14話 ゴールデンウィーク アウトレット

「うっへえ、やっぱドチャクソ混んでる」


 爛々と輝く瞳でテナントを見回す理夢。まあ表現はあれだが、この光景には同意する他無い。


「ふふっ、本当すごい人。はぐれないように気を付けないとね」


 美央子はこの場所に来るのが初めてではないようなので表情からは若干の余裕さが感じられ、はしゃぐ友人の姿に頬が緩んでいるのが分かる。


 別荘より駅へ、電車を乗り継ぎ辿り着いたアウトレット。まるで海外を思わせる建物の外観が隙間無く行き交う人々に彩られ、視線の先のそのまた先まで何処までも続いているように錯覚してしまう。そこかしこに植えられた植物、電飾、幾つも立ち並ぶガラス張りのブランド店。森林と山々のど真ん中に突如出現したこの場所は、まるで夢の国のように現実と離れた印象を受けた。日中の現在では計り知れないが、きっと夜が深くなればより一層の変化を遂げるだろう。


 それにこれだけの高原だ。昼間では想像も付かない程に豪華絢爛な夜空が広がっている筈。もしもみんなで見る機会でもあれば……うん。まあ何にせよ円香は来なくて正解だったかな。きっとこの景色を目にしたその瞬間には卒倒してしまうに違いない。


「2人は目当ての店とかある?」


「優太ぁー、目当てとかじゃなくてこーいうのは片っ端から行くもんなんだよ。分かってないなーもー」


 これだけ多くの店舗を当てもなく回るのは時間が掛かり過ぎる、と思ったが故の発言だったのだが、テンション爆上げ状態でいつもより若干ノリが慌ただしい理夢には余計な世話だったようだ。


「私、何度か来た事あるから案内は任せてね」


 対して美央子はやはり落ち着いているな。考えてみればこの2人、性格面の差異がかなり大きい。放っておくと今にも走り去って行ってしまいそうな理夢に、まるで保護者のように地に足を付けて微笑む美央子。外野から見ている分には良いコンビにも思えるが……この方向性の違い、あり得るだろうか。どちらかが疲労の色を浮かべても良い。どちらかが『合わないな』と考えても不自然ではないだろうに。


「優太ー? 行くよ?」


「うん」


 まあ、考え過ぎだよね。


 そうしてかねてより抱えていた疑問が燻らせながら歩き始めて、最初に立ち寄ったのは近場の、レディースファッションのブランド店。暖色の明かりで落ち着いた雰囲気の店だったが、店内の喧騒は安らぎとは程遠いものだった。各地に点在するマネキンすら自身の居場所を迷っているように思えるくらい。所狭しと並んだ服、SALEの文字。


「うきゃぁーっ、これ可愛い!」


 まるで休日、両親におもちゃ屋へ連れて行かれた子供のような視線で、理夢が一枚のニットを手に取った。袖口が広めに作られた黒。胸元の刺繍が何とも可愛らしい一枚。


「みおっち、どーこれ?」


「うん、凄く可愛い。この前買ったジーンズと合わせたら良い感じ」


「だよねだよね! あー、こっちの青いのもちょー可愛いんだけど! ってやばーっ。白もあんじゃん!」


「結構キレイめな感じだから、ローファーとか似合いそう」


「んー、でもウチってスニーカーの方が好きなんだよなぁ……」


「じゃあこっちの、これ。このパーカーならストリート系でスニーカーも違和感ないんじゃない?」


「それなら何か、ニット帽とか欲しいかもっ。でもあんま寄せると男子ウケ悪いんだよねー」


 微笑ましい会話、だが僕は内容の半分程も理解出来ずに居た。ただ後ろを付いて回ってニコニコしている、まさに見ている事しか出来なかった。彼女らが楽しそうにしているので別に苦にはならないけど、こう口を挟む隙間が無いと少々寂しいのは確か。


 そうして僕の意識がマネキンとほぼ同化し始めていた頃、


「ね、優太はこれどー思う? 可愛くない?」

 

 突然に、機会が訪れた。


「可愛いと思うよ」


 理夢からの予期せぬ質問、意見を求められ僕は反射的にそう答えた。この間僅か0コンマ1秒。決して迷ってはいけないと直感が告げたのだ。それから僕は彼女が手にしている品を確認し停滞していた思考を高速で回転させる……金の装飾が付いた肩掛けの黒バッグ、か。いつの間に小物漁りに転じていたのだろう……まあいい。色合いは良い。サイズも小さめで可愛らしい。だが彼女が身に付けるには少し落ち着き過ぎ、大人過ぎている気がする。オレンジか黄色か、目を引く方が個人的には……いや、理夢の髪色は赤。色の主張は既に存在しているのだから後は全体的に統一して決めた方が無難か? いや、無難は地味を誘発させる危険性がある。物足りない印象を与えるかも。しかし逆に詰めれば気合が入り過ぎているか? 例えば友人同士のお出かけの際は普段着のようなラフさが好まれる場合もある。しかしラフさも過剰過ぎれば浮いてしまうかも。年齢相応に、子供っぽさを残しつつカジュアルで抜け感を演出するには……これだ。


