11話 ドリンクバーのコーラ

「ゴールデンウィークみんなでどっかいこ!!」


 近場のファミレスにて理夢はそう叫び、僕が苦笑いをして……円香は思い切り顔を顰めている。


 4月23日金曜日午後13時45分。朝一番に体育館で行われたSNSやスマホに対する、恐らく誰も真剣に聞いていないだろう注意喚起の集会と、2限3限を使った授業参観を終えた僕達。この奇妙な3人組が出来上がった理由は、美央子が家の用事により母親と車で先に帰宅してしまった事に起因する。隣近所の円香とは登下校を共にしていたし、同じクラスには親友に取り残された理夢が居た。そこからは紆余曲折色々あったけど、円香は嫌な顔を隠そうともしていなかったけど、僕が交友関係を広げる『良い機会』だとこの場所を提案し、理夢が賛成した結果が今現在。


「ゴールデンウィークどっかいこっ?」


 反応が希薄だったからか、理夢はボリュームを落として再度首を傾げた。


「私は行かない」


「えー、なんでぇ?」


「遠出が嫌いだから。疲れるし」


「あー、まどっちゃん苦手そうだもんねー。でも絶対楽しいと思うけどなあ」


 つい1時間程前に出会ったばかりの筈なのに、既にあだ名のようなものを使っている理夢は、何でか知らんが随分と円香が気に入ったらしい。いやまあ、肝心の円香の方は僕に『助けて』という目線を送って来ているので口が裂けても相思相愛とは言えない状態だけど……とにかく楽しそうで微笑ましい限りである。


「僕は賛成かな。でも、美央子ってゴールデンウィークなんかは家の予定が詰まっているだろうから「みんなで」ってのは無理だと思うよ?」


 と、僕が過去の実体験からの適切なアドバイスを伝えている最中、理夢は怪訝な顔をしてテーブルに置いたスマホへ即座に手を伸ばした。


「そんなの知らないもーん。いい、美央っちに聞いてみる!」


 瞬きする間も無い恐ろしい速度の決断力とフリック操作で本人に確認の連絡をする理夢を、円香が明らかに嫌そうな目つきで睨み付けている。


 うーん。やっぱりか……これはここ最近で気が付いた事なのだが、どうやら円香は美央子が苦手らしい。相談を受けていた間か、それとも僕が告白を断った当日に送られた報告が原因か、はたまた僕の視野外の出来事か。きっかけは分からないが、円香が美央子を避けているのは行動や仕草から確かだった。尤も、相談されれば話は別だけど、僕から二人の関係について口出しするつもりはないし首を突っ込む気も今のところは無い。そこまでする必要性が感じられない程に何もないのが現状なのだ。そりゃ一番好ましいのは仲良くしてもらう事だけど。

 

「ちょっと飲み物を取って来るよ。二人は?」


「コーラ氷無しで、お願いしまーすっ!」


 理夢はポテトを咥えながらで、元気一杯に僕へ空のグラスを渡して来る。やけにテンションが高い……もしかすると、理夢は理夢で初対面の円香に緊張しているのだろうか。思えばいつもより声のトーンが高くて口数も多いかも?


「はいはい。円香は?」


「私も行く」


 一方こちらの釣れない様子に変化は感じられない。しかし、だとすれば何故帰らないのか。そしてその解答は『僕が居るから』では不完全だと思う。普段の彼女なら迷わず『一人で帰宅』の選択肢を取っても不思議は無いし。加えて仲良くなりたいようにも思えないんだよなあ……うーん、ちょっと試してみるか。


 と、僕が幼なじみの複雑な内心に首を捻って、ドリンクバーに辿り着いた瞬間。隣で爽健美茶を注ぎつつ円香が口を開いた。


「優太から見て、あの子と美央子はそんなに仲良しなの?」


 少し茶目っ気と浮かんだ妙案で理夢のグラスに氷を一つ入れながら、僕は内心でなるほどと思い相槌を打つ。彼女は相変わらず考えの読めぬ横顔をしていたが、聞きたかったのは、気になっていたのは美央子の事か。


「昼休みはいつも一緒にご飯食べてるし、放課後はよく二人で遊んでるんだって。僕達のクラスは皆結構仲良いけど、あの二人はもう固定って感じかなあ」


「ふーん」


 人に聞いておいて若干小馬鹿にしたように鼻を鳴らして、円香は僕のグラスを奪い取ると勝手にオレンジジュースを注ぎ始める。いやまあ、それを入れようとは思っていたので有難いけど。


