13話 ゴールデンウィーク 出発から
ゴールデンウィーク2日目、5月2日日曜日朝9時、車内にて。出発して2時間程が経過しただろうか。
「まどっちゃん、大丈夫?」
僕の左隣に座る理夢が、更に左隣で低血圧と車酔いと遠出へのストレスで絶賛頭痛及び吐き気を催している円香へ声を掛けた。「うん」と短く返事をする円香の容態は出発時の眠気MAX状態が殆ど変化が無い。恐らく後部座席に限界一杯の3人で座るという窮屈さも相まっているのだろう。普段の彼女ならば文句の一つでも述べていたかもしれないが、今日は流石に無理なようだった。
何故なら僕のすぐ正面、運転席には宿を提供してくれて、しかも運転までしてくれていて、極め付けには『未成年だけでは心配』という美央子パパからの苦言により、僕達の引率まで快く引き受けて下さった美央子の親戚の人が座っているからである。
「京華お姉ちゃん、ここら辺ってコンビニとか無かったっけ?」
「んー、アタシもあんま来た事ないから分からーん」
「そ? こっからもうちょい山道続くから我慢せんで、このオバちゃんいつでも言ってな?」
「あ、はい。大丈夫です」
「ちょっ、そこは『いやいやオバちゃんには見えませんよ。寧ろ年下かと思いましたわ』って返さんと」
「え」
これは面白い。京華さんの独特なノリに、いつも平静を保っている円香が心底回答に困っている。
「もう、変な事言わないでよ。円香ちゃん困ってるよ?」
そんな様子を見かねたのだろう。このメンツの中では常識人の部類に属する美央子が助け舟を出した。しかしその表情には僅かに笑みが浮かべられていて……手首には僕が誕生日プレゼントに渡したアクセサリーがキラリと輝いている。連日の家の用事の疲れもあるだろうに、彼女は彼女でこの旅行をかなり楽しみにしていたようだ。
「いやでも京華さんむっちゃ綺麗じゃない!? ウチ最初会った時マジでびっくりしましたもん!」
理夢は変わらずテンションアゲアゲ。同じく心待ちにしていたのは変わらないだろうが、何より美央子との泊まりであるという事実が、彼女をそうさせているのだろう。
「ありがとーな理夢ちゃん。後でお小遣いあげよう。100万ニュー台湾ドルや」
「京華お姉ちゃん……前見て」
病人を皆で気遣ったり京華さんが僅かに面白い冗談を言ったり理夢が時折興奮したり美央子が冷ややかな目をしていたりと、車内は如何にも遠出らしい混沌とした雰囲気に包まれていた。いやそれにしてもここ、考えてみれば……とんでもねえ空間だ。盛り上がったり盛り下がったり、揺れたり振れたりはともかく。現在車内にいる僕を除いた4人の内、3人に告白を受けて僕は断っている。どういう状況だこれ。神の悪戯か何かか? というかフった相手と泊まりの旅行って、僕は頭おかしいのかもしれない。一体どれだけ無神経ならこんな事出来る? のこのこやって来て、なんて馬鹿野郎なんだ……楽しみ過ぎて配慮を忘れてた。
つい1週間弱程前の4月27日カラオケ店にて。理夢からの告白(仮)は彼女自身が「忘れて忘れて!」と慌てふためいた事により現状有耶無耶となっている。なんでも「自分自身も良く分かっていない」とか「これが本当に恋愛感情かどうかはっきりしていないから答えはまだ聞きたくないし出せない」と。その後彼女はそんな状況を塗り潰すように、喉を潰すように熱唱していたと思う。何を歌っていたかは覚えていないが、急いで入力した幾つかに恋愛系の曲があって、自分で歌って歌詞を見ては自爆しながらも誤魔化す為に更に曲を入れては恋愛を連想させる歌詞があってまた自爆、と……最早笑っていいかどうかよく分からない状態になっていた。
そして現在、この前の自分を覚えているのかいないのか、理夢は僕のすぐ隣で、出発時にコンビニで買い込んだお菓子を思い出したように頬張っている。それはまさか本当に『無かった事にしよう』と考えているわけではないだろうが、少なくともこの旅行中だけは、という様子に見える。
「あ、優太もいる?」
