17話 ゴールデンウィークの終わりが見える頃

 寂しい。


 見渡す限りの新緑。木々を反射する、これまた巨大な水面にはカルガモ達が悠々と行き交っていた。そんな清涼感と静寂の中、雑踏に紛れてどこからか聞こえる鳥の囀り。アウトレットや先程の商店街とはまた違う幻想的な印象で、まさに絶景と呼ぶに相応しい池。


「はぁ……どうしよ」


 この景色の前では、僕のこの呟きなどあまりに矮小なものだろう。


 現在14時を過ぎた頃、商店街を後にした僕達は近辺で有名な観光スポットである、この池に足を運んでいた。日の光を遮る生い茂る森のような、薄暗な入り口を抜けて目に入った強烈な眩しさ。木漏れ日に慣れた瞳を開けば、次に出たのは雄大な自然に対する溜息だった。きっと秋の紅葉シーズンは多くの人々ではちゃめちゃになっている事だろうと思う。


 連休中とはいえ、今でさえ人は多い。


 だが美央子ら女子達がお手洗いに行っているせいか、それとも遠出による疲労感が原因か……僕の疑念が原因か分からないが、


「寂しい」


 強くそう思った。


「嘘。寂しがるような人間じゃないでしょ、優太は」


 突然背後から失礼な声掛けをされて、振り向くより先に何者か分かってしまった。


「おかえり円香。早かったね」


「個室はすぐ空いたの。混んでたのは鏡の前。あの子らはまだまだ掛かると思う。理夢はコンタクト治したがってたし」


 円香は僕の隣に立つと落下防止の手すりに背を預け、先程の僕と同様に溜息を吐き出した。彼女の、木々に溶け込む淡い緑色の髪に、微風が触れて揺れる。


「今日は体調大丈夫みたいだね。さっきは随分楽しんでたじゃないか」


「ああ、あれね……本当に……疲れた」


 人力車から帰還してきた彼女は、どうしてか笑顔が絶えなかった。というより引き攣ってそう見えただけかもしれない。上がった頬を下ろす術が体から抜け落ちてしまったかのようで思わず笑ってしまったのだが……どうやらもう元に戻ったらしいな。穏やかで健やかな景色に対する感想にしてはあまりに冷たく、疲弊した様子である。


「良い経験だったろ?」


「冗談でしょ。理夢の余計なお節介に巻き込まれただけ」


 乱れた髪を耳に掛けながら、何やかんやと彼女は愚痴りつつ……いや、彼女なら本当にそう思ってるかもしれないので何とも言えねえか。


「優太こそどうなの」


「ん?」


「ずっと考え事してるみたいだけど」


 一瞬だけ言葉に詰まった。


「まあ、色々とね」


「それはどっち?」


「どっち?」


「理夢が優太を好きな事について? それとも美央子がまだ優太を好きだって事について?」


 水面に向けていた視線を思わず彼女へ送ったが、彼女は相変わらず、変わらぬ表情をしてカルガモ達に背を向けていた。その涼しげな横顔は僅かにも翳りは見られない。これは、驚いた……いや、不思議じゃない。元々僕が「考え事」を始めた要因の1つなのだから気が付いていても自然か。


「参ったな。両方だよ」


 言うと軽く鼻を鳴らされてしまう。


「何年幼馴染やってると思ってるの?」


 敵わないな、本当に……4月23日、この旅行が決定したあの日。ファミレスで言われた言葉。理夢と美央子が生涯続く関係になるかは彼女曰く『僕次第』だと。確かにそう、2人の感情の取り扱いを誤れば崩壊の可能性は十分にある。そうなるのを何度も僕はこの目で見てきたから。理夢に告白され、美央子と話した今なら分かる。が、あの時から既に、この危うさについて見抜いていたらしい。


「優太の事は大抵分かってる」


 彼女の瞳が僕に向けられた。


「でも優太を好きな人の事は余計に分かっちゃう」


 少しだけ滲んで輝いているように見えたのは光の加減だった、だろうか。


「円香、君は」


「あの子達は私と同じ。あの子達なら……私でも友達になれるかもって思ってこの旅行に来たの。もう少し試してみたい。だから優太が抱えてるものを話して」


 話、ね。とするとあまり時間はないな。込み入った事情が絡む話題、出来るのは精々これが最後のチャンスだろう。タイムリミットは2人がお手洗いから帰って来るまでの残り僅か。


