21話 最終日、夜

「で、なーんでまたカレー?」


 一口、二口食べたところで理夢が苦言を放って、僕は口先を尖らせた。


「だってこれしか作れないんだもん。仕方ないじゃないか」


「もんじゃないよもんじゃっ。最終日だよ最終日!! お肉とかステーキとかすき焼きとかそーいう豪華なもん食べたいじゃん!!」


 肉ばっかりじゃねえか。


 旅行に纏わる問題がひと段落した20時45分頃。僕達はやや遅めの夕食を摂っていた。一応ルーや具材は切って煮たものの、米はレンチン。だがこの食卓に付随する微妙な、気不味さのようなものはそれが原因ではないだろう。理夢は割と元気一杯にも見えなくもないが、明らかに無理をしている様子。すいすい食べ進める円香に対し、当件の主犯格である美央子のスプーンは遅い。京華さんは……うん。何だか知らんが笑っているし目が合った。怖え。まあとりあえず、殺される心配jは無いと思う。多分。


 しかしこの雰囲気、耐え難い。


 まばらな会話よりもずっと、器にスプーンが当たる音の方がデカいし。


 もっとこう、例えば『お互いの本音を言い合って知った事で関係がより堅固で強固で確かなものになったのだった』的な未来を期待したのだが、これは、何というか……あれだ。


「はぁー。明日から家に戻るって思うとヤダなぁー、ね? 美央っち?」


「……うん。そうだね」


「だよねー」


 会話が始まって一口サイズで終了したこれは、そう。どちらかといえば『じゃれあっていたら目に手が入ってしまった』とか『喧嘩が終わったは良いけどお互いに何を話していいか分からん』に近い気不味さ。


「優太、ソース取って」


「あ、うん」


 円香……君は変わりがないようで何よりだよ。まあこの子に関して言えば本当に、とばっちり以外の何物でもないのだから、変化が無いのは寧ろ感謝するべきか。きっと帰ったら物凄い量の愚痴を聞かされるだろうが、甘んじて受け入れよう。


 刻々と流れていく時間。粛々と胃に運ばれていくカレー。ちょっと陽気な修道院程の雰囲気で進む食卓。


「ごちそうさん」


 最初に食べ終えて立ち上がったのは京華さん。


「今日のカレーも美味しかったで、優太くん」


「あ、ありがとうございます」


「また今度、機会があれば作ってな?」


 その瞬間、京華さんの言葉に以外の皆の表情が凍り付いた気がした。多分、誰しもが同じ事を考えてしまったのだと思う。


 この旅行がもう終わりである事。次の機会があるのか、またこのメンバーで旅行に行くなどと誰が提案出来るだろうか。休みが終わって学校で、今でさえこんな雰囲気で仲良く笑い合えるのだろうか……って、そんな風な事を、少なくとも僕は考えてしまった。


「んじゃおばちゃんはもう部屋に戻ってるから、皆も疲れたやろ? さっさと食べてゆっくりお休み。明日は早いんやから」


「はい。お休みなさい」


 まるで追い討ち。明日の帰宅を僕達に強く植え付けた京華さんは、そのまま本当にさっさと部屋に戻ってしまった。


 残された僕達に当然走る沈黙。


 どうする? こんな時、どんな話題なら彼女達の心を穏やかに開ける? そもそも開いた方が良いのか、時間が解決するのを待った方が良いのか。


 友情に亀裂が入る、とは巧い表現。確かに思春期の少年少女の関係はガラスに近い。落として一度でもヒビ割れてしまえば、例え完璧に接着出来たとしても跡は残る。もう一度透明になるには熱して溶かすしかない。だがそれでは元の形を保てない。どれだけ寸分違わず精巧に再現してもそれは結局再現であって、復元であって、元通りではない。だが、元通りにする必要があるのだろうか。美央子は本音を話したじゃないか。そして理夢は受け入れた。であれば彼女らは次の関係に、形にステップしている最中という捉え方も出来る。そうだよ、どうせ元には戻らないんだ。だったらいっそステンドグラスのように自由に着色してしまえば良い。もっと高い場所、目立つ場所に飾っても良い。煌びやかな装飾を付けるのだって自在。紐をつけてアクセサリーにしたりとか、コップみたいに実用的にしたりなどして……って、