しかしながら若干声が低く小さく細く、僅かに伏せ目がちにポッキーを僕へと差し出してきた。
「いや。さっき買ったグミを袋ごといっちゃってさ、もうお腹一杯なんだ」
他にも幾つかの菓子を完食してしまっていて既に微睡始めていた僕が断ると、理夢は「そっか」と軽く笑って、自らの口へと運ぶ。行ったやり取りに僅かな気まずさが……気分転換に車窓に映る山道に視線を変える。観光地と聞いていたし、著名な地域だからもっとリゾート化が進んでいると思っていたが、予想に反して先程から一向に景色が変わらない。まるで森の中を走っているよう。ちょくちょく宿泊施設の案内板は通り過ぎたかもしれないが、それだけ。自分が住んでいる地域とは圧倒的な差、人類が開拓と称してどれだけの自然を削ってしまったのか改めて業の深さを考えさせられて……いやこれ、全然気分転換になってない。
「理夢、しりとりでもしない?」
「いや暇の極みじゃん」
それから1時間弱、僕達はついに目的地と思われる一軒のログハウスに到着する。軒下にあるシャッター付きの車庫に駐車して降車して、正面から見上げた時、誰かが「うわあ」と声を漏らしていた。積雪に耐えれるようほぼ直角に曲がった屋根の真下、2階の窓際には広大なベランダ、一階にも同じようなウッドデッキがあって、青々と生い茂る緑の中だから雰囲気が凄まじい。きっと僕などの庶民には到底想像の出来ない値段をしているのだろうと思う。聞けば元々美央子パパが衝動買いした物件を、『特に使う予定がなかった』為に京華さんが譲り受けた物らしい。こんなものを衝動で扱うのもどうかしているが、譲るのも相当。
更にここから徒歩10分程の距離には駅があり、そこから有名なアウトレットに行けるという。今日はとりあえずそこが目的となっているが、よくよく考えてみれば立地も凄まじいな。
「ガチヤバじゃん……これ、幾らなんだろ」
理夢が僕の内心を表現するように呟く。であれば隣に立って唖然とする円香もきっと同じ事を考えているに違いない。と、僕らがごく普通の一般庶民としての感覚を共有していた時、決して相容れない存在であろう京華さんが美央子へ何かを手渡した。
「ほいこれ鍵。美央子っちゃんはお友達連れて自分らの荷物中に入れといで。優太くんはアタシと荷下ろしすんで」
「二人でいいの? 私達も手伝うよ?」
「ええのええの。な、優太くん?」
「はい。力仕事は得意ですから」
同意を求めて首を傾げる京華さんに、僕は迷わず賛同した。まあ勿論全員でやった方が確実に効率は良いと思うけど、多分二人で事足りる量なのだろう。「それじゃあ」と何処か申し訳なさそうな女子達を見送ってから、僕は京華さんの後に続く。
「運転ありがとうございました、京華さん。これからよろしくお願いします」
「あいあーい」
コンクリートの壁に覆われた車庫に入り、すぐにトランクを開いてもらって……そう思ったのだが、何故だか京華さんは車の後部ドアの部分に背を預けて、僕に『こちらへ来い』と手招きをした。どうしたのだろう、頭頂部に疑問符を幾つも浮かべながら、僕は恐る恐る近付く。
「ほんで、優太くんは誰が一番好きなん?」
耳打ち程の声量で囁かれた内容に、僕は思わず顔を顰めた……なるほど、結局荷下ろしなど言い訳で、これが聞きたかったのかこの人。
「そんな嫌そーな顔せんで。ここだけの秘密、皆には内緒にしたるからオバちゃんにだけこっそり、な?」
僕が無意識に身を引いても、その度に微笑みを伴った前身によりねちっこく距離を詰められてしまう。この様子ではオバちゃんになんて全然見えませんよという車中で伝授された誤魔化しなどは当然効果が無いのだろう。
「美央子っちゃんか? それとも他二人? もち『誰も好きじゃない』なんて言わんでよ。好きでもない女の子と旅行なんてありない、よねぇ?」