「新学期が始まってたった一ヶ月で固定、ね。その仲良しがいつまで続くか本当に楽しみ。喧嘩でもしたら真っ先に教えてよ」


 幼なじみの不器用な優しさに緩んでいた僕の口元は、同時に放たれた皮肉たっぷりな発言によって引き攣って苦笑いに変わる。


「なんでそういう事言うかなあ、円香は。もしかしたら生涯続く関係になるかもしれないよ?」


 思わず苦言を呈すると、円香は今にも溢れ出しそうな程になみなみとオレンジジュースを注いだグラスを僕に手渡して言った。


「それは優太次第じゃない?」


 意味不明かつ意図不明瞭な発言に、僕は首を傾げる。


「えなんで?」


「知ーらない」


 そうしてプイッと顔を背けた円香は、僕を置いてさっさと席に戻って行ってしまった……具体的には分からないが彼女は彼女なりに、どうやら僕に何かしらの助言を与えたかったらしい。幼い頃からの付き合いから、意味も無く意味深な事を言わない人間であるとは良く知っている。そんな彼女が核心をぼかして喋るのはそうする理由があるからだという事も。それか、言えないのは自分でも確実かどうか判明していないから? はたまた別の理由? うーん……まあいいや。と、僕はそのままでは持ち運べない量が注がれたオレンジジュースを一口啜って、秘密主義な幼なじみの後を追った。


「お待たせしました。こちらコーラで御座います」


 テーブルに着くと僕は座るより前に理夢へご注文の品を渡す。


「おっすありがとー、って。これ氷入ってんじゃん!」


 すると彼女はグラスを傾けるなりすぐに鋭い視線を僕へ向けて来た。


「え? あ、ホントダゴメンマチガエタ」


「いや嘘臭っ」


 僕の言葉を受けて、その表情が怒りから徐々にグラデーションで呆れと責めるような様子に変化していく……いやまあ予想通りではあるが、この反応はなるほど、好きな女の子についつい意地悪しちゃう男子の心情も理解出来る気がするな。


「……優太って、案外子供っぽいとこあるよね。普段の爽やか系ってもしかしてキャラ作ってんの?」


「失礼な。僕は根っからちゃんと大人だし爽やか系だよ。ね?」


 そうして僕は席に座り、隣の円香へ一縷の望みと言わんばかりの顔で同意を求めた。対して『私に聞かないで』と答えそうな勢いで腕を組んでテーブルの木目を見つめる彼女は未だそっけない態度だが、やがて徐に爽健美茶を一口飲むと、溜息を吐いてからようやく重たい口を開く。


「は? 大人? 子供っぽい通り越して子供そのものでしょ」


 思うに、理夢と円香には当然だが共通の話題が無い。あるとすればそれは美央子についてだったのだが、しかしそれでは円香が進んで話さないだろう。通常であれば趣味や学校の話をするのかもしれないが、それもあり得ない。円香は自分について話したがるタイプではない。そうなると残りの……僕についての話題が探る必要も無く最も手っ取り早い手段。グラスに入れた氷で焚き付けて誘導すれば、後は自動的に盛り上がってくれるだろうと。残念ながら、しかし幸運な事に円香が僕に対する悪口や文句のレパートリーを豊富に持っていることは知っていたし。


「本当に呆れる。ドリンクバーでふざけるなんて今時小学生でもやってないことをどうして高校生にもなって出来るのか。理夢、今度からは自分で取りに行った方が良いよ。このクソガキなら次は塩かタバスコ入れて持って来るから。というか爽やか系? 冗談でしょ気持ち悪い。ただの性悪で根暗の、ヘラヘラしてるだけの年中脳内ハッピー少女漫画変態サイコパス幼稚園生の間違いじゃなくて?」


 しかしこれは、だとしても言い過ぎだと思うけどね……ほら、僕がこんなに引き攣った顔をしているよ。気が付いていないのかな?