 なるほど。どうやら僕はもう駄目らしい。どんどん思考が意味不明の方向に流れていくぜ。


「……」


 いいのか? 本当に。


 このまま終わってしまって。後はもう風呂に入って眠るだけ? 起きたら車で帰宅する? そうして家に帰ってまた眠って、日常に戻るのか……それじゃ駄目だ。まだ思い出が、全然足りていないじゃないか。


 時刻は21時丁度。


 今から何か出来ることはないか? 枕投げ? トランプ? 修学旅行みたいに恋バナでもするか? いやその話題は馬鹿過ぎる。何かないか、何か……初日の車中、到着、円香、アウトレット、買い物、お土産、バナナ、カレー、バス、商店街、人力車、雑貨、キャッツ、緑、いや木々、池、鴨……美央子、理夢、京華さんと車庫、外、部屋。


 何か、思い出を作れるような──


「ごちそうさまー。で、どする? 今日は誰が一番先にお風呂に」


「駄目だっ」


 そうして今までの全てを振り返り、思考に耽っている間、いつのまにか完食していて、食器を持って片付けようとした理夢は、僕の言葉に首を傾げる。


「え、お風呂ダメなん?」


「いや違くて」


 突然僕がちょっと大きめの声を出したもんだから、気が付けば理夢だけじゃなく皆の視線が注がれていた。誰しもの頭に疑問符が浮かんでいるのが分かる。注目されているなら好都合、京華さんがさっさと部屋に戻ってくれたのは最高。


 だって今しか出来ない事、あるじゃないか。


「夜景を見に行こうよ」


 そうだ。僕らはまだこんな高原まで来ておいて夜景を見ていない。いや、まあ僕はちょっと見たけど。旅行初日、京華さんが僕らに告げた『門限19時制度』のおかげで、僕達は夜間の外出をしていないのだ。


「それアリ!」


 理夢は飛び上がって、ここ数時間で一番のテンション向上を見せた。


「しーっ! 京華さんにバレるから静かに」


 そう言って部屋へ視線を指差すと、理夢「あっそうか」とトーンを落とした。加えて何故だか、せっかくのアゲアゲが徐々に萎んでいってしまう。


「てか門限19時って言われてたっけ……迷惑も掛けちゃったし、やっぱマズいかも?」


 うぐっ、何という正論……こんな時だけ真面目になりおってからに全く。


「私は賛成」


 しかし意外にも、


「人力車に引き摺られて暴走した理夢を慰めさせられて、カレーを食べただけ。このままだとそれで私の旅行が終わる。単純に嫌。というか誰も行かなくても私は行く」


 視界の端から、賛同というにはあまりに刺々しい意見を述べたのは円香だった。僕がこの提案で最も説得が困難を極めるだろうと考えていた相手。『面倒』とか『寒い』とか『疲れる』とか色々言われると覚悟していただけに、本当に意外だ。


「ご、ごめんて」


「皆があたふたしている間正直蚊帳の外感半端無かったし、何で私はこの旅行に来たんだろうって真剣に考えさせられたりもしたんだけど……理夢、それでも何か反論ある?」


「いえ、ありません……」


 僕からもすまん円香。


「で、でもね? まどっちゃんには本当に感謝してるのは本当だよ? だってまどっちゃんが居なかったらウチ、多分歩いて駅まで行って、家帰ってたし……傍に居てくれてすっごく助かった。手も握ってくれたし、優しい言葉もかけてくれて嬉しかった。まどっちゃんが居て良かったって本当に、心の底から思っててね? それで」


「いや、も、もうそれくらいでいいから……勘弁して」


 意外だ。円香が珍しく赤面している。確かに彼女の攻略法の一つとして『率直に褒めまくる』という手法があるが、それを意識せずに行うとここまで効果抜群なのか。


 この様子だと、二人はもう大丈夫そうだな……そしてこのやりとりを羨望の眼差しで見つめる彼女に聞く。


「美央子は? 勿論行くだろ? ここに一人で残っても『どうして止めなかったの』って怒られるだけだよ。だったら皆で一緒に怒られようじゃないか」


 後は君だけだと聞くが、拒否させるつもりはない。


「私は……」


 口を開いて推し黙る美央子。門限の19時は破って怒られたって構わないが、それでも未成年の外出は23時まで、時間が無いんだ。是が非でも行くと言ってもらうと、僕は彼女に再度声を掛けようとしたが、