「ならまず円香から教えて欲しい。初日、君が体調不良になった原因は?」


「それは言いたくない」


「え」


「私がいつ協力するって言った?」


「協力してくれないの?」


「悩み事って人に話すとすっきりするでしょ? 聞くだけ聞いてあげる。アドバイスをするかどうかは内容次第」


 さっき「試したい」とか言っていた人間の発言とは思えぬ突き放し方。挫かれた出鼻に心が折れ掛けるも、悠長に膝を曲げている暇がない。そう考えて……だけどもさ、何を話せば良いのだろう。


「この旅行に『何か』あるって思って、でも正体が分からない」


 だから結局こんな漠然とした不安、みたいなものを話す事にした。


「ずっとモヤモヤしてるんだ。目の前に危険があるような気がしているのに、実態が何も見えない。そもそも危険があるかどうかすら……」


「ふーん、なるほどね」


 円香の反応は希薄。だが肯定も否定も驚愕もしない、か。やはり彼女もまた同様に、この旅行について疑念を抱いていたのだろう。


「円香はそれが何か分かる?」


「さあ?」


 全く……もうちょい親身になってくれれば解決の糸口に近付けるだろうに、この少女は何処までも悠々と、先程の商店街のような混雑が無いこの場所を楽しんでいるかのように、美味い空気を吸ったり吐いたりしている。


「まるで犯人の存在しないミステリーを延々推理しているような気分だよ。だから当然、被害者も存在しない。事件が起こってないんだ」


「私達がしてるのはただの旅行でミステリーじゃない。犯人も被害者も存在しないのも、事件が起こらないのも当たり前。京華さんや美央子に影響され過ぎ」


 酷い。だが正論か。


「ハイ、ソウデスネ」


「探偵でも気取ってるつもり? そんなの全然優太らしくない」


「僕らしいって、どんな?」


「そこは自分で考えて」


 ぐっ、なんと非協力的な態度か……まあいい。僕らしいとはなんぞや。今度の長期休暇は自分探しの旅に出掛けたい衝動に駆られつつ、冷静になってみる。探偵を気取るな、とは有難い意見。確かにこのままでは結論には辿り着けない。


 僕が登場人物のままでは不可能。考えるならもっと俯瞰しなければ。


 まずは最初から。


 この旅行の初日……初日? 旅行の最初は初日か? いや違う。帰るまでが遠足だ。しおりを読んで持ち物を用意する前日も遠足。そもそも遠足に至るまで体調を整え、風邪を引かないように手洗いうがい早寝早起きを心がけなければ遠足には行けない。遠足があると知ってから帰宅までが遠足。とすれば。


 事の発端は、計画を立てたあの日。4月23日のファミレス。


「言い出しっぺは、確か理夢」


「は?」


「あ、ごめん」


 いかんつい思考が口に……いやいや、まず理夢が『ゴールデンウィークに何処かへ行こう』と提案して始まったこの旅行。主な登場人物は5人。まず僕、円香、理夢、美央子そして京華さん。理夢の提案と美央子の繋がり、京華さんの別荘と運転と引率があって初めて成立する舞台。


「そうだ、あの人」


 漆部京華さん、確か経営者で小説家と。諸々の事情を加味してもこの旅行には欠かせない人物……しかしそんな人が、あり得るだろうか。理夢が『どっか行こう』と提案したのは4月23日だぞ。つーか行き先どころか行くかどうかさえ決まっていない時に予定を空けさせる事が可能なのか?


 周囲を見回して……うん。2人はまだ見えない。


「またLINE? 今? もしかして年下が好みだった?」


「いや違うよ」


 調べ物をしようと取り出したスマホに円香からツッコミ。まあ確かに今も祝から連絡は来ているのだが本当に違くて。


 あった。これか。


「京華さんはどんな人なのかなってさ」


「ふーん。私もみる」


 ぐいっと近く、円香の髪が僕の頬に触れる。くすぐったい事この上ないが今は言っている場合じゃない。影になって画面もいくらかマシに見えるし……ってこれいやすごっ。気鋭の女性経営者、ARやVR技術による最先端の街づくり、地元工芸品を海外へ輸出する救世主など、様々な輝かしいキャッチコピーで彩られている京華さん。副業にしては年商が30億を超え今も尚成長を続けるベンチャーの社長として大々的にホームページに写真が貼り付けられている。でありながら。


「よくわかんないけど、まあまあ大きい会社。写真が腹立つ顔してるけど」


「ペンネームは、室下不京むろしたふきょうかな」


 本名検索で出たらペンネームの意味が……いやそこは経営者と二足の草鞋という事にした方が売れるという判断からかな?