「いやまどっちゃんめっちゃ喋るじゃんっ!」


 てっきり何かしらのフォローをしてくれると期待した理夢も、何だか知らんが手を叩き声を上げて笑っている。なるほど、どうやら僕の目論見は概ね成功したらしい。加えて現在この場に味方が居ない事も確認した。


「そっかー優太は変態だったかー。変態の幼稚園生だったかー」


 そう言って僕に視線を送る理夢は、円香の暴言を幼なじみという近しい間柄特有の冗談か軽口か何かだと考えているようだったが、それが紛れもない本音と知れば少しは対応を変えてくれるだろうか。


「いや、違うからね?」


「違わない。でも外面だけは良いもんだから皆騙されてるの。理夢も気を付けて。取り入るのだけは異常に上手いから」


「それな! 言われてみれば優太って、ホント誰とでもすぐ仲良くなってるイメージあるしっ」


「口先も達者で殆ど詐欺師みたいなもん。こういうのが一番怖いタイプの人間」


「あー、確かに。怒らせたらどんなキレ方するか想像出来ないわ。まどっちゃんは見たことある? 優太がガチでキレたとこ」


「多分他人に見せたりしないと思う。きっと部屋で嫌いな人の名前を書いた紙をカッターで切り刻んだりしてるんじゃない? 押し入れ開けたら藁人形だらけとか、引き出しに恨みつらみを書いた日記帳でもしまってあるとか」


「ちょーヤバいじゃんそれっ! めちゃ怖すぎでしょっ」


「あの、二人とも? 僕が見えてないの? ずっとここにいるよ? 本人が目の前にいるんだよ?」


 ファミレスに来た当初では考えられぬ程に盛り上がった二人を見て、気が付いたら視界が霞み始めた僕は、もう充分だと一応制止を試みる。というかもう手遅れに近い。精神が削られ過ぎている為、明日からの生活にはきっと支障が出ているだろう。


「え? 陰口じゃないだけマシでしょ」


 さも当然のように円香には悪びれた様子は無い。寧ろ『あれ?いたの?』と言わんばかりに冷徹な目付きを僕に送り付けている。だけど当人が自覚しているか定かではないが、その口元は……僅かに緩んでいた。今行われた会話を楽しんでいた証拠だと思いたいが、どうだろう。


「優太と円香ってさ、やっぱすっごい仲良しなんだね」


 と、はしゃぎまくっていた理夢が唐突に、少々湿っぽい声色と視線をこちらに向けて微笑んでいた。そんな雰囲気に円香は否定も肯定もせず、ただ顔を顰めて黙ってしまう。


「うん。だって生まれた時から一緒だからさ。そりゃもう家族ぐるみで仲良しだよ。あ、そう言えば小さい頃はお風呂なんかも、痛い痛いっ!」


 何だか知らんがどうやら円香が恥ずかしがっているようなので、ここは僕がと心温まるエピソードを語ろうとしたら、テーブルの下より思い切り太腿を捻られて中断する。爪の先端が食い込み、突き刺さる本気の照れ隠しに僕が身を捩っていると、理夢はまた笑って続けた。


「いいなあ。こう、なんていうか……THE幼なじみって感じ? 子供の頃からの付き合いとか古い思い出とかお互いの両親を知ってるとか、色々羨ましいなあって思っちゃうんだよねー。ほら、ウチって仕事の都合で転校しまくってるし? そーいうの居ないからちょい憧れあるんだよ」


 飄々と話してはいるが、僕にはそれが到底軽い感情からのものとは思えなかった。いやまあ、小学校などの過去の思い出話になるといつも微妙な顔をしていたから何かしらはあると思っていたけど、まさに藪蛇、先程の会話と比べてあまりの温度差に手が悴む……もしかすると、理夢の活発な性格や言動はすぐ新しい環境に馴染めるようにと進化した、いや、適応を強いられた結果なのかもしれない。


「今までに何度転校を?」


 聞いて、彼女が唸りながら折り始めた指の本数に、僕は内心締め付けられる。


「んーっと幼稚園の、年中が最初だったかな。んで次が小3、中1の夏。からの今年で合計4回?」


 知って後悔した、とまでは言わない。人は出会いと別れを繰り返し経験する生き物だ。彼女の場合はそれが不規則かつ突発的だったというだけの話。心構えが出来たか出来なかったかの違い。だけど……さみしいな。僕には想像も付かない。今こうして笑って話せるまでに、一体どれだけの葛藤があったのだろう。心躍る出会いと受け入れ難い別れを何度繰り返した? 誰かが『ずっと友達だよ』とでも言ってくれた? もし言ってくれたとして、それは真実だった?


