15話 ゴールデンウィーク 夕食から就寝

「大変長らくお待たせ致しました。優太特製優太カレーと、付け合わせのシーザーサラダで御座います」


 ルーとライスの比率は7対3に盛り付けている。ひと口大に千切った緑葉、刻んだトマト。フライパンでカリカリに焼いたベーコン。それらを色合いの映えるがままに皿に配置し、温泉卵を乗せては香り控えめのチーズとクルトンを適量。勢い余ってドレッシングまで作成しようと考えたが、残念ながらこの別荘にある調味料では足りなかった。


「おぉ……」


 着席した彼女らの前に配膳を終えると、僕は心地良い感嘆が理夢から漏れ出るのを耳にしながらエプロンを外す。そうして僕もまた席に着くと、退屈そうに欠伸をする円香以外の、皆の呆気に取られた表情が一望した。どうやら僕みたいな人間に料理が出来るなどと夢にも思っていなかったのだろう。


「ささ。冷めないうちに食べて食べて」


 色々と込み入った会話もあったアウトレットから帰宅して凡そ1時間後。『あの店また行きたい』や『こんなものを買いました』などのじゃれあいを、体調をすこぶる回復させた円香と共に行っていたのも束の間。僕達の議題は本日の夕食をどうするかに発展した。食材は京華さんが事前に用意して下さった幾つかがある為、問題は『誰が作るか』と。当然、当初は皆で調理すべきだと考えたが……何というか、円香も理夢も、美央子もあまり料理は得意ではないと顔色を悪くしたのだ。恐らくは経験の不足による自信の無さが原因だろう。しかし、僕は空腹だった。何せ腹の中にはアウトレットで取り入れたバナナ2本分程のエネルギーしか無かったのだから。最早一刻の猶予も我慢ならず、であればと、僕がこれらを製作した次第である。


 学生同士の泊まりなら、カレーが相場だろうと。


「いただきます」


 まず最初に口を開いたのは、意外にも円香。普段はそんな事言わないくせに、今日ばかりは周囲の視線を気にしてお行儀が良い。彼女が一口食べたのを契機に、何故だか緊張した面持ちを浮かべた皆がぞろぞろ『いただきます』と。


「……う、うまっ。めっちゃ美味いよ……てか割と絶妙にショックなんだけど、ウチが作るより絶対美味いわこれ」


 昼間あれだけ騒ぎ散らかしていた理夢は静かに衝撃を伝え、徐に取り出したスマホで様々な角度から撮影を始めた。良いぞ、もっと褒めてくれ。


「本当に美味しい。料理出来たんだね、優太。今度じっくり教えて欲しいな」


「勿論。と言っても、レシピ通り作っただけだからコツなんかないけど」


 お手本のような素直な感想を口にする美央子。彼女の表情は……アウトレットでの出来事など何も無かったかのようだった。あの時、あの瞬間、帰って来た理夢に遮られ、僕は『どうして告白を断ったのか、その本当の理由』という問い掛けに、未だ回答出来ていない。そもそも何故そんな事を聞くのか僕にはどうにもこうにも……この旅行には僕の知らない思惑があると、京華さんの発言からずっとそう考えていた。美央子の発言を信じるのであれば、理夢は何も知らない筈。であれば京華さんは? 円香の妙な様子も気になるところ。誰が何を知っていて、誰が何に気が付いて、何をしようとしているか。全て僕の考え過ぎであればこの上ないが……美央子は『僕をまだ好き』だと言った。告白を断ったのにも関わらずそりゃまあ嬉しいけど、過去の経験が、この状況に対して幾つかの警鐘を告げている気がしてならない。


 一歩違えればこの築かれた関係が崩壊する、そんな感覚が。


「おばちゃんも全然料理出来ひんから、ちょっとガックシやわぁ」


 思えばこの、1人の女性から始まった疑念。くそ、食事に集中出来ない。こんな状態で旅を満喫するなんて出来るのだろうか……いや、弱気になるな。考えを放棄すればまた、中学の二の舞になってしまう。