「ミステリー界のみならずホラー界隈に突如現れた新星? 繊細な心理描写と卓越した伏線回収? 暖かな日常に容赦の無い残酷な描写を組み込むまるでアトラクションのような展開が連続する作品群? だって。なるほど? 美央子の言った通りの陰湿な作家みたい。ありきたりな誇大広告。読む気にもなれない」


「さっきからなんちゅー感想を言うのかね君は……それよりここだ、去年の時点で累計部数150万部突破って」


 美央子め嘘をついたな。何が『売れっ子じゃない』だ? めちゃくちゃハイパーベストセラー作家じゃねえか。後でサイン貰おう。


「こんな凄い人が、僕達の引率者だったんだ」


 脳内で確信の端、その断片のみではあるが、徐々にピースがはまっていく気がした。


「で、これがどうかしたの?」


 こくり、彼女はスマホから顔を上げて首を傾げる。


「京華さんの会社だけど、これ、創業からそれほど月日が経ってない。若い子に実務を任せてるなんて言ってたけど、実際はまだまだ業務はある筈。小説の方も売れ出したのはここ最近。思えば京華さん、夕飯以外の時間で殆ど部屋から出ていない。恐らく僕達が想像するよりずっと忙しい。今も、そしてこの旅行を計画した時も。本来なら出掛けている余裕なんて無いくらいには」


 円香は短く唸り、それから「ああ、なるほど」と口を開く。


「つまり……事前にこの旅行が計画されてたって言いたいわけ? 理夢が言い出すよりも前から? それも元々決まっていたのにあえて告げずに、理夢から声が掛かるのを待ってたって?」


 半ば呆れたように、疑心暗鬼丸出しで語尾を上げていた。


「多分、そう」


 頷くと、円香はこれでもかってくらい「はあ?」と顔を顰めた。反応から察するに、この仮説は彼女が思い当たらなかったものらしい。


「僕も今の今まで疑ってなかった。『うへぇこんな別荘すぐに用意出来ちゃうなんて美央子さんすげぇうへえ』としか思ってなかった。でもやっぱり変だよ。お金を持っている事と暇かどうか別問題だしね」


「なんでそんな面倒な。しかも回りくどい上に、計画を立てていたにしては不正確。理夢が言い出す保証なんて何処にも無いじゃない」


「この想像も確かに不正確、でも理夢が言い出して急遽、お忙しいであろう京華さんの予定を押さえるってよりは、ずっとあり得る話」


 頭痛がぶり返したのだろうか、円香は額に手を当てて溜息を放った。


「……理夢はこれ、知ってると思う?」


「僕と色々あった美央子から直接誘うのは気が引けるから理夢を仲介して、とも考えたけど……ファミレスでの彼女の様子に不審な点は無かった。あれがとても演技とは思えないから、きっと何も知らないんじゃないかな。だとすれば考えられるのは『美央子が計画を立て、理夢からの連絡を待っていた』か『京華さんから美央子へ事前に旅行の誘いがあり、同様に理夢からの連絡を待っていた場合』かどっちか」


 話しながらで、僕は抱えていた曖昧な不安の尻尾を掴み始めていた。思えばずっと片鱗はあった。だが今まで確証が無かったから、言い切れなかったもの。それはこの旅行の、『何か』の正体が美央子であるという結論。具体的に何をしようとしているかは不明。