「4回も、かぁ」


 度重なる転勤に単身赴任を選ばなかった家族、引っ越しの労力、目まぐるしく変化する人間関係と環境、要らなくなった制服、体操着、連絡の来ない過去の友人達、スマホのアルバムを見る度に何を考えてしまうのか……そんな理夢が抱えてきたであろうストレスを思って、僕は同情も悲嘆も優しいだけの望み薄な言葉も使うのを躊躇った。


「こんなん慣れだよ」


 言い淀んだ僕の心情を察したか、理夢はさらっと取り繕うように言った。


「あー、ごめん。ちょっと変な感じになっちゃった? まどっちゃんも、初対面でする話じゃなかったよね。忘れて忘れてっ」


「私は……別に気にしてない」


 濁った返答をした円香も、きっとどう対応して良いか迷っているのだろう。勿論僕だって内心穏やかではない。転校にまつわる話題。明るい彼女が見せた暗い部分……正直言えば、今まで僕はこの話を避けていた。こういう雰囲気になるだろうとは思っていたし、何より彼女が話したがらないだろうと。しかしどうして今日突然口を開いたんだろう? 弾みで言ってしまった? それともずっと打ち明けたかった? まあ、どちらにせよ、理由なんかどうでもいいさ。


「僕は聞けて良かった。話してくれてありがとね、理夢」


「へぁ?」

 

 何言ってんだコイツと言わんばかりに首を傾げた彼女に、述べたお礼の意図を説明する。


「それ、誰にでもする話じゃないでしょ? でも理夢は話してくれた。って事は僕達は君の中で『誰にでも』という括りじゃなく、話しても良い『誰か』に入れてくれてるんだよね? だから嬉しいし、ありがとうと思ったんだ」


 先程並べ立てられた罵詈雑言の数々を払拭するように、僕は極めて爽やかで大人っぽい微笑みを浮かべて、理夢を真っ直ぐ見つめて言った。すると彼女はどこか居心地悪そうに、やや照れた表情で答える。


「ホント……そーいうの、よくすんなり言えるよ。優太は」


「幼なじみ曰く『外面だけは良くて取り入るのが異常に上手い』ってさ」


 言って円香を見れば、彼女は「呆れた」と溜息を僕に向けて放つ。ふん、ささやかな仕返しも少しは効果があったらしい。


「こりゃみんな騙されてるのも分かるなぁー。まどっちゃん、相当苦労したんじゃない?」


「うるさい」


「あー、やっぱりそう?」


「えっとあの冗談だよね? 僕が騙している前提で話を進めるのはやめて欲しいんだけど……」


 と、二人はとりあえず、僕を再び集中砲火する方向で和やかさを取り戻したらしい。弛緩した雰囲気の中で、『あーでもないこーでもない』などの憶測の域を出ない暴言を撒き散らして楽しげに会話する彼女達に僕は苦笑しながらも、結局暖かく見守る事にした。これで一件落着……とは言えないけどね。


 だって人は誰しも苦悩を抱えている。理夢もまた例外ではなく、悩める10代の一人だが彼女の事情は少し特殊だ。度重なる転校は、確かに原因ではあるだろうけど根本とは思えない。始まりではあるが現状とは違う気がする……春休み、僕と理夢が出会ったあの日。万引きを犯そうとしていたあの瞬間。先程見せた暗い部分はあくまで『部分』であり、もっと何か根深い課題を彼女は抱えているのだろう。多少の悩みを打ち明けられる友人程度には決して話せない、何か。


「あ、美央っちからだ」


 ……テーブルの上で理夢のスマホが短く音を鳴らして振動する。それでようやく僕の意味の無い妄想は吹き飛んだ。ゴールデンウィークの予定について返事が返って来たのだろう……そうだよ、今考えるべきは彼女の苦悩じゃない。もっと楽しい先に目を向けた方が良い。それでいつかもっと仲良くなった時、話してくれればそれで良い。


「美央子、どうだって?」


 聞いて、すると瞳を少女漫画のキャラクターばりに輝かせた理夢から、ファミレス中に響く程のボリュームのはしゃぎ声と共にスマホが突き出された。そこへ打ち込まれた内容に僕もまた心を躍らせ、円香は「嘘でしょ」と驚愕と期待と不安と絶望が入り混じった複雑な表情をしていたと思う。

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