「このベージュのやつとかどう……って」


 あれ、誰もいねえ。


 見れば彼女らの興味は既に、小物からアウターに移っているようだった。どうやら僕に求められたのは意見ではなく、同意だったのだろう。


「なるほど」


 そうして店内を『あーでもないこーでもない』『可愛い』など会話しながら、いや厳密に言えば会話をしていたのは彼女達2人だけで、店に入ってから30分程が経過し、結局は誰も何も購入する事なく退店する運びとなった。


 次に向かったコスメティック、そのまた次の女性用下着専門店(そもそも外で待たされた)などの最早介入の余地が無い場所に関しては記憶が無い。


「おぉ」


 だがしかし、4軒目のスニーカーを扱うブランド店で、僕は一つの商品を前に衝動的に手に取って声を上げた。厚めの底に、踵の黒がアクセントとなっている一品。全体的に丸みを帯びたフォルムが何とも愛らしい。


「……げ」


 紐に括り付けられた値札、刻まれた4万9千円に僕は奥歯を噛み締めつつ、震える手付きで棚へと戻した。


「それ、欲しいの?」


 名残惜しさが残る指先、腕が下がった瞬間、いつの間にやら隣に立っていた美央子にそう声を掛けられる。


「欲しかったけど、ちょっと手が届かないかな」


「ふーん」


 今の僕の手持ちはバイトでケチケチ貯めた6万円とちょっと。買えない金額ではないし貯金もあるにはある。だがしかし、特別な贈り物ならまだしも自分の普段使いの為にこれだけの金額をヒョイっと出せるかと言えば、正直手が止まる。


「私が買ってあげようか?」


「え」


「後悔するよりずっといいよ。それに優太には、ちゃんとお礼もしなきゃって思ってたから。去年からずっと助けてもらったお礼」


 美央子は温和な笑みを浮かべて、じいっとこちらの答えを伺っている……その様子は、ぽかぽかとした口調や振る舞いに対し、まるで僕の頭の中の悪魔が具現化したような甘さがあった。しかし同じく僕の中の天使は当然、首を横に振る。


「ありがとう。でも貰えないよ。こういうのは自分のお金で買いたいんだ。理屈じゃなく気持ちの問題でさ、そうでなきゃ僕が満足に履けない」


 そう、靴だけにね……とは付け足さないでおこう。美央子は僕の回答に、笑みを絶やさぬままで首を傾げた。


「そう? そっか。優太ならそうかも」

 

 良かった。とりあえず納得してくれたらしい。勢い的には『だったら私が勝手に買う』とか言い出すのも考えられたから心配したよ。


「ふふっ、だったら私が勝手に買うね? そうしたら優太はもらうしかないでしょ?」


「いや、いやいやいや美央子ちゃんいやいやそれはいやいや」


「『満足に履けない』なんて後悔したくないから思うんだよ。大丈夫、私はちゃんと分かってる。お金出すだけで買えるんだから、我慢しないで?」


 駄目だ、この子全然分かってねえ!!

 

 時刻は13時ちょい過ぎ。昼時を過ぎたからという理由により、僕達はフードコートへ向かった……しかし予想は常に裏切られるもので、テーブルはほぼ満席。どの売店にも長蛇の列。まあ探せば空いていないという事はないだろうけど、


「時間がもったない!!」


 と、理夢の発言により現在、僕達は流行が廃りつつあるバナナジュースで小腹を満たしながら、流石に疲労感のある体をベンチに預けていた。


「次、どこ行こうか?」


「アウトドアショップの隣にチョコの店あったからそこ! 弟にお土産頼まれてんだよねー。ったく、中坊のくせに生意気じゃない?」


 砂糖を使わない本格派のバナナジュース、だが濃厚な甘さだ。更にはバナナに含まれる色んな体に良さそうな何かしらが全身に作用している感じがして心地良い。朝に食べるイメージが強い食品だし、きっと腹持ちも良いのだろうしエネルギーの何やかんやもあると思う。知らんけど……こんなものに頼らずとも、2人はまだまだ元気っぽい。円香は、どうしているかな。