「みおっちも絶対来なきゃダメ。来なかったら許さない。おけ?」


 優しい理夢の、強い口調と視線に美央子は、少しだけ以前のように笑った。


「……うん」


 か細い声で、弱々しいながらも確実に頷いた。


「決まりだね」


 それからの僕達の行動は早かった。速やかに全員が食事を済ませ、手早く後片付けをし、静粛に布団を敷き始めて中にクッションなどを入れて、着々と『眠っている』状態の演出を準備した。その間誰もがどうしてか口を開かずに黙々としていたが、決して気不味い沈黙ではない。ある一つの目的の為、集団で規則を破るという背徳感が寧ろ胸を躍らせていたとさえ思える。


「てかさ、入口って部屋のすぐ隣だよね? 音でバレない?」


 上着を羽織りながら、この後に及んで理夢はまだ、真面目な悩みに戦々恐々としている。


 答えたのは美央子。


「あの部屋だけは防音がしっかりしてるから平気。私達の事もあって仕事も溜まってるだろうから、かなり焦ってる筈だよ。夕食中、お喋り好きな京華お姉ちゃんがあんなに静かだったんだもん。多分、少なくとも3時間くらいは部屋から出て来ないよ」


 冷静で非常に頼もしいが、それは同時に少し怖くもあるな。


 でも。


「はっはーんさっすが美央っち。それも『期待』ってわけ?」


「ふふっ。ごめんね? 私はやっぱり……すぐには変われないみたい」


「いーじゃん。それがホントの、みおっちっしょ? ずっと弱々してるよりずっといいから変わんなくていい。つーかその方が恋のライバルっぽいしね」


 この様子なら何も問題なさそうだな……というか今、とんでもない言葉が聞こえた気がしたのだが、聞かされた僕はどういう表情をしてれば良いのだろう。ほら、円香もまさに僕と同様なのだが。


「って、いやいやいや、今のナシ! ほら、ライバルって言うのはあれ、言葉のあやで特に深い意味は無いっていうかなんていうか、あれ?」


「茶番は良いから早く支度を済ませて。あと静かにしてよこの馬鹿」


 理夢が慌てて、円香が突き放す一連の件はまるで何も変わっていないかのようだった。いや、確かに形は変わってしまったのだと思う。だがしかし、僕の意味不明な想像通り悪いものじゃない。少し歪な装飾は付いたのかもしれないが、これはこれで個性があって色とりどりで、良いなあと……初日のアウトレット、今日乗ったバスを彷彿とさせる微笑ましいやりとりを、やっぱり同じように傍観しながらで、僕は着替え終えた彼女らの後を追った。そうして騒がしい会話は一時中断し、全員が部屋の前を足音を立てぬようにこっそりと、すり足で出口へ向かう。


 ゆっくり玄関を開けて、ゆっくり扉を閉めて、鍵を締める際も細心の注意を払った。その間何故だが、別にそうする必要は全く無いのに皆が身を低く屈めていて、それがとても可笑しくて、美央子も多分同じ事を思ったのだろう、顔を見合わせてくすくす笑っていたら……円香から側頭部に手刀をぶち入れられて、理夢には思い切り睨まれてしまった。


 外に出た瞬間、敷地内、別荘が見えなくなるまで皆が黙っていた。誰が指示を出す訳でもなく、向かう方向を決めた訳でもないのに自然と皆が歩みを進めたのは同じ方向。


 僅かに先導していた美央子を、僕らが追いかける形。


 暗がりを黙々と進み、やがて地面の感触が変わる。そうして舗装された道、車道に出た時、


「ちょっと優太、みおっちも何笑ってたの!? おかげでこっちまで吹き出しかけたじゃん! あーいうの釣られちゃうタイプなのウチはっ」


 息を吹き返したように理夢にまあまあ大きめの声量で咎められてしまった。まるで春休み初日を思い返させる様子。別荘から離れたとはいえ他にも家はあるのだからもう少し配慮をして欲しい。


「いやだって、ただゆっくり歩けば良いだけだったのに、どうしてかみんな忍者みたいだったから面白くてさぁ……」


 というか、


「何となく流れで付いて行っちゃってるけど、何処に向かってるの?」


 スタスタと先を歩く美央子の足取りには迷いがなかった。明確な目的地を理解した進み。僕が聞くと、理夢と円香も首を傾げて、視線の集中した彼女は振り向く事なく答える。


「とっておきの場所があるの」

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