「京華さんは自炊とかされないんですね。普段は外食が多いんですか?」


「いーや、仕事柄外食より出前派や」


 僕の焦燥感を他所にあっけらかんとした態度の京華さんが放った言葉に、やや複雑そうな表情をしながらも無言でカレーを食い続けていた理夢が首を傾げる。


「そーいえば、京華さんって仕事何してるっすか?」


 彼女の問いに京華さんは短く鼻を鳴らした。


「ふっふーん、さてなんでしょか?」


 スプーンを手にした指先を顎に軽く当て、僅かに前傾となった姿勢からは、整った容姿と成熟し完成した所作も相まって蠱惑的な印象を受ける。そんな様子に美央子は若干呆れつつも笑みを浮かべて、円香は如何にも『私興味ありません』という表情ながらも、カレーを食べる手は止まっているので、その実理夢と同様、必死に思考を回転させているに違いない……ふむ。面白い話題になったな。


「ヒントはなー」


「あー待って待って待って下さいっ! ノーヒントで当てたいんで!」


「えー」


 理夢の余計な発言によりこれ以上の情報は得られず、か……まあいい。これだけの別荘だ。美央子パパから譲り受けたとはいえ管理費は相当なもの。金銭的な余裕がある筈。車内では僅かに香水の香りを確認。身なりに気を使う。人と頻繁に会う。外食より出前。今日も書斎に籠って『仕事』だと。ゴールデンウィークに仕事、一般企業ではなく時期を選ばない類? 部屋で出来る。長距離の運転に不慣れ。詮索好き。結婚指輪は嵌めていない。幼少期より美央子の家と親交があったとすれば良家の生まれかな。なら縁談は幾つかあっただろう。でも断った? 自身の地位をそれなりに獲得している? いやいや、そもそも美央子パパが一代で築き上げた事業だったらこれは意味の無い想像……うん。さっぱり分からないな。可能性で言えば会社経営者というのが最もしっくりくる気もするが、美央子や京華さんの様子からして絶対に当てられない何かしらがありそう。


「分かった! 京華さん、社長さんでしょっ!」


「おー正解正解」


「まじすかっ! やばッ」


「いうても名ばかり社長で、実質的な経営は若い子に任せとるんやけどな。おばちゃんは企画にゴーサイン出すだけで。まあ、副業みたいなもんなんよ」


 えー、副業の概念揺らぎそう。


「なんで本業として、実はもー1つ肩書きあるんやけど、何か分かる?」


「ね、ネイリストとか?」


「いやなんでやねん」


「……ヒント下さい」


「お、ええんか? それだとポイント減点してまうで?」


 いつの間のポイント制度?


「あーまあ、正解したいんでしょうがないっすかねー」


 君もノリが良いな。


 京華さんは満足げに唸って、それから『あなたもヒント欲しい?』といった具合の表情で円香を見つめた。唐突に視線を向けられた当人は『良いから早く聞かせなさい』的な様子で咄嗟に顔を背け、僕は『そろそろカレーが冷めるのではなかろうか』な雰囲気を醸し出し状況を見守る事にした。


「ヒントはな、今こうして会話してるのも仕事と言えなくない。あー、君らのような学生さんを連れて遠足出掛けたりもするのもそうやなあ」


 なら教師?


「謎々を持ち掛けて、議論のきっかけを作ったりして……そう、おばちゃんは敢えて名付けるとすれば『火付け役』なんよ。さ、どーや?」


「あ」


 無意識に声が漏れた。


「なんだ下ら……ごほっごほっ、あーすみません。私、まだ体調が悪いみたいでごほっ」


 と同時に、ほぼほぼ心の声が漏れ出していた円香のわざとらしく咳き込み誤魔化そうとした。そうして一度間隔を空けた後、引き攣った顔で笑った理夢と美央子。京華さんは気にしているのかいないのか、「ははは」と涼しい目付きでいつの間にやら綺麗平げた皿の上にスプーンを置いた。


「ごちそうさんですぅ。理夢ちゃん時間切れ。正解は『小説家』や。さ、クイズ大会はそろそろお開きにしましょか。風呂は1つしかないし早いもん勝ちやでー」


「しょ、小説家!? ちょまっ、ウチまだ意味がよく」


「学生を連れて遠足するのは『先生』でしょ? 『火付け役』とはつまり火を付けるもの、でそのまんま『ライター』と。スペルは違うけど、カタカナ的にはどちらも同じライター。連想するのは小説家。ってことだと僕は思うよ」


 ヒントとしてはあまりに直接的で、円香の気持ちは分からなくもない。そう、これは分かってしまえばなんてことはない。

 