ありえない、か。確かにそうだ。僕は今ありえない旅行をしている。痛い部分を突かれたな。僕にはあの3名の告白を断っているという実績がある。だから『誰も好きじゃない』とはっきり言える。だがそれを打ち明けるのは色々と問題があり過ぎる。全く、どうしてどいつもこいつも、僕が誰かと恋愛してなきゃ気が済まないんだ……などと考えている場合じゃない。重要なのは、今日出会ったばかりの見ず知らずの大人が、僕らの関係について聞き出そうとしている点。それこそほぼありえない話。多少仲が深まってからならまだしも、初日でこの質問をぶつけるのは違和感がある。何か理由あると考えるのが自然、例えば誰かに探って欲しいと頼まれたとか……尤もこの女性が仮に相当図々しい性格というだけなら、これは意味の無い想像だが、僕の予感が正しければ、
「今知らなくても旅行が終わる頃には分かりますよ」
この状況を作り出したのはきっかけは……美央子である可能性が高い。
「ほーん」
旅行直前かそれとも僕達を乗車させるより前か。幼い頃より親交のあった二人であれば話を切り出すタイミングはいつでも良い。そうして自分の身内の『好きな人』を知った、または察した京華さんが、可愛い親戚の恋路成就をアシストするという流れならこの状況に簡単な説明が付く。問題はどちらが先導しているか。京華さんの暴走で余計なお節介なら平和に終わる。が、もしも美央子が主導権を握っているなら、この状況を想定していたなら話は別。だってそうなると、彼女はまだ……僕を諦めていない事になる。
僕の気持ちを確認する為に、この人を差し向けたのか。
「この話はもう終わりにしてくれませんか? もしも京華さんが知ってしまったら、もしかしたら何かをしたくなってしまうかもしれない。でもそれじゃ駄目。これは僕が、僕一人で決着を付けたい。付けなきゃいけないんです」
どちらにせよ結論を出すには早過ぎる。だから今の回答はこれで良い。これならあたかも僕が『この旅行中に誰かに告白する』と誤解させられるし、これ以上口を割るつもりもないという意思表示にもなる。
「ははーんカッコええなあ、優太くん。まあ全然答えになってないけど。流石にあの子ら待たせ過ぎのもアカンし世間話はこれくらいにしましょ」
どこかウチの担任を彷彿とさせる含み笑いを浮かべると、車に預けていた背を離した京華さんはトランクをようやく開放してくれる。途中に凄まじい斬り返しが飛んで来た気がするが、とりあえずは僕も解放されたらしい……しかし、思ったよりあっさり引いてくれたな。それが単純に大人だからなのか、また引き際を知っている程度の図々しさなのか、興味を失くしたか、それとも別の理由か。どちらにせよこの女性少し厄介。先生と同じ、僕が苦手とする分野の人間。
いや、それより何より……やはり出来るだけ早く美央子の気持ちと向き合う必要があるな。告白を断った事に対してどう考えているか、少なくともこの旅行中には確かめなければならない。理夢についても。
そして全力で楽しむ。
「よっこらせいっ」
と、僕が決意を固めながらで食材や調理器具などの荷物を運び入れ、備え付けのソファーに腰を下ろした時、見上げた瞬間目に入ったのは暖かい色の、巨大で煌びやかな照明。内装は外装と同じく、幾重にも積まれた木材が心を落ち着かせる。同時に木造建築とも違う茶色の光景は新鮮であり、湧き上がるものもある。
京華さんの簡易的な解説では、この部屋の間取りもまた特徴的だ。
1階にはリビングを見渡せるIH型のキッチン、隣には美央子パパにより書斎として使われる、予定だった部屋が1つとトイレに風呂。そしてリビングを分断するよう中央に位置する階段から2階へ。2階には部屋が無い代わりに大きな一つ間となっていて、所謂ベッドルームだと。
寝床の振り分けでは、女子陣はそこへ川の字に布団を敷いて仲良くおやすみ、僕は1階のリビングで一人寂しく就寝。京華さんは書斎でという事になった。
「ここらは街灯もないし、山道やから足元も悪い。なんで外出は19時まで。車が必要になったら呼んでな? おばちゃんいつでもワイルドスピードかますから」
「うん。ここまで連れて来てくれてありがと。京華お姉ちゃん」
