 眠るのなら何よりも誰よりも得意だ。


 悠李は現実逃避するように目を瞑って眠りについた。


 再び眠りにつくと悠李はニール・アロームスと呼ばれる小さな男の子の生まれてからの人生を夢として見ることになった。




 ◆




 ぐうぅぐうう……いつまで経っても夢が覚めないぃぃぃ!!!!!


 悠李は心の中で叫んでいた。


 もう一度眠りについて起きるも……夢は覚めることなく、小さい体のままであった。


 朝になると、部屋の外から聞こえてきたカンカンッと甲高い金属音で目が覚める。


 突然起こされた悠李はどうすればいいのかと動揺した。


 ただ、同室の男達が皆どこかに向いだしたので、その後ろについていくと食堂にたどり着いた。


 ……見よう見まねで朝食なのだろう黒いパンと野菜スープ、水を受け取ると食堂内に多く並んでいたテーブルの端の方へ移動して一人座った。


「ふぅー」


 悠李は疲れたような表情で息を吐いた。そして、とりあえず黒いパンを手に取って食事を始める。


 黒いパンをちぎろうとしたところで、目を丸くして黒いパンを見た。


 え、固。


 これは……パンだよね?


 フランスパンよりも固いんだけど?


 パンと言うよりも石に近いんだけど?


 野菜スープに付けて柔らかくして少しずつ食べるか。


 悠李は何とか引きちぎった黒いパンを野菜スープに浸した。黒いパンが柔らかくなるのを待つ間に……木のスプーンを手に取って野菜スープに口をつけた。


 野菜スープに一口飲んだところで、悠李の表情があからさま曇った。


 確かに野菜の素朴な味がするが……。


 コイツはスープと言うよりもお湯に近い。


 もう少しコンソメと塩……コショウを追加してほしい。


 何なんだよ。これは……。


 ここはどこなんだ? 刑務所?


 刑務所の食事と言うのはここまで悪いのか? 味がしないぞ?


 そもそも、なんで俺が刑務所に? しかも、周りにいる人はみんなあからさまに顔立ちが外人ぽいんだけど?


 と言うことは外国人刑務所? もしくはここは外国?


 どうして俺が?


 あと、なんで外国の人の会話……聞いたことのない言語のはずなのに話の内容が大体分かるんだ?


 この感覚……すごく気持ち悪いんだけど。


 悠李は野菜スープを飲むのをやめて……木のスプーンを握っていた手を下す。そして、手を顔にあてる。


 え、アレ? 俺ってトラックにぶつかって死んだような?


 辛うじて生きていたのか?


 では、なんで体は小さくなったんだろう?


 そういう薬でも開発されたのだろうか?


 ここは病院か? 病院にはまったく見えないけど?


 よくわからない……いや……落ち着け。


 悠李は心を落ち着かせようふぅーっと長く息を吐いた。そして、水を飲もうと水が注がれた木のコップへと手を伸ばす。


 ただそこで……悠李は見てしまった。水面に映った自身の顔を。


「えっ」


 水面に映し出された自身の顔は全くの別人であったのだ。


 動揺した悠李は手に持っていた木のカップを落としそうになってしまうが、何とかこぼさずにテーブルの上に置いた。


 どういう……。


 誰……いや、この顔には見覚えがある。


 これは……そう、さっき見た夢に出てきた少年の顔と瓜二つなんだ。


 悠李は自分の顔を確かめるように目、鼻、唇、頬に触れる。心臓の鼓動が痛いくらいに早くなっていることに気付いて、手を左胸にあてる。


「うぐ」


 小さく苦し気な声を上げた悠李は俯いて……左胸をギュッと掴んだ。


 心臓の鼓動が……やばい。


 心臓が痛い。


 ありえないと……必死に考えないようにしていた。


 しかし、寝て覚めても頬を強く抓ってもこの悪夢のような夢は覚めなかった。


 今の俺の顔も体も別人だ。


 ここは全く知らない場所で、全く知らない人達と共同生活をしている。


 これは、俺が生まれ変わったことになるのではないか?