「はい優太君大正解で円香ちゃんも、な? てわけでほな、おばちゃんは一番風呂いただきますぅ」


 そうして京華さんは皿を流しへ持って行くと、宣言通りに食卓を後にした……言われてみれば簡単な話。到着してすぐ、車庫での『誰が好きか』という質問。あれは恐らく興味本位などではなく、業務の一環だったのだろうと。まさに『火付け役』だな。何せ僕の内心に於ける『議論のきっかけ』だったのだから。僕の頭に植え付けようとしたのは疑念ではなく……恋愛の意識。僕らのようなただの高校生の日常が小説に役立つ筈はない。だから意識を植え付けるだけに留めた。そしてその結果を観察し、過程を想像し、創造する。


 つまり、僕が考え過ぎる事、それこそが狙い。


「美央子」


 今僕がこうして考えているのもまた狙いでそれもまた……何だか裏の裏は結局表みたいな話になってきたな。やめよ。キリがねえ。


「ん?」


「京華さんは今、どんな小説を書いてるか知ってる?」


「詳しいことは聞いてないよ? ただ、担当の編集さんに『映像化狙って次は恋愛もので』って言われてるんだって。京華お姉ちゃん、普段ミステリーとかホラーしか書いてないから『ふざけんな』って凄い愚痴ってたよ」


「へえ、そっか」


 なるほど、だからか。だから『学生さんを連れて遠足』も仕事と……正直これはヒントとして少し違和感があった。確かに小説家は『先生』と言われるが、この場合の先生とは『学校の』意味を持つ。なぞなぞだからと片付けるには、小説家などの慎重に言葉を選ぶ職業の京華さんが、この不誠実を見逃せる筈はない。であればつまり、このヒントもまさしく正しい意味合いで機能しているのだろう。『学校の先生』ではなく『小説家の先生』としての引率。この旅行に僕達を連れて来たのには、明確なメリットがあった。つまり『恋愛ものの』作品の完成に向けた取材という、確固たる目的……強かだな、本当に。


「書いてるやつのタイトルは!? と思ったけど、ウチ全然本読まないし……じゃあさじゃあさっ。もしかしてウチらをモデルにしてくれちゃったりしちゃったりするんじゃね!? やばっ、よもやよもやなんですけど!」


「ふふっ。京華お姉ちゃんの本って、大体みんな死んじゃうから、私は出ない方が良いと思うけどなあ」


 当人が去った今も、こうして撒かれた議論の種は芽吹き続けている。してやられた感が凄い。これが大人ってやつか……まあいい。おかげでこの旅行の状況に対し、未だ具体的な形は見えないが、大分視界は開けた気がする。現在僕が考えるべき、優先すべきなのは今後も交友を続けたい皆の事。明確な動機が判明した京華さんはこの際考慮から外させてもらう。


 まずは円香。彼女は京華さんの次に、僕がこの旅行に対し『何か』があると朧げにでも考えた理由、そして確信だ。


「書けって言われてるのは恋愛小説でしょ? だったら大体みんな死ぬなんてない。映像化するならどーせ甘ったるい少女漫画みたいなストーリーか御涙頂戴展開で感動ものでしょ」


 京華さんが居なくなって突然饒舌に口を開いたな。人見知り、緊張隠しもそこまでいくとあからさま過ぎて……それはさておき。とにかく、この子は何かに気が付いた。心配する皆を差し置いて寝込む程の『何か』に。そしてそれを抱えてしまった事は間違いない。これが現状に於いて探る必要のある課題の1つ。


 次に理夢。

 

「あははっ、いや辛辣過ぎな?」


 この子は僕と美央子に『何かしら』があると知っている。一体どこまで核心に迫っているのかは分からないが、恐らくそれ自体は問題にならないだろう。確信が無いのであれば、彼女は推測する他無く、憶測で動くしかない。下手な動きはしない筈。重要なのは彼女が僕を『気になっている』という点。この感情がどう作用するのかは未知数。何せ美央子も、こんな僕を『まだ好き』だと言ってくれた。しかし理夢と美央子の関係を考えると、非常に繊細に扱わねばならない。


 だって美央子の本心は、未だ僕の思考から遠く離れた位置にいるから。


「京華お姉ちゃんが書くラブロマンス。うん、ちょっと読んでみたいかも」


 一学年からの付き合いながら、現状最も読めない相手。恐らくこの旅行の『何か』そのものと仮定する……本当に嫌になるよ。こんなにも笑顔が似合っている彼女の腹を、勝手に探ろうとするなんてさ……しかし、この旅行を皆にとって幸福な思い出にする為なら、僕は、