「ホンットにありがとうございました。お世話になりますっ」
「ええのええの可愛い妹達の為よ。ほいじゃねー」
言って京華さんは手をふらふらさせて「仕事がある」と書斎へ向かって行く。僅かに細められた視線と下がった肩より若干の疲労の色が窺えた。それらの挙動から僕は、京華さんが運転中にあれだけ軽口を叩いていたがハンドルから決して両手を離さなかった事を思い返す。もしかすると長時間のドライブは慣れていなかったのかもしれない。さっきは内心で厄介とか思ってごめんなさい。
と、僕が京華さんについての評価をうなぎのぼりに上方修正していた時。
「あれ、円香は?」
先程から、移動中に体調不良を訴えまくっていた彼女の姿が見当たらない事に気が付く。
「まどっちゃんは暫く2階で寝てるって。ウチらもさっき様子見てきたけど……」
僕が聞くと理夢はそう言って、浮かない視線を階段の先へ送った。自分が誘ったせいだとでも気が咎めているのだろうか、声色も沈み気味。美央子もほぼ同様の様子で、同じような仕草をしている……全く、幼なじみとして頭の下がる思いだよ、円香。遠出が苦手と言っても程があるだろうに。
「円香ちゃんも心配だし、アウトレット行くのは明日にしよっか」
「ま、2泊3日もあるししょうがないよねー」
おまけに最も引き出したくなかった決断が美央子から飛び出して、それに2人が合意しようとしている。円香を一人には出来ないし、京華さんに看病を頼むわけにはいかないという判断からなのだろうが……それは駄目だ。円香は気を遣われるのを嫌う。一人が寂しいと嘆く人間でもない。かといっていざ本当に置いていかれたらそれはそれで文句を言うかも、という面倒臭えタイプ。
「……ちょっとあの子と話してくるよ。2人はここで待ってて」
しかし自身の体調を理由に周囲全てを巻き込む程愚かな人間でもない。こういうややこしい問題になると分かっていた筈だけど……そうして早くも室内で何をするかの予定を立て始めた理夢と美央子を置いて、僕は2階へと上がった。木製の柔らかな感触を足裏で確かめつつ一歩一歩踏み締めて歩き、見えて来たのは横たわる円香の姿。肩まですっぽり布団に収まって穏やかに瞼を閉じ、日の光を受ける彼女に近づく。そして枕元にあと半歩のとこまで進むと……途端に見開いた彼女が、頭を僅かにこちらに傾けて、細く枯れた声で呟いた。
「やっときた。遅い」
「起きてたんだね。体調は大丈夫?」
「頭痛い。混んでる場所行きたくない」
「あのね、美央子も理夢も君と出掛けるのを楽しみにしてたんだよ? 確かにゴールデンウィークのアウトレットだから混んでるだろうけどさ、ちょっとくらい付き合ってもいいんじゃない?」
なるべく抑え気味に問い掛けると、彼女は布団を顎先まで持ち上げて顔を隠す。それから間を置いて、
「私も、そうだった」
まだ始まって数時間の旅行を過去形で零した。妙な言い回しに僕は思わず首を傾げる。
「だった?」
「でも……ううん。今は少し寝かせて。私のことは良いから、2人を連れてアウトレットでも何でも行って来て」
話す気はない、か。彼女の口ぶりからして、今日まではこの旅行を確かに楽しみにしていたのだろう。体調が悪いというのも事実。しかし……何か心境を変化させるきっかけがあったらしい。それが何時、何処で、何よってもたらされたものか。
「分かったよ。ゆっくり休んで」
僕や初対面の京華さんに原因があるとは考え難い。つまり……うむ。どうやら僕の預かり知れない思惑が渦巻いているようだ。疑いたくはなかったが、先程の京華さんの件もあるし、せめて良い類のものであれば好ましいがどうだろう……加えて問題は、それらについて理夢が関与しているかどうかだが、まあいいさ。
「お土産忘れないでね」
どちらにせよこの旅行、全力で楽しむ事に変わりない。例え何があろうと絶対、良い思い出にしてみせる。
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