 しかしこれは、とても厄介。恐らく中学の時と同等以上に。


「どっちにしても嫌なカンジ、それ」


「まあね。それでこの仮説が合っていた場合にちょっと問題があって」


 確信に触れる前に、僕は一応にとお手洗いがある方角へ目をやった。というか遅いな。もう随分話し込んでいる気がする。


「えっと、というかあの2人全然来る気配無いんだけども」


「そりゃあそう。だって私、先に戻るとか言ってないもん」


 あっけらかんと言い放つ彼女に、僕はジトっと絡み付く視線を送りつけた。


「何? あの子らだって馬鹿じゃないんだから分かるでしょうが。大体そのおかげで優太はこうして話が出来ているわけだし。寧ろ感謝して」


「あ、はい」


 なるほど? じゃあこれは僕の悩みに気が付いた円香の優しさ? 気遣い? ということにしておこうかな。


「で、仮説が合っていた場合の問題って何?」


「それは理夢が……」


 僕は言いかけた。言い淀んだ訳ではなく、中断せざるを得なかったのは視界の端に2人が映ったから。遠方から徐々にこちらへ足早に来る理夢と、少し遅れてゆったりと歩く美央子の姿が。


「やっぱり!」


 まるで見計ったようなタイミング、あり得ないが、そう錯覚してしまう程に僕の疑念は深くなっていた。わざと円香と話す機会を与えられたとさえ思える。


「もー、まどっちゃん!! 先に戻るなら言ってよねっ。美央っちが気付かなかったらずーっとトイレ前で待ってたとこだったんだからっ!」


「ごめん。私そういう友達居なかったから分からなかった」


「え、あ、うん。こっちこそ……なんかごめん」


「嘘。私にだって常識くらいあるから。ていうかそんなにぼっちじゃないし」


「もーっ!!」


 理夢に詰められ、さらりと躱しながらも皮肉をぶち入れる円香を横目に……少し遅れて到着した美央子が僕の隣に立った。彼女は2人の夫婦漫才を楽しそうに眺めながら、続いて木々、池、カルガモ達を見回した後、その視点の終着点を僕に向ける。


「円香ちゃんと何を話してたの」


 妙な質問。最早違和感を隠す気が無いのか? 後数時間で日が暮れる。そうなれば僕達は別荘に帰り、食事をして眠り、朝になれば帰宅。彼女にとっても何か思惑があるにせよ猶予はあまり残されていない筈。


 いずれにせよ、ここはまず様子見する。


「何をって、えーっと、この旅行楽しんでるーとか、そんなことを幾つか話したかな」


「嘘。私のことを話してたんでしょ?」


「え」


「優太って誤魔化すのは上手いけど、嘘は下手っぴだね。もしかして焦ってる? あんまり時間、無いもんね?」


 そう言った彼女の表情は見知ったもので、でも知らない色の笑顔。まるで僕の気付きを嘲笑うかのように……いや、そもそもこの旅行が事前に計画されていたとするなら当たり前。『犯人の存在しないミステリー』などとんでもない。犯人はもう存在していた。事件も起きていた。被害者は既に刺された事後だったのだ。だがまだだ。まだ生きている。僕に与えられているのは、被害者が失血かショックで死亡するまでの僅かな時間だけ、か。


「うげ、まーた目ゴロゴロする。やっぱ急ぎ過ぎたかなぁ。でもも一回トイレ行くのめんどいし……」


「ここで直せば?」


「はい出たー! 裸眼勢の無責任な発言でましたよー!」


 未だ痴話喧嘩を続ける2人、見据える美央子はこの光景に何を思っているのだろう……少なくとも、僕はこれをどうにかしようなどとは考えたくもないが。


「ちょっと優太ぁっ。幼馴染としてどー思うよこの子?」


「いやあ、僕からは何とも」


「味方がいねえ! みおっちヘルプ! って思ったけどみおっちも視力お化けじゃん!」


「ふふっ。ごめんね? あ、コンタクトと言えば1つ、目についての怪談が」


「あー! 聞きたくない聞きたくない!!」


 どうにかしよう、ね……そもそもどうにかなりそうなメンツでもないように見える。というかどうにかして何かしらが起きる気配が全く感じられない。最早全て僕の思い過ごしの考え過ぎのような気がしてくる程に緊迫感皆無なんだけど。


「楽しいな……本当」


 分かったよ美央子。僕は諦めない。君が何をしようとしているにせよ、この平穏は守ってみせる。誰にとっても良い旅行だったと言わせてみせる。終わった後も続けられるように。


 それは勿論、君も例外じゃないんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る