「でも結構意地悪な作品になりそうかなぁ。この別荘を舞台にしたなら大雪を降らせてクローズドサークルにして、殺人事件でも起こさないと気が済まないだろうし、私達をモデルにしたなら絶対この中に犯人がいるだろうし。でもそれだと恋愛要素薄いし……あ、ホラー作家だしお化け出すかも。それで主人公が犯人なの。この別荘には悪霊が取り憑いててそのお化けに操られて、殺した時の記憶も無いんだって事にして、周りからは信じてもらえなくて、ヒロインだけは信じてて、周りがどんどん不可解に殺されていく中、最終的に2人だけは無事別荘を脱出して結ばれる感動のエンディング。愛さえあればって感じで幸せなウェディング逃避行。映画はここで終わり。でもね……原作本だけの最後の最後、主人公がポロッと口にしちゃうの。操られてた時のことを。ヒロインが『なんでそれ、覚えてるの?』って聞いたらね? 主人公が目線を逸らして笑って『あやふやだけどね』って言うの。そうして手を繋ぎ合う2人、でもヒロインの心にはちょっぴり『本当にお化けなんて居たのか』なぁって。そんな結末」


 いや、やっぱりちょっとは探った方が良いかもしれん。


「どうかな?」


 こくり可愛らしく首を傾げた美央子に対し、青ざめた顔で耳を塞いでいた理夢が「や、やめてよっ」と小さく呟く。


「ちょっとみおっち、怖い話しないでよぉっ。ウチお化けとかちょー苦手っ」


「そうだったんだ、ごめんね? でも安心して良いよ。実はね、お化けなんていないの。作中にそう分かる描写が幾つも詰め込まれてる。主人公はただ殺人鬼。最後の独白でヒロインも、本当に心の底から主人公を信じてたわけじゃないと分かる。だから2人には未来なんて無いの。って、お姉ちゃんならそうするだろうなぁ」


「そ、それならまあ……」


 いや納得するんかい。


 しかしなるほど、それはまさしくホラーでありミステリー。ヒロインよりもこっちが不安になりそうだ。どうやら美央子はかなり京華さんの著書を読み込んでいるらしい。この想像力は多分その影響だろうと思いたい……え? そうだよね?


「そんなの映像化されるわけない。どこがラブロマンス? ただのサスペンスでしょ馬鹿みたい……本当に、お化けなんて絶対ありえないし殺人鬼もこの別荘にはいないから。本当に、絶対そんなのいないしありえない」


 冷ややかな視線で厳しい茶々を入れつつも、脳内では先程の話を必死に忘れようと足掻いているであろう円香。きっと今、彼女の首筋に気付かれぬよう触れられたなら、雄叫びを上げて飛び上がる姿が見れるに違いない。


「ふふっ、そうだね」


 戦々恐々とした理夢と円香を前に、美央子は悪戯に微笑んだ。その表情から、今話したのは文字通りの悪戯なのだろうと。僕の脳内プロフィール、彼女の特技欄に『怪談話』を加えなくてならないな。とはいえ今は5月、夏の背を追っている時期。夜はまだ底冷えするだろうに、季節は考えて欲しかったぜ。


「……ごちそうさまでした」


 そうして食事を終えた頃、風呂から上がるとすぐに部屋に向かってしまった京華さんを見送った僕達。理夢はいつも以上にハイテンション。円香は更にキレッキレ。恐怖を忘れようと頑張ってはしゃぐ2人へ穏やかに追い討ちをかける美央子。そんな彼女らを僕は絶妙な感情で見守りながら後片付けをして、順番に風呂に入り、学生らしくだらだらと下らない長話をして、トランプでもしようかという話になって、しかし誰も持って来ていなかった事に気が付き、また長話。


 理夢が欠伸をした。美央子が「そろそろ寝ようか」と言った。聞いた円香が無言で立ち上がり2階へと向かった。


 建設的な内容など無い。ただ時間を浪費した一日の終わり。ホラーもミステリーもサスペンスもラブロマンスも、皆が去ったリビングに敷いた布団の上には皆無だった。それがとても幸せで、あれだけ冴えていた瞼が急に重くなっていく。


 そうして明かりを落とした室内で、僕は重力に身を任せるまま横になった。こんな日々続けば良い、このままで終わってくれればそれが一番望ましいなあと。

 

「おやすみ」


 誰に言ったのか、2階の上にいる誰かと、目が合った気がしたが、微睡み始めていたから分からなかった。


 ただ最後に思った。


 そういえば、美央子のあの怪談……お化けがいないなら、犯人の動機は、なんだったのだろう、と。

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