 と、僕が別荘ですやすやしているであろう幼馴染に想いを馳せていた時、


「むむっ!!」


 何かしらのセンサーに反応がありましたと言わんばかりに理夢が声を上げ、ずぞぞと、まあ実際に音を出していたわけじゃないが、それくらいの勢いで突然ドリンクを飲み込み始め、飲み干してベンチを立った。


「あれ、多分ずっと探してたモコモコスウェットかも……ちょっと行ってくるから、2人はここにいてねっ!」


 相変わらずの慌ただしい挙動に有無もなく、目線の先に位置する店へ去って行った彼女。残された僕と美央子はお互いに顔を見合わせると、苦笑し合うしかなかった。だってあの子、自分の買い物袋もここに置いて行ったし……そうして僅かに無言の時間が流れ、僕は視線を切るとまだ日の高い空を見上げる。雲はなく、薄らと月が青く滲んでいた……そういえば僕も、祝にお土産を頼まれていたっけ。


「優太は楽しんでる?」


 理夢一つ分の空間を空いたベンチ。冷えたドリンクのせいか、少し肌寒く感じてしまう。


「なんだか私達ばっかり、はしゃいでる気がして」

 

 聞き逃せぬ発言に、僕は目線を落として美央子へ。


「いやいや、普段とは何もかも違って新鮮だからすごく楽しいよ」


 まさかそんな事を言われてしまうとは夢にも思わなかったな。これは少し反省すべきだろう。僕も理夢を見習って全力で全身で感情を表現する術を身に付けなくては……先程も『お礼』を断ってしまったし、少し冷たい印象を与え過ぎたのかも。


「美央子は何も買っていないんだね」


 既に幾つかの服や化粧品を購入し袋を携える理夢に対し、見れば彼女は、スニーカーの店で『お金を出すだけで買える』という凄まじい名言を叩き出した人間にしては、本日何も購入していない。欲しいものがなかったのだろうか? 


「私、自分の為に何かを買った事って殆どないの。この服とか、ぜーんぶ貰い物なんだよ? ほら、お母さんアパレルもやってるから」


「ああ、なるほどね」


 この上ない不条理だなあ。『金は天下の回り物』じゃなかったというか何というか……僕は美央子と理夢の性格の不一致を疑問視していたが、考えてみれば僕と美央子も、いや、他のクラスメイトの誰とでさえ、あまりに価値観が違う。去年の学園祭で揉めたのもこれでは自然な事に思えてしまう程に。


 しかしだとすれば、彼女はどうして。


「こうして優太とゆっくり話すのって、久しぶりだよね」


「……そうかな?」


「そうだよ」


 美央子は僕から視線を外し、街並みを見つめ、どこか責めるように語尾を落とした……避けていたわけじゃないが、言われてみれば2人きりで話す機会は無かったかも。それこそ最後に話したのは春休み突入前、か。


 幸いにもここから理夢が向かった店は一望出来る上、ガラス張りの店構えから彼女が帰って来る様子もまだ感じられない。聞くなら今だ、美央子の気持ちを確かめるタイミングはここしかない。


「理夢には、話したの? 僕達のこと」


 可能限り重くならない程度で、かつ真剣味を帯びたニュアンスを持たせた疑問を投げ掛けてみる。と、そんな僕のおっかなびっくりな言葉に、彼女は僅かに笑みを含めて口を開いた。


「優太が私の告白を断ったこと? まさか、言ってないよ」


 言えるわけがない、という意味合いも感じられたが……どうだろう。どう聞けばいい? 当然『僕の事がまだ好きなのか』などはあり得ない。だったら何を聞く? そもそも僕は、何が知りたいんだ……分かっている。僕は彼女の本心がまだ見えないから、恐れているんだ。


「美央子は、どうして僕を好きになってくれたの?」


「優太は私が告白した時の言葉を、覚えてないの?」


 息が詰まった。勿論、あの衝撃的な出来事は一字一句違いなく覚えている。だが、どうしても納得が出来なかったのだ。


「『困っていたから見過ごせなかっただけ』で『一緒に居たかったからそうした』って言ってくれたでしょ? それが私にとっての好きになった全部なの。優太もそれが全部だった。そう思えたから、私は好きになった」


 そうして不意に向けられた彼女の目線に、僕が捉えられた気がした。


「私はもう諦めたけど、でもずっと好き」


 人一人分空いていた筈の空間が、埋められていく。


「こっちからも質問していい? 円香ちゃんから優太の恋愛観は色々聞いてるけど、どうしても納得が出来なかったんだ」


 視界の端で、紙袋を携えた理夢の姿と声が聞こえた。


「本当はどうして、優太は告白を断ったの?」

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