 ……つまり俺は死んだのか。


 そこで悠李は思考を停止させた。


 それから食堂が閉まるまで、悠李は悲痛な表情を浮かべて蹲っていた。




 ◆




 朝食を終えた悠李は、眠っていた部屋に戻っていた。


 周りが雑談に興じる中で悠李だけが一人黙って、正座で座り壁を見つめていた。


 その悠李の様子は不気味で誰も近づくことはなかった。


「俺は死んだのか」


 悠李は誰にも聞こえないほどの小さな声で呟いた。……そして、現状を理解しようと考えを巡らせる。


 俺は死んだ。


 死んだようだ。


 自分が死んだことを本当の意味で受け入れるのは難しい。どうしても、悪夢であると言う希望が捨てられない。


 だから、これは推測とする。


 俺は一度死んで生まれ変わった可能性が限りなく高い。


 だから、俺の体が小さくなっているし、顔も違う。


 つまりは、ニール・アロームスと言う少年の体に俺の意識が乗り移り……転生したと言うことになるのだろう。


 ここで気になるのは……なぜ、このような刑務所のようなところに居るのかが分からないことだ。


 俺が夢で見たニール・アロームスの記憶によるとニールは貧しくも優しい両親に育てられたはず。


 それで? アレ……? それから……あ……そうか。


「ぐえ」


 悠李は何かに気付いたのと同時に吐き気をもよおしたのか口元に手を当てた。


 それは思い出すだけで吐き気がするような惨劇だった。


 そうだ。


 ニールの両親は戦火に巻き込まれて殺されていた。


 ある日の夕方のこと、カンカンっと言う音が村中に鳴り響いた。


 ……次いでドドドッと言う地鳴りのような馬が走る音が聞こえてくる。


 ニールが家の窓から外を覗くと赤い鎧を身に纏った兵士達が……向かってきているのが見えた。


 それを目にするや、父親に抱えられると床下へと放り込まれた。そして、母親に静かにするように言われて……床に木板が被せられた。


 状況が理解できずにいたが、両親の言葉通りに静かにしていたが何か言い争うような声が聞こえたので……床の割れ目から何が起こっているのか覗いた。


 家の中では兵士達が土足のまま乗り込んできていた。


 父親が母親をかばうようにして包丁を持って兵士達と向かい合っていたが、兵士達が持っている剣や槍と言った武器に比べると心許ない。


 父親が持った包丁を意に介すことなく、兵士達が両親に近づいていく。


 両親と兵士達が何やら話した後で……兵士の一人が父親へ剣を振り下した。


 父親は包丁で剣を受け止めることができたものの、数度切り結んだ後で包丁を叩き落とされた。そして、兵士の一人に振り下された剣によって肩辺りから斬り裂かれて、血に染まって倒れた。


 嫌らしい笑みを浮かべた兵士達はジリジリっと母親に近づいていく。


 今思うと恐らく兵士達はまだ若い母親を凌辱しようとしていたのだろう……。


 しかし、この時母親は涙を流しながら落ちていた包丁を拾い、握った。


 そして、父親を切り殺した兵士に向かって包丁をなりふり構わずと言った感じで振り回したのだ。


 太刀筋が読めずに危険だと判断した兵士達は、母親と少し距離を取った。


 しかし、母親の包丁が届かないところから槍を向けられて……突き刺された。


 それから幾度となく槍で突き刺されて母親は血だらけに……父親と折り重なった状態で息を引き取った。


 床下には両親の大量の血がぽたぽたと雨のように落ちてきたところで……ニールは気を失って倒れた。


 それでも、生き残っていることから、ニールは見つかることなく兵士達は去ったのだろう。


 そうしてニールは不幸にも戦争で両親を失って戦争孤児となったという訳か。


 ただ、両親を失ってからのニール・アロームスの記憶があいまいだ。


 ……どう言う経緯でこのような刑務所のようなところに入れられたのか、どうしても思い出せない。


「それよりも……いや、まだ分からん。しばらく様子を見るしかない」


 悠李は……いや、悠李はおそらく転生しニールへと生まれ変わったのだ。これから彼をニールと呼ぶことにする。


 ニールは苦虫を潰した表情を浮かべた。そして床に跡が付くほどに握りしめるのだった。





 悠李がニールの体に転生して三日が経った。


 ここはニールが暮らしている部屋に隣接しているトイレ。


「臭い」


 トイレに訪れたニールは吐き気すら催す悪臭に表情を顰めた。その悪臭に耐えながらもトイレの個室に入ると、壁に背を預ける。


 はぁ……。


 転生してから三日間粗末な部屋で粗末な食事を食べるだけという監禁に近い生活を送っていた。


 ただ三日も生活しながら周囲へと耳に向けていると、自身の状況が理解することができていた。


 まさか奴隷とは……な。


 ここは人身売買のオークション会場……そこに出品する奴隷の収容場であった。


 ただ分からないのはニール・アロームスが両親を失って戦争孤児になったのはわかるのだが……なぜ奴隷に?


 両親を失ってそれほど経ってないはずなのに奴隷落ち?


 確かに両親には親戚とかいなかったようだが……。それに住んでいた家はどうなったんだ?


 戦争で植民地とかにされたんだろうか?


 あ……それで奴隷に?


 いや、植民地にするならば一般人であった両親を含めて一般人を殺す意味が分からんか?


 いや、戦争で人を殺すことは当たり前なことか?


 いや、そんなことよりも……。


「はぁ」


 ニールは壁に頭を擦りつけて、深い溜息を洩らした。


 奴隷になったことよりも……。


 奴隷制度……そんな物が俺……悠李が生きていた世界にまだ存在しているなど聞いたことがない。


 その前に言葉の違和感があった。


 今、俺が言語を理解できているのはニールの記憶が残っているからだろうが、聞いたこともない言語だ。


 極め付けにはこの三日間で目にした魔法と言う超非科学的なモノ。


 本来なら、その魔法と言う憧れに近い未知の力に……魔法を使うことができるようになったりするのだろうかと心躍るところかも知れない。


 ただ……俺は違った。


 逆にそうであってほしくはないと何度も願ったくらいなのだ。


 ここは……俺が暮らしていた世界ではない。


 今にも泣きだしてしまいそうなニールは両手で顔を覆った。


 すると、ニールの顔覆った手の隙間から……何か水のような液体が流れ出て、ポタポタと地面を濡らす。




「俺は……もう涼花には会えないんだな」

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